国会の攻防(21)

国会の攻防(21)平成6年から平成17年 ― 郵政民営化六法案

岸井和
2021.2.18

 

⑥テロ特措法案1)平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法案、イラク特措法案2)イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法案、健康保険法改正案、国民年金法改正案、郵政民営化法案3)日本郵政株式会社法案、郵便事業株式会社法案、郵便局株式会社法案、独立行政法人郵便貯金・簡易生命保険管理機構法案、郵政民営化法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案と一括審議(小泉自公保、自公政権)(続)

 

郵政民営化六法案(2005年、第162回国会)

小泉総理は「…私はこれまでこの構造にメスを入れてきましたが、残された大きな改革、すなわち改革の本丸が郵政民営化であります。昨年九月に決定した基本方針に基づいて、平成十九年四月に郵政公社を民営化する法案を今国会に提出し、成立を期します。…私は、こうした郵政民営化が新しい日本の扉を開くものと確信し、その実現に全力を傾注してまいります。…4)2005.1.21 衆議院会議録」と第162回国会の施政方針演説で強い意気込みを示した。そして、それは過激なものとなった。

2003年9月の自民党総裁選で三選を果たした小泉は、任期最後の仕事として、かねてよりの堅い持論であった郵政民営化に満を持して着手する。総理の諮問機関である経済財政諮問会議を利用して族議員を意思決定過程から外し、事務局を内閣官房に置き所管の総務省から切り離し官僚の抵抗も排除した。総理主導で「郵政民営化の基本方針」をまとめさせ、郵政公社の四分社化・民営化、2005年の常会に法案を提出することなどが決定された。自民党総務会では反対意見が相次ぎ、基本方針の内容への態度は保留されたまま、閣議決定することだけが了承された。法案提出後、法案修正の了解を求めて開かれた総務会では反対派の抗議を遮って多数決によって決定された。長年の全会一致での決定という総務会の伝統には反していた。国会では特別委員会を設置して審査を進めることになるが、行政府の長である総理が二階俊博を官邸に呼んで立法府の委員長になるように指名した5)読売新聞には「焦点となっていた「衆院郵政民営化に関する特別委員会」の委員長らの陣容は、国会の役職としては異例な小泉首相主導で決まった」とある。特別委員長のみならず山崎拓与党筆頭理事も含めた人事が総理の意向によるものであった。2005.5.20読売新聞。あからさまな形で総理が国会の人事に介入するのは異例であった。

郵政民営化の大義は、官から民への行政改革、財政投融資制度の改革にあったが、それが持つ意味はもっと深いところあった。米国からの保険業務を中心とする市場開放の強い要求、総理にとって積年の恨みの対象である党内対立派閥の平成研の支持団体であった特定郵便局の弱体化(道路公団民営化もこの流れにある)が意図にあったであろう。

野党民主党も郵政民営化法案には反対の立場であったが、法案に抵抗するために不信任決議案等を出す必要はなかった。法案本体の採決で雌雄を決すればよい。しかし、その鍵となるのは民主党ではなく、自民党内の郵政民営化反対派の動向であり、野党はある意味、自民党内の攻防を高みの見物をしていればよかった。民主党は、当初会期終了日2日前の6月17日に法案審議のための会期延長の件を議題とするに先立って、川崎二郎議院運営委員長解任決議案を提出したが存在感が埋没しないようにするためのものであった6)解任決議案の趣旨説明において川崎委員長の運営に関する非難はわずかで、ほとんどが郵政民営化法案に関連する発言であった。このことからも解任決議案提出はこじつけであることがわかる。

郵政民営化法案は、特別委員会での110時間に及ぶ審査を経て7月5日の衆議院本会議の議題となった。採決の帰趨が不明であるため、議場は異様な緊張感と熱気に包まれていたが、議事は整然と進んだ。結果は僅か5票差(賛成233、反対228)でかろうじて修正議決された。自民党執行部は厳しい締めつけを行ったが、それでも多くの造反議員が出た。

法案は衆議院を通過したが、8月8日の参議院本会議では否決された(賛成108、反対125)。衆議院を通過した閣法が参議院で否決され廃案となったのは3例目であり、1951年以来のことである7)この前の2例は1950年の「地方税法案」、1951年の「食糧管理法の一部を改正する法律案」である。両例とも衆議院送付案を参議院で否決、両院協議会が開かれたものの成案を得ずに廃案となっている。なお、1952年には衆議院において参議院が否決したものとみなす議決がされた「国家公務員法の一部を改正する法律案」が両院協議会を経て廃案となっている。。解散という脅しが効かない参議院では総理の影響力は限定的であった。衆議院の解散によって参議院議員の意思が制約されるとすれば、それは参議院の存在意義にも関わってくる。郵政民営化反対派が一時的に勝利することとなった。

参議院での否決を受けて、小泉総理は即日衆議院の解散を行った。ここには、いくつもの問題がある。法案についての態度が衆参で異なっていた場合、国会の手続きとしては両院協議会の制度がある。しかし、この時は、総理が解散するという見通しが強く議員が浮足立っており、また、両院協議会という制度に問題解決の機能がないため、両院協議会による事態打開という方向には全く進まなかった。とはいえ、衆参の意思の相違について国会として冷静に手を尽くすべきであったのではないか。

次に、参議院での法案否決による衆議院解散の是非である。憲法学者のなかにもこれを批判する考えがあり、閣議でも島村宜伸農林水産大臣は反対を譲らなかった。総理は島村を罷免したうえで自ら農林水産大臣を兼務し、解散を閣議決定した。解散しても否決した参議院は無傷で残ることになる。解散は民意を問うために総理の決断でいつでも行えると考えるのか、内閣と衆議院との関係が不正常になった場合の解決策として行うべきものなのか。その後の衆議院総選挙の結果によって、参議院はその態度を変えるべきなのか、あるいは態度を変えるのならば参議院の存在意義はなくなるのではないのか8)衆議院総選挙後の特別会(第163回国会)では42日間という特別会としては異例の長さの会期を設け、前国会で否決されたものとほぼ同内容の郵政民営化法案が再提出され、衆参とも自民党内の混乱もなく可決された。この際、前国会では反対に回った自民党参議院議員も1名の欠席を除き全員賛成に転じている。

第三に、総理が衆議院解散、総選挙に打って出たのは、小渕内閣以来の総理の権限が強まっていたことが背景にある。郵政民営化法案の政府内や自民党内の決定過程は総理が強いリーダーシップを発揮したことを示している。自民党議員の一部が郵政民営化に強く反発した理由の一つは総理独断による前例無視の法案決定過程にもある。そのような状況の中でも総理、自民党執行部が強行に出られた背景には小選挙区制度における公認権を使って与党議員の行動を拘束するシステムができていたことがある。国会での採決の際、法案反対派の締め付けの道具となり、また、解散後は反対派を公認しない、あるいは刺客を送るということが可能となっていた。かつて大平内閣不信任決議案のときの造反議員にさえも同様な措置はとっていない。総理の力は増大しており、小泉総理はこれを最大限に活用した。

これ以降、自民党議員が執行部に正面から反対することはほとんどなくなった。これは公認権による強制力が衆議院より弱い参議院においても同様である。

当初は保守分裂選挙になれば自民党は苦戦するとの見方が強かった。民主党は政権獲得が視野に入ったと考えた。しかし、解散後の記者会見で小泉劇場の幕は開いた。ガリレオは地動説を真理であると信じたように、小泉は郵政民営化が真理であると貫く。真理に従う者と反する者とで善と悪の構図を作り上げ、勧善懲悪の劇場に国民は吸い込まれ、その多くが小泉自民党に投票した。結果として、自民党は歴史的大勝を収め、再議決が可能となる衆議院の3分の2以上の議席を与党で確保した。おそらく、国民の大多数は郵政民営化が正しいのか間違っているのかは定かではなかったであろう。そのなかで劇場型政治によって民意が誘導されたのではないかという問題は残る。

脚注

脚注
本文へ1 平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法案
本文へ2 イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法案
本文へ3 日本郵政株式会社法案、郵便事業株式会社法案、郵便局株式会社法案、独立行政法人郵便貯金・簡易生命保険管理機構法案、郵政民営化法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案と一括審議
本文へ4 2005.1.21 衆議院会議録
本文へ5 読売新聞には「焦点となっていた「衆院郵政民営化に関する特別委員会」の委員長らの陣容は、国会の役職としては異例な小泉首相主導で決まった」とある。特別委員長のみならず山崎拓与党筆頭理事も含めた人事が総理の意向によるものであった。2005.5.20読売新聞
本文へ6 解任決議案の趣旨説明において川崎委員長の運営に関する非難はわずかで、ほとんどが郵政民営化法案に関連する発言であった。このことからも解任決議案提出はこじつけであることがわかる。
本文へ7 この前の2例は1950年の「地方税法案」、1951年の「食糧管理法の一部を改正する法律案」である。両例とも衆議院送付案を参議院で否決、両院協議会が開かれたものの成案を得ずに廃案となっている。なお、1952年には衆議院において参議院が否決したものとみなす議決がされた「国家公務員法の一部を改正する法律案」が両院協議会を経て廃案となっている。
本文へ8 衆議院総選挙後の特別会(第163回国会)では42日間という特別会としては異例の長さの会期を設け、前国会で否決されたものとほぼ同内容の郵政民営化法案が再提出され、衆参とも自民党内の混乱もなく可決された。この際、前国会では反対に回った自民党参議院議員も1名の欠席を除き全員賛成に転じている。

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