「国権の最高機関としての議長の権威」と
「河野洋平元衆議院議長のオーラルヒストリー」(2)
岸井和
2024.12.6
国会議員の互助年金の廃止(河野オーラルヒストリーP172以下)
国会議員の議員引退後の生活の保障のために互助年金制度が定められていた(1958年成立の国会議員互助年金法による)。しかし、この制度においては国庫負担率が一般国民よりも大きく、また給付額も高かったため、不当な議員特権ではないかとの声が強まっていた。
そこで、制度設計を作り直すために衆参両院議長の下に2004年に「国会議員の互助年金等に関する調査会」が設置され、翌年に国庫負担率と給付水準引き下げの答申が提出された。しかし、ここで官邸から横槍が入った。
河野議長の談によれば、
「自民党(議院運営委員会)筆頭の鈴木恒夫君が官邸から呼び出されて、これは自民党の中川秀直政調会長とも打合せ済みで、議員年金の制度を廃止すると言われたと言うんです。衆参両院議長の下に置いた調査会の答申を、有無を言わさず潰されたわけだから、議長としては本当にメンツがないわけですよ。今にして思えば、あのとき議長がもっとごねればよかったかなと思うね。」「史上初めて両院議長の下に調査会を作って、答申をもらって、それが官邸からの横やりで潰れたというのは、議長とすれば慙愧の至りで、あってはならないことだという感想は残しておくべきだろうな。」とある。
この対応は最低であった。議員年金の存続か廃止の判断はともかく、国会議員の身分に関する問題を官邸からの命令で決めることは、あってはならないことである。答申が提出されてから結論をひっくり返された議長としてのメンツの問題以上に議会と政府との関係において明らかに領海侵犯である。官邸の言うとおりに議会が動くなら議会は不要である。議長としては直ちに「官邸の口出すことではない」と強く拒絶の意思を表明しなければならなかった。議員互助年金廃止というポピュリズムに安直に屈し、与野党ともにこの官邸から国会への横槍という異常な事態に対して問題意識を持たなかったことは残念であり、少なくとも議長としては議会の権威から断固たる姿勢を示すことが職責であった。
小泉総理の靖国参拝(前掲P175以下)
総理の靖国参拝は戦犯が祭られていることから中国・韓国の強い反発に配慮すべきだとの意見がある一方で、国のために命を懸けた人々に対し国家として慰霊の意を尽くすべきだとの考えもある。2つの考えが対立していて適切な妥協策も見つからない。他方で、小泉は総理になるときの公約として靖国参拝を掲げており、参拝を繰り返していた。2006年に河野議長は総理の靖国参拝に反対し、歴代総理を巻き込んで小泉総理の靖国参拝阻止を図った。
「議長という立場ではあったけれども、歴代総理に一人ずつ随分丁寧に話したんです。中曽根さんの事務所へ行ったり、細川さん、羽田さんにも話をし、それから橋本さん、森さん、村山さん、みんなに話をした。」
「(議長公邸に)来たのは宮沢、橋本、森、海部、村山の五人でした。そこでの結論は、とにかく小泉さんには慎重にやってもらいたいと伝えることになったんです。僕は本当は行くなと伝えたいと思ったんだけれども。」
「それで、その申し入れの場所やタイミングを考慮して、小泉さんが院内に入る時に院内総裁室で行うことにして、森さんに同行してもらうことにしたんです。小泉さんは、私の顔を見て、河野さん分かってる分かってる話は分かっていると言う。そうは言うけれど話を聞きなさいよと言って話してきたけど、彼はそれでも靖国に参拝したんだよね。」
「議長として、国権の最高機関である立法府の長として、行政府のトップに対して注意をするということはあってもいいんじゃないかと思いましたね。」
「あれは僕だからやったので、ほかの議長ならやらなかっただろうね。」
(このあと、安倍幹事長代理は議長を批判し、後藤田は擁護したとの発言をしたとあるが、それはそもそもの両者の政治スタンスの違いで、参拝の意見が分かれていることを意味する。)
ここから読み取れることは、歴代総理は河野議長の考えに賛同したかのようにみえるが、結論は「慎重にやってもらいたい」という強い言い方ではないし、また、森元総理が同行したものの他の総理経験者は自ら積極的に動こうとはしていない。河野議長本人も「議長という立場ではあったものの」、「ほかの議長ならやらなかったろうね」と、議長の行動としては若干のためらいがあったようにも受け止められる。
河野議長の政治家としての靖国問題に対する思いはよく分かるが、しかし、議長として政治論として議論の分かれる問題について積極的に発言するのはいかがなものか。特に、議会と政府との関係性に触れる問題や、各党から一致して政府に申し入れを委任された問題なら行動すべきであろうが、そうではない状況の中で特定の政治的意見に組するような見解を表明するのは、政治的に議長職の中立性を担保し、権威を保持することに反する。法的に院を代表する申し入れではないし、そうした何らの権限も有していない。自分の意見は我慢し、公の前では表明しないのが議長職の一つの在り方である。それは重要局面で権威によって収めるための一つの知恵である。だから、「ほかの議長ならやらない」のである。
結果として小泉総理に無視されてしまったのは議長の権威を落とすだけのことであった。小泉総理は河野議長とは別の信念で行動いただけのことであろう。伊吹議長は「議長は各党に公平・公正であるべきなので、歴代議長は極力、自説を封印しておられたようで、私にとっては、この点はなかなかつらいことでもありました。(伊吹文明「保守の旅路」P191)」と語っている。河野議長自身も「議長という職は、個人の主義主張を表現できない」「中立を保っていなくてはいけない」ことを理由に過去に1度議長就任の打診を断っている(河野 前掲P161)そうだ。河野議長の言動は首尾一貫していない。
郵政解散(前掲P180以下)
2005年8月8日、郵政民営化法案は参議院本会議で否決され、これを受けて小泉総理は衆議院を解散した。参議院での否決にもかかわらず衆議院を解散することには河野議長も批判的であった。
「もちろん憲法上もおかしいと思ったし、政治的に見ても参議院で通らないのを衆議院で解散したって、衆議院で勝っても参議院は同じ状況なわけだから、それはおかしいなと思っていました。」
「参議院で否決されたから衆議院を解散するというのは、どう考えても理不尽でおかしいと思っていました。」
しかし、河野議長は何らかの行動をとったことはオーラルヒストリーからは見受けられない。
「議長とすれば、本来こういうことを総理の思うままにさせてはいけないという気持ちはあったけれども、どうしようもないんだね。陛下の国事行為だから止めるわけにいかない。」
「自分の主張を通したいという解散でしかない。だからこれはおかしいと僕は思いましたね。しかし、それを止める方法がないのですよね。」
参議院で郵政民営化法案が否決されたら衆議院を解散すると総理は事前に明言していた。そのときに河野議長は総理に対し牽制をしなかったのか。解散が決まってからでも不当な解散だと堂々と声明でも出す時間はあった。しかし何らのアクションも起こしていない。現職の閣僚であった島村宜伸は閣議の場で解散に反対して農林水産大臣を罷免された。止める方法がない、と諦めているだけで何もせずによかったのだろうか。内閣と議会のバランスが崩れており、総理の恣意的な権力行使を議長の権威をもって無駄だとはわかっていても歯止めをかけるのが議長としての在り方だったのではないか。
「以前は、前尾さんとか保利さんとか灘尾さんとか、後藤田さんなんかもそうだけれども、おかしいと言う人がいたんだけれど、最近はそういう人がいなくなったから、ちょっと危ないと感じますね。」
ちょっと無責任な発言でもあろう。前尾議長以来の議長としての役割を自ら放棄して、他人事のように論評するのはいかがなものであろうか。
安倍総理が消費税引き上げ延期を理由に衆議院解散を考えていた際、伊吹議長は「まず引き上げ延期の法案を国会に出すのが筋ではないか。それが否決されたら解散して国民に聞けばよい(伊吹 前掲PP192-193)」とアドバイスした。憲法上の内閣と議会との関係性を考慮したうえでの助言ではあったが、結論的には当初の総理の意向通りに解散となった。とはいえ、こうしたことが解散の濫用を牽制するために必要なことであり、内閣の助言による天皇の国事行為だから仕方がないと論じてしまうのでは身も蓋もない。単に内閣の権限拡大を黙認してしまうだけになってしまう。
「今の憲法は変えた方がいいという安倍さんを始めとする人達の主張は、議長として絶対受け入れられない。今の国会は現行憲法に基づいて開かれている議会で、議長は護憲の姿勢をとることは当然でしょう。議長が、自ら憲法を変えた方がいいとは絶対言うべきでないという一貫した気持ちが私にはあった。(河野 前掲P184)」
議長が憲法改正を言うべきではないとするのはもっともな考えだが、逆に改正してはいけないとも言うべきではない。それは意見が分かれている政策問題であるからで、議長は黙っているのが職務なのである。これは内閣と議会との関係に大きく関わる解散権とは異なる性質の問題である。解散の濫用は国会の権威にかかわることであり発言するべきであり、実際にこれまでの議長も発言してきた。解散権には沈黙を守り、靖国参拝には行動をとるのは議長職にある者の姿勢としては疑問である。議員が総理に追従し、メディアが政局を得意に追いかけるなかで議長には道理を述べてもらいたかった。
議長職というのは、国権の最高機関の長として最も地位の高い職務ではあるが、権力はほとんどなく、会派離脱をして立場上は与党でも野党でもないから真の味方は期待できず、言いたいことも言えない非常に窮屈な役職である。しかしながら、沈黙しつつ憲法上の三権分立、内閣と議会との関係を熟考、吟味し、権威を確立し、いざというときには大胆に行動しなければならない難しい立場である。
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