国会の攻防(19)

国会の攻防(19)
平成6年から平成17年 ―
周辺事態確保法案、組織犯罪対策三法、住民基本台帳法案、加藤の乱、参議院の定数是正法案

岸井和
2021.01.29

 

④周辺事態確保法案1)日本国の自衛隊とアメリカ合衆国軍隊との間における後方支援、物品又は役務の相互の提供に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定を改正する協定の締結について承認を求めるの件、組織犯罪対策三法案2)組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律案、犯罪捜査のための通信傍受に関する法律案、刑事訴訟法の一部を改正する法律案、住民基本台帳法案(1999年、第145回国会、小渕自自政権)

1998年の参議院選挙前に社会党、さきがけとの閣外協力を解消し、先に述べたとおり、当初は参議院で過半数を持たなかった自民党は、1999年1月には自由党を取り込んで連立政権とし、また、公明党の協力も確保、参議院での過半数を回復し、安定した政権基盤を築くことに成功した(公明党との正式な連立合意は国会閉会後の10月)。この状況を踏まえて、第145回国会において小渕内閣は懸案となっていた諸法案を次々と成立に導いた。第142回国会から継続審査となっていた周辺事態確保法案、組織犯罪対策三法案、住民基本台帳法案である。さらには、議論の余地が大きい国旗国歌法案を成立させ、衆参両院に憲法調査会を設置することができたのも、参議院での多数確保、政権の安定、護憲政党の社民党が国会審議における影響力を完全に失った結果によるところが大きい。

 

周辺事態確保法案

周辺事態確保法案は有事の際の日米の協力関係を構築する内容で、日米安保の意義を再定義する内容で、「周辺」の定義が曖昧であるなどの問題点も指摘された。しかし、衆参ともに特別委員会を設置し、長時間の審議となったものの、大きな混乱もなく成立を見た。

 

組織犯罪対策三法案と住民基本台帳法案

これらの法案は、国民の人権に直接かかわる機微なものであり成立までには時間を要した。しかし、自自(公)連立政権ができると、参議院での多数を失っていた第143回国会(1998年)の金融再生法案では野党案を丸呑み(国会の攻防(17)参照)していた自民党はそれまでのうっ憤を晴らすかのように強硬な姿勢をとった。

委員会に野党の委員が出席しなければ質疑を空回して強行採決をし、国対間での協議はほとんど行わず、牛歩に対しては途中で記名投票を打ち切り、長年使われていなかった中間報告という手段をとった。少なくとも野党にとっては「小渕内閣は議会制民主主義、国会での論議より数の論理に固執した内閣である…自自公連立の枠組みがつくられると、小渕内閣は数の力によって野党の意見には全く耳をかさず、猛牛のごとく突き進む恐怖内閣へと変貌いたしました3)1999.8.12 参議院会議録 本岡昭二議員の内閣総理大臣問責決議案の趣旨説明」と映るようになった。守勢に立った野党は、与党の強硬姿勢に対して有効な抵抗手段を見いだせず、何日にもわたる徹夜国会のようななりふり構わぬ姿も見られなかった。とはいえ、小渕内閣が強硬な姿勢をとったのは、この第145回国会だけではあった。

 

・衆議院の審議

組織犯罪対策三法案は、組織犯罪の処罰強化、マネーロンダリングの処罰などを定めるものであったが、特に三法案の中の、犯罪捜査のために電気通信の傍受を強制処分として行えることを定めた通信傍受法案が大きな議論となった。憲法に定めた通信の秘密に反するのみならず、国民の知らない間に警察が通信を傍受し得ることは人権侵害だとの批判は強く「盗聴法案」と揶揄された。

5月28日の衆議院の法務委員会では、民主党、共産党、社民党は出席せず、質疑は空回しとなり、採決時にも野党は出席しなかった。委員会運営が不正常だったとして、同日中に杉浦正健法務委員長解任決議案が提出されたが、6月1日の本会議において秩序のある中で否決され、その後、共産党を除く野党が退席したなかで法案の採決が粛々と行われた。

住民基本台帳法案は、国民にコード番号を付与し、住民票をコンピューターで一元管理するシステムを導入するものであった。これには、国民総背番号制による国家の管理、個人情報の漏洩の懸念などの観点から批判が起こっていた。しかし、野党は反対はしたものの、混乱もなく衆議院を通過した。

 

・参議院の審議

衆議院とは異なって、参議院の審議は大きく混乱した。通信傍受法案と住民基本台帳法案の審議が同時並行して進められたうえに、さらには会期末まで審議がずれ込んだため、不信任決議案等も提出され、本会議は徹夜となった。委員会審査において、通信傍受法案は強行採決となり、住民基本台帳法改正案は採決に至らず、本会議で中間報告を求めることとなった。

8月13日の会期末を2日後に控えた11日の午後5時過ぎから参議院での攻防は始まった。まず、強行採決の責任を問うて荒木清寛法務委員長解任決議案が議題となった。この日は、野党議員の長時間演説が続き4)本会議前に開かれた議院運営委員会で討論の持ち時間を協議したが、法務委員長解任決議案に対する討論に関しては、自民党以外の討論時間(10分以内)は決定せず、場内交渉で対処することとなっていた。、決議案を議了することなく延会となった。翌日は午前零時47分に本会議が始まり、決議案の記名採決から再開された。野党は牛歩で対抗し、投票時間は長時間に及び、野党の投票が終わっていないにもかかわらず斎藤十郎議長は採決を打ち切った。野党は議長席の近くに来て抗議を続けるが、議長は議事整理権をたてに押し切った。

続けて、小渕内閣総理大臣問責決議案が日程に追加されて議題となり、残り時間が少ないなか、与党は本決議案の議事における発言時間制限の動議を提出した。動議の採決でも牛歩が行われたが、議長は途中で打ち切った。小渕内閣総理大臣問責決議案の採決自体でも牛歩が行われ、同様に議長は投票を打ち切る。さらに、岡野裕議院運営委員長解任決議案を日程に追加する動議が議題となり、またしても牛歩が行われたが、途中で投票を打ち切って否決された。休憩をはさんで午前7時半から、投票を打ち切り表決権を剥奪したことなどを理由に斎藤議長不信任決議案が提出され、否決される。

組織犯罪対策三法案を直ちに議題とすることの動議が可決され、ようやく法案の審議に入り委員長報告が行われたが、ここで、野党提出の三法案を委員会に再付託することの動議が否決され、各党の討論を経て、三法案が可決されたのは12日の午後2時過ぎであった。いずれの記名投票も野党が牛歩で抵抗したため、休憩も挟んで約21時間かかったことになる。

だが、まだ住民基本台帳法改正案が残っている。野党は野田毅自治大臣問責決議案を提出したものの議題に取り上げることは否決され、牛歩も行わなかった。住民基本台帳法改正案は委員会での採決には至ってなかったので、委員長の中間報告を求めたうえで、本会議の議題とされた。中間報告は24年ぶりであった5)24年前の事例は国会の攻防(12)参照。しかし、野党の抵抗はこの法案に関してはさほど強くなく牛歩もしていない。法案が可決されたのち、既に成立している組織犯罪対策三法案関連で陣内孝雄法務大臣問責決議案が提出され、否決されている。すべて終わった後であり、主張を述べるだけの意味のない議事であった。

国会議事堂

 

⑤加藤の乱、参議院の定数是正法案6)公職選挙法の一部を改正する法律案(自民・保守、公明提出) (2000年、第150回国会、森自公保政権)

加藤の乱(森内閣不信任決議案)

森内閣は約1年の短命内閣であったせいもあろうが、国会において議案の審議を通じて与野党が激しくぶつかり合うことはなかった。国会内では自公保連立政権により衆参で安定した与党勢力を確保していたが、支持率は低く、低空飛行状態が続き、対決法案を提出するだけの余裕はなかった。低空飛行の理由は、小渕総理が突然倒れ、後継の森政権が自民党内の密室協議によって決められたためその正統性には最初から疑問が持たれていたこと、「日本は天皇を中心とする神の国」「日本の国体」など総理自身の失言が相次いだこと、スキャンダル(KSD事件、外務省機密費問題、実習船えひめ丸と米原子力潜水艦との衝突)が相次いだことによる。支持率は就任時から下落し続け、全く回復しなかった。

内閣の不人気が続くなか、自民党内には森内閣の退陣を求める声も出始めていた。こうした状況のなかで加藤の乱が起こった。自民党の加藤紘一(加藤派会長)と山崎拓(山崎派会長)は森内閣への世論が著しく厳しいことを背景に内閣不信任決議案に賛成し、退陣に追い込む意思を固めていた。衆議院で合計60人以上になる両派の議員が造反すれば不信任決議案は可決されることになる。第150回国会の会期末が近づいてきている11月20日には野党は恒例の内閣不信任決議案を提出する。しかし、これまでの歴史を見れば、与党内の大量造反は決定的な意味を持ち、会期末の内閣不信任案提出は単なる恒例行事ではなくなる。

当然、自民党執行部は造反者たちの切り崩しを図った。本会議での票読みをしつつ、造反した場合は解散後の総選挙で公認しないと脅し、厳しく締めつけて一人ずつ翻意させていった。政治改革による小選挙区制下では公認を得られなければほぼ落選を意味する。加藤・山崎両派の議員は動揺し、同調者は剥がれ落ちていった。かくして20日の本会議の始まる前には内閣不信任決議案が可決される事態は回避されると思われた。野党も気勢をそがれた。

衆議院本会議は午後9時過ぎから始まる。優先議題7)衆議院先例集平成29年版378説明文「内閣不信任決議案が提出されたときは、議長は、速やかにその取扱いを議院運営委員会に諮問し、その答申をまって、他の案件に先立って院議により委員会の審査を省略して議院の会議に付する。ただし、議院の構成に関する案件は、内閣不信任決議案より先に行う。」である森内閣不信任決議案の議事が進められ、提出者の趣旨弁明、各党の討論と進む。騒動の首謀者の加藤と山崎は本会議を欠席していた。だが、保守党の松浪健四郎議員の討論の時に事件は起こった。野党議員からのヤジに激昂した松浪はコップの水を議場に向けてぶちまけた。うっ憤の溜まっていた野党議員はここぞとばかりに演壇前に詰めかけて大騒ぎとなった。与党は何とか議事を続行させようとしたが騒ぎは収まらず、綿貫民輔議長は休憩を宣告した。

休憩後の本会議では議長が松浪議員を懲罰委員会に付し、議場から退場させることは決めた。しかし、混乱は収まらず本会議は延会となり21日へと持ち越しとなった。しかし、この間に野党は議長不信任決議案を提出した。理由は本会議の混乱を収拾しなかったというものであり、しかも、すでに議事が進んでいる内閣不信任決議案よりも議長不信任決議案を先に処理しろと要求した。

野党には思惑があった。議長不信任決議案を先議することは与党は呑まないであろう。そうすれば、混乱させて内閣不信任決議案の本会議を遅らせることができる。その間に加藤らに本会議に出るように説得工作をして内閣不信任決議案可決への道が開けるかもしれないと考えた。野党にとっては起死回生の作戦であった。だが、与党もこの情報を素早く手に入れていた。与党は、まったくの異例であるが進行中の内閣不信任決議案の議事を中断して議長不信任決議案を先議することを認める、ただし、そのまま時間をおかずして内閣不信任決議案を処理し、野党に時間を与えない方針を決めた。これにより、野党の作戦はうまく行かず、議長不信任決議案は短時間で否決され、続いて内閣不信任決議案も否決された。延会後の本会議では議長不信任決議案(趣旨弁明、討論、採決(起立))と内閣不信任決議案(討論の続き、採決(記名))を午前2時40分過ぎからわずか1時間で処理したが、自民党内の混乱と与党議員の水まきというハプニングによって、誰も予期せぬ徹夜国会となった。

 

参議院の定数是正法案

これと同じ第150回国会では、参議院でも珍しいことが起こった。参議院では、参議院の選挙制度の改正、比例区の名簿を拘束式から非拘束式に改め、定数削減を行う法案が与党の議員立法として提出された。野党はこれに強く反対であり、委員会では欠席戦術をとったが、10月13日には与党が単独で採決を行う。斎藤十郎参議院議長はこの事態を収拾するためあっせん案を示すが、不調に終わり、「今般、議長の権威保つこと叶わず」として議長辞任を決断した。

19日の本会議では、斎藤議長の辞任が許可されたのち、後任に井上裕を選任した。井上新議長は与野党で対立する公職選挙法改正案を与党案のとおり本会議にかけようとしたが、ここで、野党から議長不信任決議案が提出された。議長に選出されてから5時間余で不信任案が本会議の議題とされ、野党は選任の投票をしてすぐに不信任案に賛成した。不信任決議案否決後、法案は野党が欠席のまま可決されている。

脚注

脚注
本文へ1 日本国の自衛隊とアメリカ合衆国軍隊との間における後方支援、物品又は役務の相互の提供に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定を改正する協定の締結について承認を求めるの件
本文へ2 組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律案、犯罪捜査のための通信傍受に関する法律案、刑事訴訟法の一部を改正する法律案
本文へ3 1999.8.12 参議院会議録 本岡昭二議員の内閣総理大臣問責決議案の趣旨説明
本文へ4 本会議前に開かれた議院運営委員会で討論の持ち時間を協議したが、法務委員長解任決議案に対する討論に関しては、自民党以外の討論時間(10分以内)は決定せず、場内交渉で対処することとなっていた。
本文へ5 24年前の事例は国会の攻防(12)参照
本文へ6 公職選挙法の一部を改正する法律案(自民・保守、公明提出)
本文へ7 衆議院先例集平成29年版378説明文「内閣不信任決議案が提出されたときは、議長は、速やかにその取扱いを議院運営委員会に諮問し、その答申をまって、他の案件に先立って院議により委員会の審査を省略して議院の会議に付する。ただし、議院の構成に関する案件は、内閣不信任決議案より先に行う。」

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