国会の日程と攻防(日程闘争の場としての国会) (3)
岸井和
2021.08.05
1日程闘争
2儀式としての本会議
3国会審議は政府がコントロールしている
4国会議員は審議の主役たりえるのか
5野党活躍の場―国政調査、スキャンダルの追及
6審議の大詰め
7野党の抵抗はどこまで可能か
8日程闘争に意味はあるのか―「働き方改革法案」
9国会をどう修正するか
5野党の活躍の場―国政調査、スキャンダルの追及
国政調査、すなわち委員会の一般質疑は国会の攻防の大きな手段であり、それは法案審議の日程闘争ともリンクしている。
政府与党は行政権力を行使し、マスコミへの露出も多いので、当然に行政遂行上の失策や権限をめぐるスキャンダルなど、様々な地雷原を抱えることも少なくとも野党よりは多くなる。野党は政府与党の失策やスキャンダル、失言を国会審議の中心にしようとする。森友や加計問題、賃金統計のミス、大臣の失言など。これらは地道で難解で退屈な政策論議よりも話題性があり、マスコミに取り上げられて注目を集める。実際に第一次安倍政権での消えた年金問題は支持率の大きな低下、直後の参院選での大敗につながった。政府与党は、なるべくそうした追及を受けたくはない。それだったら、委員会を開かないほうがいい、国会を閉じてしまえと考える。
すると、野党は政府与党にとって必要な予算や法案を人質にとって、スキャンダルを追及する作戦に出る。成立させるべき法案があれば、政府与党は委員会を開かざるを得ない、法案とは直接には関係ないスキャンダルの質問にも答えなければならなくなる。森友、加計問題の多くは予算委員会で追及された。肝心かなめの予算や法案に対する質問時間が削られてしまう、あるいは、逆に、必要以上に法案(予算)審議に時間がかかってしまう。結果的には、審議不十分なまま採決してしまうか、延々と審議が引き延ばされるかということになる。
法案審議と疑惑解明を明確に区別して、別々の場で議論するべきだとの改革案も出されているが、与党は法案がなければ疑惑追及に応じない。与野党で国会に求めるものが異なっており、同床異夢である。
6審議の大詰め
与党が四苦八苦しながら着々と法案審議を進めていくと、「過去の例から見ても〇〇時間の審議をしたから、そろそろ採決を」と提案する。それでも、野党は様々な方法で抵抗し、採決の日程を遅らせようとする。
国会法や先例、慣行などによって、野党が日程闘争に利用できる方法はいくつもある。特に会期制度は利用価値がある。会期を越えて法案は継続して存在せず、仮に継続したとしても審議はゼロスタートに戻るという「会期不継続の原則」である。
野党は、役所の資料の間違いを指摘し、大臣の答弁にクレームをつけ、与党が強行策に出れば委員長の解任決議案を出し、あるいは大臣不信任を提出し、採決を先送りにしようとする。それでも、短ければ数時間、長くても数日、法案の成立を遅らせる結果にしかならない。かつては議長を軟禁し、採決では長時間の牛歩を繰り広げた。特に、「牛歩」が近年では行われなくなり、与党の議員も野党の議員も疲労困憊するまでの本気の徹夜国会がなくなったため、抵抗するにしても演説をちょっと長くやる程度であり、そう時間はかせげない。議論の中身がゼロである牛歩は国会の非効率さの象徴のように批判されたからである。
結局のところ、こうした抵抗は法案を廃案に追い込む、あるいは修正をさせるということにはなかなかつながらない。修正するにしても、施行期日を修正する、何年後かの見直し規定を設けるなど、法案の骨格部分は何も変えずに野党のメンツを立て、反対の勢いを和らげる程度のものが多い。時間が切羽詰まってくれば、与党は強行採決をし、あるいは中間報告を求めて委員会から法案を取り上げて早い結論を求める。
こうした様々な背後事情を抱えているだけに、政策論争の場としてよりも、権力闘争の場としての議会が優先してしまい、日程闘争はなかなか変わらない。同じ場で議論していながらも、与野党の思いは全く別のところにあり、それゆえに審議の在り方の国会改革はなかなか進まない。
7野党の抵抗はどこまで可能か
野党は、熟議を通じて法案の問題点を洗い出し、法案をより良いものにするための修正を考えていくべきか?与党も必ずしも党議拘束に縛られず、納得のいく内容があれば修正を認めていくべきか?野党が提起した問題が本当に重要なものであれば、世論も同調し、与党も無視できなくなり、場合によっては廃案に追い込むこともありえるのか?
しかしながら、このような状況は野党だけがいくら頑張っても、ほとんど起こりえないのがこれまでの歴史である。
とはいえ、起こったことは僅かだがある。かつて、鳩山内閣の小選挙区法案(1956年)、岸内閣の警察官職務執行法案(1958年)、中曽根内閣の売上税法案(1987年)、海部内閣のときの政治改革法案(1991年)などが廃案になったこともある。PKO法案は成立させるまでに何回か廃案を経た。これらは戦後の草創期の法案や政策の歴史的転換を図る法案である。野党の激しい抵抗だけではなく、与党内からの反対論が巻き起こった。自民党が派閥の集合体であり、党内の価値観が多様であり、党内力学、政局から反主流派を中心に法案に対する反対が強まり廃案とせざるをえなくなった。派閥の存在は、与党内での多元的価値を反映させており、国会で拙速な結論を出すことを防止するのに役立っていた。しかし、与党内の争いは過剰な金権政治の原因とマイナス要因とも考えられ、与党議員が選挙で競う中選挙区制から小選挙区・比例代表並立制、政党助成金制度がとられると、一部の党幹部に公認権、政治資金の権限が集中するようになり、次第に派閥の存在感は低下し、与党の自己批判的な姿勢の契機も失われるようになった。
ただ、現在は、結果の伴わない日程闘争-それは与野党ともに責任があるのだがーになってしまっている。与野党の間で、かつての消費税法案やPKO法案のように修正協議が整うこともあったが、これらは歴史的転換を図る超重要法案で長い時間をかけて与野党で下準備をした結果であり、概して決定的に重要な修正がされることは多いとはいえない。修正協議は日程闘争の中に埋没している。批判し、対決することも議会政治の一つの本質である以上、喧嘩している最中に仲良く協議とはなかなかいかない。
(続く)
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