衆議院議長とは?ー国権の最高機関の長とは何なのか?(1)
岸井和
2021.09.22
1議長はどうやって選ばれるのか
①衆議院議長の選任と資質
②衆議院議長の選挙と権威、公平性、中立性
ⅰ戦後初期、多党制のなかでの議長選出―理念なき多数派工作による議長ポスト決定
ⅱ自社二大政党制下の正副議長選出
ⅲ近年の議長選挙をめぐる与野党の対立
ⅳ正副議長の党籍離脱
衆議院、参議院の各議長はどうやって選ばれ、何の仕事をしているのか?立法、行政、司法の国家の統治機構の三権分立の原則から、国会の議長は内閣総理大臣、最高裁判所長官とともに「三権の長」とも呼ばれる(「三権の長」ではあるが衆参両院は各々議長が存在するため4人いることとなる)。三権の長は日本の公務員としては最高額の給与を支払われ、最高位である大勲位菊花章や桐花大綬章を授与される(衆参議長経験者は通常は桐花大綬章)。
最高裁長官は司法を統括する立場の人間として最高裁の判決や司法行政の長であることは漠然とではあるにしても理解はできよう。また、総理の仕事は日々の新聞で報道され、国会審議や記者会見の場で国民の目に触れることも多い。しかし、議長は何をしているのだろうか?議長の仕事は見えづらい。
それでも、まず、思いつくのは、国会の本会議で議場の中央に座り、議事を取り仕切る姿であろう。しかし、これは平時であれば大した仕事ではない。本会議の議事は予め決まっており、その進行にそって次第書と呼ばれるセリフを事務方が準備し、議長はそれを読み上げているだけである。しかも、議事内容を決めるのは建前としては議長ではあるが、実際に決めているのは議院運営委員会であり、議長はお膳立てされたとおりに進めるだけである。本会議の大半は2時間もかからないが(国会の日程と攻防(1)参照)、議長がずっと座り続けているわけではない。議事の流れも所要時間もあらかじめわかっているので、長時間の本会議では途中で副議長と交代する(ただし、重要な議事では議長が議長席を譲ることはしない)。
憲法には議長に関する規定は少ない。「両議院は、各々その議長その他の役員を選任する。(58条1項)」の議院の自律権を定めたものと「両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。(56条2項)」の可否同数の場合の議長の決裁権を定めたものだけである。会議の議長は必要ではあろうし、議長が決裁権を行使したのは戦後では参議院での2回のみであり1)1975年7月4日政治資金規正法改正案(河野謙三議長)、2011年3月31日国民生活等の混乱を回避するための平成二十二年度における子ども手当の支給に関する法律の一部改正案(西岡武夫議長)。いずれも可決とした。、これでは議長の仕事の内容は分からない。
議長のより具体的な権限は、後述するように主として国会法で定められている。しかし、現実には国会法で定められた権限ですら議長が主体的に行使することは稀である。ほとんどは委員会の委員長や事務局に任せてしまっており、議長が公の前に顔を出して活動するのは本会議の場くらいということになるのである。
1議長はどうやって選ばれるのか?
議長の選任は、各議院における選挙で行う(国会法6条、23条)。衆議院では総選挙後の特別国会の召集日に行われる。特別会召集日には内閣は総辞職する(憲法70条)ので新たな総理を指名しなければならず、憲法では総理の指名は「他のすべての案件に先立つて、これを行ふ」(67条)となっているが、それ以前に議長の選挙を行う先例となっている2)憲法第六十七条には、内閣総理大臣の指名は、他のすべての案件に先立って行う旨規定されているが、国会の構成に関する案件は、内閣総理大臣の指名に先立って行うのが例である。」(衆議院先例集66) 国会の構成に関する案件とは、正副議長、常任委員長の選挙などであるが、常任委員長については組閣人事と連動するため、議院運営委員長以外は総理指名の後に行われることが多い。。総理指名の議事を主催する者をまず決めなければならない。議長を決められないため総理指名が遅れたこともある。なお、特別会召集日の正副議長選挙の議事の職務は事務総長が代行する(国会法7条)。
参議院では議長が任期中であっても通常選挙後の臨時国会の召集日に議長が辞任し改めて選挙を行う慣例である。衆参ともに議長が辞任した場合、死亡した場合は会期途中でも直ちに後任の議長選挙を行う。
正副議長は、当選すると直ちに演壇で就任の挨拶を行う(その後、議員中の年長者が祝辞を述べるのが慣例)。これは、単に挨拶を行うということ以上に大きな意味を持つ。つまり、選挙結果が議院で宣告されると直ちに正式に正副議長に決まることを表している。総理は国会での指名を受けても直ちに総理とはならない。天皇の任命行為があって正式に総理となる(憲法6条1項。2項では最高裁判所長官の天皇の任命行為について規定)。これに対して議長については天皇の任命はない(議長就任後、天皇に就任挨拶には出向く)。議長が辞任する場合も本会議での辞任許可により直ちに職を解かれ(国会法30条)3)衆議院では1952年の閉会中に林讓治議長が岩本信行副議長に辞表を提出し、岩本副議長が即日辞任を許可したことがある(後任の議長選挙は次国会の召集日に行われた)。在任中の議長逝去(幣原喜重郎議長1例のみ)を除くと議院の議決によらない議長の辞任許可はこの1例のみである。、衆議院解散時には解散と同時に職を失う。
明治憲法下においては、議長は勅任官として位置づけられ、就任するためには天皇の任命が必要であった。このため、衆議院は選挙により議長候補者を3名選び、そのうちの1名が天皇によって議長に任命された4)議院法3条「衆議院の議長副議長はその院において各々3名の候補者を選挙せしめその中よりこれを勅任すへし」。ただ、議院で選ばれた第一候補者を天皇が任命する慣行となっていた。しかし、現行憲法では議院の自律権が定められ(58条)、議院の意思によってのみ議長が選任される。したがって、選挙後挨拶をし、直ちに議長席に着いて議事を行っている。
①衆議院議長の選任と資質
議長選挙は無名投票で行われる(衆院規則3条2項、13条2項、参院規則4条2項、13条)。無名投票とは、投票用紙に被選挙人のみを記し、投票者を記さないことである。総理指名は記名投票であり(衆院規則18条、参院規則20条。投票者の氏名を記載しないと無効となる)扱いが異なる。これは、議長は党派性を越えて公平・中立な議会運営を行うべきとの考えに基づいており、仮に党の方針と違う者に投票したとしてもそれを明らかにしないことで議長の公平性を担保しようとする意図である。総理指名においては党派性が表面に出るのとは理念が異なる。
議長の公平性という要請はすでに帝国議会時代には存在しており、大正14年3月24日の議事規則改正に関する希望決議では「…議長ノ職ニ膺ル者ハ不偏不党厳正公平タルコトヲ要スへキヤ論ヲ俟タス…」とあり、その考えは国会になってからも続いてはいた。議長選挙では公平性を前提に選出されてはいるものの、与野党の攻防の成り行きでは議長は苦渋の選択を強いられることもあり、それが議長不信任や辞任の理由ともなった。それでも、少なくとも選出の際は、議長の中立性、公平性ということを前提として先例が築かれた。
議長選挙は立候補制ではない。特別会召集日近くの各派協議会(議院運営委員会はまだ機能していないので各会派の代表者の会議)で、与党は「与党としては〇〇君を議長候補者としたい」、野党は「副議長候補者として〇〇君を推薦したい」と提案し、概ね与野党ともにそれを受け入れる。議長は与党第一党から、副議長は野党第一党から選出されるのが慣例である。こうして与野党の交渉がデッドロックに乗り上げたとき、中立、公平な議長が「駆け込み寺」として機能する土壌が準備される。
総理(明治憲法下)と衆議院議長(現行憲法下)の両方を経験した唯一の人物として幣原喜重郎がいるが、現在では法的な問題としてではなく、政治的な問題として議長経験者が総理となるべきではないという暗黙の了解がある5)ただし、衆議院議長経験者が退任後に入閣したことはある。1954年に大野伴睦が北海道開発庁長官(吉田茂内閣)、1957年に松永東が文部大臣(岸信介内閣)、1959年に益谷秀次が副総理兼行政管理庁長官(同)、1972年の中村梅吉が法務大臣(田中角栄内閣)にそれぞれ就任した。中村以降は衆議院議長経験者が大臣となった例はない。これは、少なくとも、議長本人あるいは自民内での議長職に対する意識が変化してきたことを見て取れる。。それは、中立、公平な議長を経験した者が再び強い党派性を持った総理を行うべきではない、総理になろうとする者が議長になることは、議長に求められる資質に相反するという議会人としての見識でもある。前尾繁三郎議長は田中角栄の後継に名前が挙がったが、衆議院議長が首相に横滑りするのは筋が通らないとして固辞したとされる。小渕恵三は総理になる可能性を探って衆議院議長を断った。他方で、総理経験者の芦田均は衆議院議長候補者として何度も名前が挙がり、本人も意欲を示したこともあるが政治情勢から頓挫した。
脚注
本文へ1 | 1975年7月4日政治資金規正法改正案(河野謙三議長)、2011年3月31日国民生活等の混乱を回避するための平成二十二年度における子ども手当の支給に関する法律の一部改正案(西岡武夫議長)。いずれも可決とした。 |
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本文へ2 | 憲法第六十七条には、内閣総理大臣の指名は、他のすべての案件に先立って行う旨規定されているが、国会の構成に関する案件は、内閣総理大臣の指名に先立って行うのが例である。」(衆議院先例集66) 国会の構成に関する案件とは、正副議長、常任委員長の選挙などであるが、常任委員長については組閣人事と連動するため、議院運営委員長以外は総理指名の後に行われることが多い。 |
本文へ3 | 衆議院では1952年の閉会中に林讓治議長が岩本信行副議長に辞表を提出し、岩本副議長が即日辞任を許可したことがある(後任の議長選挙は次国会の召集日に行われた)。在任中の議長逝去(幣原喜重郎議長1例のみ)を除くと議院の議決によらない議長の辞任許可はこの1例のみである。 |
本文へ4 | 議院法3条「衆議院の議長副議長はその院において各々3名の候補者を選挙せしめその中よりこれを勅任すへし」 |
本文へ5 | ただし、衆議院議長経験者が退任後に入閣したことはある。1954年に大野伴睦が北海道開発庁長官(吉田茂内閣)、1957年に松永東が文部大臣(岸信介内閣)、1959年に益谷秀次が副総理兼行政管理庁長官(同)、1972年の中村梅吉が法務大臣(田中角栄内閣)にそれぞれ就任した。中村以降は衆議院議長経験者が大臣となった例はない。これは、少なくとも、議長本人あるいは自民内での議長職に対する意識が変化してきたことを見て取れる。 |
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