THE FACTS-衆議院議長(帝国議会編(1))

THE FACTS-衆議院議長(帝国議会編(1))

岸井和
2022.06.30

    議長の在任期間、辞任、就任年齢、出身大学、
     議員となる前の職業、議長退任後の政府役職

明治憲法下の帝国議会は1890年(明治23年)11月に始まり、1947年(昭和22年)3月までの57年間続き、第92回議会をもって終わりを告げた。この間、38代の衆議院議長が誕生し、再任を除くと28人の議長が存在した。平均して約1年半の在職となる。この中で、片岡健吉議長は連続して4期、楠本正隆議長は連続3期、大岡育三議長は3期、長谷場純孝、奥繁三郎、粕谷義三の各議長は2期議長を務めている。

ここでは、帝国議会時代の衆議院議長の就任年齢、在任期間等について、その記録を簡単に列記していきたい。

 

1在任期間が長い衆議院議長

  • 帝国議会時代には延べ38人、再任を除くと28人の衆議院議長がいたが、通算在任期間が1000日を超えたのは上記の8人である。
  • 帝国議会では衆議院において三名の議長候補者が選挙・奏上され、そのうちの最多得票者が宮中に参内して勅任された。議院の自律性への配慮と勅任官扱いの議長の立場を調和させる手続きであった。
  • 大岡議長は山口県出身、弁護士、東京市会議長。自由党、立憲政友会所属。後に文部大臣。在任期間は河野洋平議長に抜かれるまで最長記録。
  • 片岡議長は高知県出身、自由民権家、立志社設立、自由党結成に協力。議長在職中に死去。4度の議長就任は歴代最多。
  • 小山議長は長野県出身、新聞界、名古屋市議。憲政会、立憲民政党所属。西尾末広、斎藤隆夫議員除名のときの議長。
  • 粕谷議長は埼玉県出身、新聞界、実業界、埼玉県議。自由党、憲政会、立憲政友会所属。大正14年の議会の乱闘・大混乱の収拾策として党籍離脱。昭和2年の議会混乱の責任を取り辞任。

 

2衆議院議長が任期途中で退任した例

  • 議長の任期は総選挙後の議会で選ばれてから、議会の任期満了、解散までの期間を原則とする。しかし、帝国議会時代、延べ38人の議長のうち、死亡、除名、議員辞職、議長辞任によって任期途中で退任した者は16名にのぼる。
  • 議長の辞任は辞表提出後、勅許を得て正式な辞任となる。
  • 議長は勅任ではあったが、歳費は各省次官と同じであった。したがって、大臣就任のため議長を辞任するということは給与から見ても外形的にステップアップともいえた(議長退任後に次官となった例もあるが、これは横滑りともいえる)。また、貴族院議員となるために議長を辞任することもあったが、貴族院議員の方がステータスが高くみなされていた証でもあろう。
  • 帝国議会は特に草創期はしばしば混乱し、議場内での暴力行為もみられ、議長の議事整理が困難なことも多かったが、議事運営上の問題で辞任に至ったケースは多くはない。星議長、粕谷議長、樋貝議長などである。
  • 星議長は江戸の左官職人の息子で、頭脳明晰、豪放磊落であるが強引な手法から政敵も多かった。議長不信任案が可決されても「天皇の勅任」であるとして職を辞さず、議院は議長解任を求める上奏案を可決するが、「議会自ら不明なりしとの過失」と議会の怠慢を責めるものの直接関与しないことを示す勅答が下った。このため議院は星を一週間の登院停止処分としたが、星は時が過ぎると議長席に戻った。再度懲罰にかけられ除名処分に決した。星議長問題で議会は半月以上も紛糾し、最終的には議員除名により議長職も解かれた。(国会の攻防(3)参照)
  • 粕谷議長は名議長との声もあり、議長の党籍離脱の慣行の先駆けとなった。しかし、昭和2年の金融恐慌時の予算審議において議場内で議員の負傷者が出るなど大紛糾したため、事態沈静化のために辞任をした。
  • 秋田議長は、大正14年の粕谷議長以降慣例になっていた党籍離脱を拒否し、政友会の党籍を有したまま議長に就任した。しかし、党の内紛に不満を募らせ突如離党するとともに議長も辞任した(議員辞職はしなかった)。
  • 小山議長の時代に衆議院議員の任期を1年延長する特例法が成立し、小山議長の在任は一任期で4年を超えた(4年5月)。この間に大政翼賛会が結成され、事実上、政党がなくなった。開戦のタイミングで人心一新のため議長を辞任した。
  • 樋貝議長は法制官僚出身で当選一回で議長に就任したが、議会の運営には素人であり稚拙であった(議長選挙では三木武吉が1位であったが、公職追放により2位の樋貝が議長に勅任された)。樋貝は憲法改正の委員会審査の経緯を飛び越して、総理などの政府要人と皇室財産の扱い規定について協議を行ったため、議会軽視、議長不適格として野党の強い反発をかい、議長不信任が提出された。議長自ら本会議で弁明を行い、不信任自体は否決されたものの、議長職にとどまることはできなかった。

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