国会の日程と攻防(日程闘争の場としての国会)(5)
岸井和
2021.09.05
1日程闘争
2儀式としての本会議
3国会審議は政府がコントロールしている
4国会議員は審議の主役たりえるのか
5野党活躍の場―国政調査、スキャンダルの追及
6審議の大詰め
7野党の抵抗はどこまで可能か
8日程闘争に意味はあるのか―「働き方改革法案」
9国会をどう修正するか
対案から修正へ
質問から討議へ
バイカメラとしての衆参
通年会期制
9国会をどう「修正」するか
帝国議会から国会に代わって、すでに74年が経っている。国会審議の全く新しい方式を作り上げてもよい時期ではないか。国会の慣行は固定化し、その枠組みの中で硬直した審議が続けられている。
大きな前提としてまず考慮しなければならないのは、選挙で勝った政党が政策も議会運営も支配するということである。勝利政党が何でも好き勝手なことができるということではないし、少数意見を無視してもよいということでもないが、政策に掲げた事項を実行するにあたっては、選挙での正当性を背景に、最終的には多数決の原理で決定するということを受け入れるのが民主主義である。
英国でもthe Winner takes allとさえ言われる。政策決定や議会運営は与党が主導する。当然政策への批判は行われるべきであり、その批判の程度によっては政策を撤回することもあるし、次の選挙で敗北することもある。それにしても、「多数の横暴」とこれほど非難を受ける国は日本しかない。自民党政権があまりにも続き、野党の憤懣のやり場がなく、また、恒常的権力者に対する国民の目は厳しい。国会運営の全会一致の原則は日本人の心理にもマッチしているのかもしれない。だが、度重なる「横暴」にもかかわらず、自民党はほぼ選挙で勝ち続けている。
「日程協議」「つるし」「定例日」「解任・不信任」などの審議の本質から見れば枝葉末節な部分に労力が大きく割かれ、結論としては「建設的ではない」と評価される国会をどうするべきなのか。これまで効果がなかった細かな審議方式の改革よりも、まず、これまでの永田町的常識を転換して、過去の審議方式を抜本的に見直す知恵と勇気が必要かもしれない。
※図はクリックで拡大します<PDFはこちら>
①対案から修正へ
「議員立法の活性化」という議員立法(特に対案)への信仰も捨ててもよい。その代わりに修正案を提出する。委員会においては、特段の要件もなく、修正案は提出できる。きれいに一つにまとめて提出するのではなく、問題点ごとにいくつもの修正案を提出する。しかも採決直前ではなく、審査中に提出して議題とすることで、原案に対し問題がどこにあるのか、どう修正すべきなのか、焦点が絞られ、国民から見てもわかりやすくなる。直接に関係のないスキャンダルを議論する余裕もなくなり、法案内容に集中できる。修正案ごとに都度採決を行う。
修正案が数多く提出されれば、それを整理するのは手間がかかるが、それは委員長や事務方の重要な仕事となる。
②質問から討議へ
今の審議形態は「質問」である。議員が大臣に質問をし、大臣が説明をする。他国を見てもわかるように、大臣がこんなに頻繁に委員会に出席する国はない。なぜなら法案審議が「議員間の討議」であるからである。与党議員と野党議員、政府代表者が、原案や修正案について、正しいか間違っているかを議論している。政府の説明を聴いてそれを批判する審議形式ではなく、議員同士が法案の是非について議論するのが議会である。議員立法でなくても、議員主体の国会は成り立ちうる。現状は大臣主体の国会審議になり、大臣がいなければ開会できないのはお粗末ですらある。
大臣がいない場合でも審議を進めるのであれば、定例日はほとんど問題ではなくなり、熟議にもつながり、何よりも国会議員が主役の議会となる。政府は国会審議をコントロールできずに不安を感じ、与党議員への負荷は格段に増すであろうが、与党の事前審査や委員会の定足要員にしかなっていないことを批判するよりもよほど建設的な改革となる。
③バイカメラとしての衆参
衆参の審議の在り方を異なったものにすべきである。現在は、両院とも同じ審議方式で、同じ議論の繰り返しであり、違った観点から法案を吟味するという本来の二院制の趣旨を生かしていない。調査会制度や決算審査の充実といった独自色を出す試みもなされているが審議の基本については衆議院と同じようなものである。例えば、参議院は読会制度を採用し、逐条審議も取り入れることにしたらどうか。憲法を変えなくても国会法を変更すれば実現可能である。
以前、小泉総理が衆参で施政方針演説をそれぞれ行うことは無意味だと批判した。確かにおっしゃるとおりで、一言一句変わらない演説を二回続けて行うことにどれだけ意味があるのか?両院合同でできないのか?各院でそれぞれ3分の1以上の出席がなければ議事は開けないと憲法が定めていることがネックになるとされているが、施政方針演説を議事ではないとする解釈も可能である。その上で、完璧なカーボンコピーが憲法の趣旨であると解するのはほとんど馬鹿げている。こんなことも不可能だとしたら国会改革など何もできない。
④通年会期制
会期制も問題が多い。短期の会期が年に2~3回ある制度では、どうしても野党は反対法案については時間切れを狙いたくなる。度重なる参議院の会期末の混乱は不毛としか言いようがない。通年会期制、これは民主主義国家のグローバルスタンダードである。農閑期に議会を開く、国王(政府)の都合に合わせて議会を開くという前近代的な風習から脱却できていない。現代では政治は国民生活の細部にまで関係し問題は日々生じ複雑化しており、法案も時間にゆとりをもって議論することが重要である。通年会期は野党にとって不利だとは限らない。スキャンダル追及はいつでもできることになる。与党は法案審議の時間は確保できるが、都合の悪い時も国会は開いていることとなる。
日本の憲法は会期制を前提にしているのは確かであろうが、それは運用次第では通年会期制とすることは可能である。田中内閣の時(1972~73年)は実質的な通年会期制であった。
上に挙げた改革はわずかだが大きなもので、おそらく議会関係者は誰も触りたくないものであろう。憲法に反する、国会法に反する、先例に反するとやらないための理由はいくらでも出てくる。しかし、その根本にあるのは、改革は常に与党が有利か野党が有利かの問題に突き当たることである。あるいは、衆参を跨ぐ改革は衆議院の権限拡大につながり参議院軽視だという反対論に行きつく。その有利不利がはっきりしなし場合でさえも、与野党ないしは参議院はともに自分が不利だと漠然と解釈して改革に反対する。その各党の思惑が国会改革を阻んでいる大きな要因である。
国会には構造改革が必要である。長年にわたって国会審議が建設的ではないという批判が続くのは構造的に問題を抱えおり、それを克服できないからであろう。国民から見て機能している国会となるために、単なる弥縫策ではなく大胆な改革を目指さねばならない。
(この項終わり)
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