国会のコスト(4)

国会議事堂

議員の歳費、手当と国会のコスト(4)
― 文書通信交通滞在費

岸井和
2019.09.13

次は手当類である。戦後の手当は名目や金額の改変が行われてきており、その変遷は下の図1のとおりである。

現行の手当は大きく分けて、文書通信交通滞在費、立法事務費、旅費、議会雑費からなる。手当であるから、費用弁償的な性格のものではあるが、その必要性や透明性、課税・非課税扱いについては批判も受けている。特に、文通費については、その金額も大きいことから批判の対象となることが多い。

 

4.文書通信交通滞在費(文通費)

文通費は、「議員は、公の書類を発送し及び公の性質を有する通信をなす等のため、別に定めるところにより手当を受ける。」との国会法38条の規定を受け、歳費法9条において「各議院の議長、副議長及び議員は、公の書類を発送し及び公の性質を有する通信をなす等のため、文書通信交通滞在費として、月額百万円を受ける。」と定められている。衆参両院議員に対し年間総額で85.2億円支払われることになる。

この文通費は、新国会になった時から存在していた通信費、滞在雑費及び1948年(昭和23年)に新設された審査手当(のちに審査雑費に名称変更)の三種の手当に始まりをもつ。

通信費については、歳費法で「通信費として月額125円」と定められたのが最初である1)歳費法が制定されたのは帝国議会時代の昭和22年3月であり、その施行は国会法施行の日からとなっていた。国会法施行日は昭和22年5月3日である。当時は電報の費用が嵩んだようである。逐次増額されていくが、1963(昭和38年)10月には通信交通費に名称が変更されるとともに、月額5万円から10万円にはねあがった。

滞在雑費は、当時は議員会館や議員宿舎もなく、国会で東京に滞在するために種々の雑費が必要となるので、日額40円を支給されていたものである。1947年(昭和22年)に両院議長決定された手当等支給規程2)国会議員の歳費、旅費及び手当等支給規程10条に「召集に応じた日から会期の終了日までの間、日額40円の定額によって支給する」と規定したが、予算がかかるにもかかわらず、法的根拠は欠いたままの支給されていた3)終戦後の昭和21年の帝国議会において、帝国議会各議院の議長、副議長及び議員の手当に関する法律が制定され、宿舎難に対応するため議会の成立から閉会までの間(議会が開かれている間)、日額40円を特別手当として支給することとなった。この法律は新憲法下では廃止されたが、手当は滞在雑費として新国会でも残されたことになる。なお、同法では、歳費額が決定するまでの応急措置的な歳費外手当1,500円も認めていた。。その背景には、戦後まもなくには物価が上昇し、歳費だけでは東京の宿泊費にすら困窮するものがあり、衆参議員が滞在費の日額についてGHQに陳情に出向くという事情もあった4)昭和22年11月19日参議院議院運営委員会会議録。その後、逐次増額され、1966年(昭和41年)に滞在雑費が統廃合された時点では日額4,000円であった。

審査手当は、1948年(昭和23年)になって各委員会が閉会中も継続審査を行うようになったことから導入された。つまり、閉会中に委員会審査が行われる場合には、開会中の滞在雑費と同様に議員に手当を支払うべきだとの議論となり、閉会中の「出席日数に応じて日額300円の定額によって手当を受ける」ことが法制化された5)国会閉会中委員会が審査を行う場合の委員の手当に関する法律。審査手当も逐次増額され、1951年(昭和26年)に日額750円から1,500円へと引き上げられたが、このとき、法律により名称が審査雑費となる6)国会閉会中委員会が審査を行う場合の委員の審査雑費に関する法律。1957年(昭和32年)には閉会中の委員会開会回数が多い場合でも総支給額の上限を設けるとの趣旨から月額2.5万円に改められ、1966年(昭和41年)の手当統廃合の時点では月額6万円であった。

前述の1964年(昭和39年)の歳費値上げに対する世論の批判は、各種手当にも波及した。1966年(昭和41年)の「議員歳費等に関する調査会7)座長は宮澤俊義氏(東京大学名誉教授) 」の答申では、通信交通費は月額15万円程度(10万円から)を実費弁償的な性格のものとして支給することとし、また、滞在雑費と審査雑費は廃止し、新たに議員の国政に関する調査研究活動の強化を期待して調査研究費として月額10万円程度を支給し、かつ課税の対象とすることとされた。手当を整理合理化した上で非課税の取り扱いを一部廃止するものではあるが、手当総額は増額となり、手取りはほぼ変わらない仕組みであった。これを受けて歳費法が改正され、昭和41年4月1日から滞在雑費と審査雑費の廃止、新たな調査研究費の新設が決められた。

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1974年(昭和49年)には通信交通費(23万円)と調査研究費(10万円)が統合され、文書通信交通費(35万円)となった。増額分はさほど大きくはないが、調査研究費分が非課税となり旧に復し、手取り額としては大幅な増額となる。文書通信交通費はその後も逐次増額されていくが、1993年(平成5年)には滞在費を追加して名称を文書通信交通滞在費と変更した上で、75万円から100万円へと大幅に引き上げられた。大幅増額の理由とするために、名称変更し、新たな費用を付け加えている。

その後、文通費の金額は変更されていないが、問題点は指摘され続けている。その論点は、非課税であること、使途の報告や公開の義務がないことである。国会議員への第二の給与とも言われるように、何ら制限もなく自由に個人的な出費に充てることも可能な制度となっている。しばしば歳費削減はされるが、それを国会議員が甘受する理由の一つに、文通費があるからだともいわれている。

2001年(平成13年)の衆議院議長の諮問機関「衆議院改革に関する調査会8)座長は瀬島龍三氏(NTT相談役) 」の答申においても、議員活動にかかる経費の透明性を高めるために、「立法事務費及び文書通信交通滞在費は実費弁償的なものであり、議員活動に必要不可欠であるものの、領収書等を付した使途の報告書の提出を義務付け、報告書を閲覧に供するべきである」とされたが、議員の間ではあまり議論された形跡がない。地方議員の務調査費についてすら収書添付が進んでいるにもかかわらず、国会議員の文通費の透明性は著しく低いのは問題である。文通費は実費弁償としての性格を持つものであるから、非課税措置については是とするものとしても、その使途は明らかにすべきである。文書通信交通滞在費のうち、交通費と鉄道パス等、滞在費と議員宿舎との関係、整合性についても議論されるべきことである。

(続く)

脚注

脚注
本文へ1 歳費法が制定されたのは帝国議会時代の昭和22年3月であり、その施行は国会法施行の日からとなっていた。国会法施行日は昭和22年5月3日である。
本文へ2 国会議員の歳費、旅費及び手当等支給規程
本文へ3 終戦後の昭和21年の帝国議会において、帝国議会各議院の議長、副議長及び議員の手当に関する法律が制定され、宿舎難に対応するため議会の成立から閉会までの間(議会が開かれている間)、日額40円を特別手当として支給することとなった。この法律は新憲法下では廃止されたが、手当は滞在雑費として新国会でも残されたことになる。なお、同法では、歳費額が決定するまでの応急措置的な歳費外手当1,500円も認めていた。
本文へ4 昭和22年11月19日参議院議院運営委員会会議録
本文へ5 国会閉会中委員会が審査を行う場合の委員の手当に関する法律
本文へ6 国会閉会中委員会が審査を行う場合の委員の審査雑費に関する法律
本文へ7 座長は宮澤俊義氏(東京大学名誉教授)
本文へ8 座長は瀬島龍三氏(NTT相談役)

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