国会の攻防(1)

国会の攻防(1)
─ 国会の決議、内閣不信任決議

岸井和
2020.08.04

1国会の決議とは?

(1)国会の決議

国会の権能は立法、予算の議決、総理指名、国政調査など多岐にわたり、それぞれ憲法などの法規で根拠規定が定められている。この多岐にわたる国会の権能の中の一つに決議権がある。決議は、国政上の問題について何らかの意思表示を行うものであり、直接の根拠規定が存在しなくても議院の当然の権能として認められている。

決議については両院関係は存在せず、各院が単独で決議を行う。一般に「国会」の決議と称されるが、「院」の決議である。また、本会議だけではなく、委員会においても決議を行っているが、本会議に上程されることはなく、関連する議案の委員長報告の際に付言されることはあっても議決対象とはならない。

決議の内容的は多岐にわたる。院内の事項に関する決議もあれば、院外の問題に対する決議もある。衆議院先例集では「決議は、内閣に対する不信任、特別委員会の設置、国交又は領土に関する意思表明、感謝、表彰、祝賀、慰問、弔詞その他国政に関する諸般の事項に関して、これをする」とあり、決議の内容についてはこれといった制約はなく、何らかの国政とのつながりがあれば、何についてでも決議を行える。内政外交に関する諸般の事項についての決議は、特に「政策決議」と呼ばれることがある。

決議は広範な内容で行われる一方で、それぞれに具体的な法的根拠が存在しないことがほとんどである。したがって、決議はその場限りの意思表示で終わるような場合(例えば、祝意表明の決議)はさておき、政府に対する決議のような場合は、「内閣は行政権の行使について国会に連帯して責任を負っていることから各議院の決議は、内閣に対して政治的・道徳的拘束力を有している」が、「内閣に対する要望、勧告、警告等又は単に意見の表明といった内容を有し、法規範をうちたてるものではないので、たとえ両院一致の決議であっても、法律と同様の効果を認めるわけにはいかない」1)浅野一郎 「新・国会事典第2版」 有斐閣 2008年7月。決議の内容が実質的に政府に対する政治的な拘束力を有しそれに違反する事態が生じたとしても、直ちに違法無効とはならならず、国会としては別の方法で責任を問うしかない。決議の対象が政府である場合はまだしも、例えば北朝鮮のミサイル発射に抗議する決議2)ミサイル、飛翔体、人工衛星等、その時々で名称は変わっているが北朝鮮のミサイルに関連する決議は衆議院だけで8回行われている(143国会(1998)、171国会(2009)2回、180国会(2012)2回、190国会(2016)、193国会(2017)、195国会(2017) )。ただし、北朝鮮がミサイルを発射するたびに必ず決議を行っているわけでなく、政治的な判断次第で対応は一様ではない。を北朝鮮が無視してもその対応には限界がある。あるいは、議員辞職勧告決議3)過去の議員辞職勧告に関する決議案が本会議で可決された例は衆参で4例(140国会(1997)友部達夫参議院議員、154国会(2002)鈴木宗男衆議院議員、156国会(2003) 坂井隆憲衆議院議員、164国会(2006) 西村真悟衆議院議員)あるが、決議を受けた議員辞職は1例もない。が無視されたとしても当該議員に対する具体的制裁は行われない。

決議の内容の効力がいつまで続くのかも政治的な判断となり、定かではない。「決議の有効期間については、明確な先例もないので、決議の目的、性格などを勘案して個々の決議ごとに判断するほかはない4)上田章「国会決議の法的考察」平成2年12月 議会政治研究」。1954年(第19回国会)に参議院本会議において「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」が議決された。それから36年後の1990年(第119回国会)の国際連合平和協力法案の審議の際に、自衛隊の海外派遣が決議に反しているのではないかとの質問が衆参両院で行われた。政府は決議は尊重するとしつつも事情が変化したことと派遣は派兵ではないことを理由に決議違反ではないと説明したが、決議についての有効性についての議論は決着を見なかった。

 

(2)不信任決議(案)等

以上のように、一般的に決議は頻繁に広範囲に行われているにもかかわらず、その法的根拠は存在しないことが多く、その効果そのものや有効期間については非常に曖昧である。本稿では、こうした多種多様な決議の中で、主として与野党の政治的攻防の道具として用いられる内閣不信任案決議、国務大臣不信任決議、内閣総理大臣問責決議、国務大臣問責決議、議長不信任決議、副議長不信任決議、委員長解任決議(以下、これらを総称して不信任決議(案)等とする)についてみていきたい。

不信任決議等についても、決議一般に伴う法規の欠如、曖昧さの問題はつきまとっている。不信任決議等で、法的効果が明示されているのは、内閣不信任決議と委員長解任決議の2つである5)賛成者の人数等、決議案提出のための要件が法定されているのは衆議院の正副議長並びに内閣への信任・不信任決議案、衆議院の委員長への解任決議案のみである。ただし、正副議長への信任・不信任決議については、衆議院規則において提出要件は定められているものの、議決された際の効力については言及がない。。他の不信任決議、問責決議については、法的効力はなく、可決されれば政治的・道義的問題が生じるだけである。議長不信任決議案が可決されても議長は議長職を解任されるわけではないし、内閣総理大臣問責決議案が可決されても総理は辞任しなければいけないわけではない。可決された場合は、その後の政治的状況を考えて、本人が進退を考えることとなる。このなかで、法的責任と政治的責任とのどちらが大きい責任となるのかは容易に判断できない。

 

(3)参議院の問責決議と政権

参議院において内閣総理大臣問責決議案が可決されたときは問題が複雑となる。内閣は国会の信任を前提に行政権を行使している。問責決議案可決は野党が多数を握る参議院が内閣を信任しないということになる。他方で、衆議院は与党が多数を持っており、内閣を信任している状態にある。つまり、国会の半分は内閣を信任し、半分は内閣を信任していないこととなる。内閣総理大臣の指名において衆議院が優越しており、内閣不信任決議案が衆議院においてのみ認められる権能であることを考えれば、衆議院の信任を得ていればそのまま内閣は存続できることになろう。そもそも、このような場合、参議院は当該内閣総理大臣を指名していない、違う人物を指名しているはずであり、初めから信任していないとも言えるだろう。

福田康夫内閣はまさにその通りの状況であった。20079月25日(第168回国会)の総理指名は衆議院では福田であったが、参議院では小沢一郎が指名され、両院協議会でも結論が得られず、衆議院の優越規定により国会の議決として福田が総理に指名された。憲法の規定が機能したわけだが、それは一時的であった。翌年の6月11日(第169回国会)には参議院において総理大臣福田康夫君問責決議案が可決された。翌日、与党は衆議院において福田内閣信任決議案を可決し、内閣を明示的に信任した。問責決議案は法的根拠がないうえに、内閣の存立は憲法上は実質的に衆議院の信任にかかっているので、内閣の法的正当性は明らかになった。しかし、事態は単純に割れきれるものではなかった。それからわずか3か月後の9月の次の国会の冒頭に福田内閣は総辞職する。

問責決議案が可決されてから福田内閣の下での実質的な国会審議は行えなかった。次の麻生太郎内閣も2009年7月14日(第171回国会)に問責決議案が可決され(同日に衆議院において内閣不信任決議案を否決している)、1週間後には衆議院を解散した。野田佳彦内閣は2012年8月29日(第180回国会)に問責決議案が可決され(8月9日には衆議院において内閣不信任決議案を否決している)、次の国会の冒頭の参議院での所信表明演説は拒否された。「近いうちに解散」との発言でひっぱりつつも、この間、本格的な閣法の国会審議は行えず、11月16日には衆議院を解散した。

こうしてみると、参議院の問責決議案は法的効力が何らないにもかかわらず、内閣の総辞職ないしは衆議院の解散という結果につながっている。本来ファジーな意思表示である問責決議案を可決させることで、内閣を信任しなくなった参議院における審議をスタックさせ政権の政策遂行能力を著しく低下させることによって、逆に内閣を信任している衆議院を解散させることになっている。ねじれ状態がそもそもの原因ではあるが、野党は問責決議案を可決することで、単なる政治的意味合いではなく、一院による不信任という政治的に明確な証明を得て政権を追い込み、政府与党は現状を打開するために、参議院の状況を変更することは不可能であるため、衆議院の解散・総選挙、政権交代へと追い込まれていく。ここには、国会の機能を支配しているのが第二院である参議院ではないのかという疑問すら生じる。憲法で明記された衆議院の法的権限よりも参議院の曖昧でありながらも強すぎる政治的権限が国会を支配している。

以下、個別の不信任決議等について概説していく。

2内閣不信任決議(案)(衆議院)

(1)内閣不信任決議案

内閣は国会の、特に第一院である衆議院の信任を基盤として成り立っているが、政治状況の変化に応じてその信任の存否を問うものが内閣不信任決議案、内閣信任決議案である。「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない(憲法69条)」とあり、内閣が衆議院の信任を失った場合は、総辞職するか、衆議院を解散して改めて民意を問わなければならない。また、この規定からして参議院は憲法69条に規定するような内閣不信任決議は行えない。

明治憲法下では内閣の存立は帝国議会の信任に基づくものではなかったが、内閣不信任決議案は提出された。憲法上は国務大臣は天皇に対して責任を負うことが求められており、議会に対する責任については規定がなかった。しかし、議会の決議権を根拠に「憲法ニモ法律ニモ規定ナクシテ、而モ實際二議會ノ權限二屬スルモノトシテ認メラルルハ、例ヘバ内閣不信任決議ノ如シ」6)美濃部達吉「憲法撮要」有斐閣 昭和21年8月5日。また、両議院は各天皇に上奏をすることができたため、議会開設当初は国務大臣を弾劾する上奏をしたことがある。とされ、実際に内閣不信任決議案が提出されることはたびたびあった。議会における内閣不信任決議の法的効力が認められないとしても政治的効果は小さくなく、たとえば1897年12月25日(第11回帝国議会)に松方正義内閣不信任決議案が上程されたとき、政府はその可決を未然に避けるため議事の途中、採決直前に衆議院を解散せざるをえなかった7)前田英昭「衆議院の内閣不信任案」議会政治研究 平成13年6月

戦後の国会になって内閣と国会の関係を律する最重要規定として内閣不信任決議が憲法に明記された。この決議案の提出要件としては、1人以上の発議者に加え50人以上の賛成者が必要となる(衆議院規則28条の3)。内閣不信任決議案が提出されると、直ちに国会審議は一斉にストップするのが慣例である。野党から見て信任できない政府の提出した議案は審議できないということである。

内閣不信任決議案の本文は「本院は〇〇内閣を信任せず。右決議する。」と簡単であるが、これとともに理由が付され、ついで提出者、賛成者の名前が連記されている。さらに、委員会審査省略要求が付されるのが例であり、委員会に付託されることなく、先決案件(議院の構成に関する案件は除いて)として本会議の議事として取り上げられる先例となっている。与党としては国会審議を早く回復させるために早急に本会議で否決することを目論む。

通常のケースでは、本会議の冒頭で議題にされ、提出者からの趣旨弁明ののち、各党が反対、賛成の討論を行い、その後、記名で採決が行われる8)議案の重要性から記名採決となることがほとんどであるが、起立採決によったこともある。1975.7.3の三木内閣不信任決議案、1982.8.18の鈴木内閣不信任決議案、2013.12.6の安倍内閣不信任決議案は起立採決。。1958年(第28回国会)のいわゆる話し合い解散の際には、内閣不信任決議案に対し政府が所信表明を行えるか否かで議論となったが、結局結論は出ないまま、本会議では提出者(野党)の趣旨弁明、与党の反対討論ののち、解散詔書が伝達された9)衆議院議院運営委員会議録 昭和33年4月25日。この議論の中で、与党側からは政府が内閣信任決議案を提出し、趣旨弁明することも可能である旨の主張があったが、実際にはそのような事例はない。

内閣不信任決議案は、その持つ意味の重さからしても、国会運営上の問題からしても、野党にとって最大の武器ではある。野党は内閣の外交から内政まで全般における失政を指摘・批判し、自己の不満をぶちまけ、あるいは、反対する重要法案の審議を遅らせようとする。つまり、政権に対する批判的要素と国会審議の抵抗戦術的要素との両面がある。

しかし、これは会期終盤における通過儀礼、セレモニーでもある。通常のケースを考えれば、衆議院において与党は過半数を擁しており、内閣不信任決議案が可決される可能性は著しく低いからである。議案の重要性に反し、議員の緊張感は低いことが多い。審議中には激しい言葉が飛び交うが、その結果は決まっているので関心事ではない。内閣不信任決議案の提出は本来衆議院解散へとつながりうるものだが、野党の本心は解散準備ができていない、いま解散されたら困るといったこともしばしばある。与党も国民もそれを見透かしていることもあるし、毎年のように提出される内閣不信任決議案に慣れてしまっていることも緊迫感に欠ける要因であろう。

なお、現在では慣例として〇〇内閣不信任決議案という名称で提出されているが、これまで衆議院に提出された内閣不信任決議案、あるいはそれに準じる決議案には異なる名称のものもある。「吉田内閣不信任に関する決議案」(1948年、第3回国会、未決(議院運営委員会にて保留10)衆議院議院運営委員会議録 昭和23年11月18日))、「不信任決議案(吉田内閣)」(1948年、第4回国会、可決(同日解散、後述))、「内閣総理大臣吉田茂君不信任に関する決議案」(1951年第11回国会、未決(議院運営委員会にて保留11)衆議院議院運営委員会議録 昭和26年8月18日))がある。

また、内閣不信任決議案とはいえない可能性があるものとして、「内閣総理大臣鳩山一郎君問責決議案」、「鳩山首相の引退勧告決議案」(ともに1956年第24回国会、撤回)がある。引退勧告決議案が不信任決議案と同様なものなのかについては激しい議論となった。提出した社会党は、まず鳩山総理の政策的問題を追及するのではなく健康が著しく悪く失言も多いので国政上支障をきたすから、引退したらどうかと勧告するものであり不信任決議案ではない、だが、重要な内容なので先議案件にすべきだと主張した。対する与党は、この決議案が可決されたら院議に従って総理は引退、内閣総辞職することになるから実質的効果は不信任決議案と同じであり、また、不信任決議案ではないとしたら先議を求めるのはおかしいと主張した。両者の主張は平行線のまま、最終的には撤回された12)衆議院議院運営委員会議録 昭和31年3月2日。鳩山首相の体調が優れず、また予算委員会では憲法解釈を巡って首相の答弁の訂正がたびたび行われていた。それを理由として3月2日に鳩山首相の引退勧告決議案が衆議院に提出されたが、その取扱いについて議院運営委員会で結論が得られず、同日の本会議の議題とはならなかった。一方、参議院においては同月5日の本会議で鳩山内閣総理大臣戒告決議案が上程、否決された。翌6日に衆議院議院運営委員会において、官房長官から総理大臣の健康状態等の説明を受けたうえで、その場で提出者から引退勧告決議案の撤回の申し出があった。。社会党としては後日の内閣不信任決議案提出の余地を残すための戦術だったと考えられる。

一般に決議案の名称は慣例化していることが多いものの、明確に法定化、様式化されておらず、さまざまな問題について自由に名称をつけることが可能である。微妙な名称の場合は、議院運営委員会の協議で内閣不信任決議案に相当するか否かを協議するしかあるまい。たとえば、日本では行われることはないが「コロナ対策について安倍内閣不信任決議案」といつた決議案が提出された場合、憲法69条のいうところの内閣不信任決議案に相当するのかは微妙である。英国などではこのような決議案も提出されることがあるが、やはりその決議の形式、その実質的意味、法的効果については議論の出てくるところである。

脚注

脚注
本文へ1 浅野一郎 「新・国会事典第2版」 有斐閣 2008年7月
本文へ2 ミサイル、飛翔体、人工衛星等、その時々で名称は変わっているが北朝鮮のミサイルに関連する決議は衆議院だけで8回行われている(143国会(1998)、171国会(2009)2回、180国会(2012)2回、190国会(2016)、193国会(2017)、195国会(2017) )。ただし、北朝鮮がミサイルを発射するたびに必ず決議を行っているわけでなく、政治的な判断次第で対応は一様ではない。
本文へ3 過去の議員辞職勧告に関する決議案が本会議で可決された例は衆参で4例(140国会(1997)友部達夫参議院議員、154国会(2002)鈴木宗男衆議院議員、156国会(2003) 坂井隆憲衆議院議員、164国会(2006) 西村真悟衆議院議員)あるが、決議を受けた議員辞職は1例もない。
本文へ4 上田章「国会決議の法的考察」平成2年12月 議会政治研究
本文へ5 賛成者の人数等、決議案提出のための要件が法定されているのは衆議院の正副議長並びに内閣への信任・不信任決議案、衆議院の委員長への解任決議案のみである。ただし、正副議長への信任・不信任決議については、衆議院規則において提出要件は定められているものの、議決された際の効力については言及がない。
本文へ6 美濃部達吉「憲法撮要」有斐閣 昭和21年8月5日。また、両議院は各天皇に上奏をすることができたため、議会開設当初は国務大臣を弾劾する上奏をしたことがある。
本文へ7 前田英昭「衆議院の内閣不信任案」議会政治研究 平成13年6月
本文へ8 議案の重要性から記名採決となることがほとんどであるが、起立採決によったこともある。1975.7.3の三木内閣不信任決議案、1982.8.18の鈴木内閣不信任決議案、2013.12.6の安倍内閣不信任決議案は起立採決。
本文へ9 衆議院議院運営委員会議録 昭和33年4月25日。この議論の中で、与党側からは政府が内閣信任決議案を提出し、趣旨弁明することも可能である旨の主張があったが、実際にはそのような事例はない。
本文へ10 衆議院議院運営委員会議録 昭和23年11月18日
本文へ11 衆議院議院運営委員会議録 昭和26年8月18日
本文へ12 衆議院議院運営委員会議録 昭和31年3月2日。鳩山首相の体調が優れず、また予算委員会では憲法解釈を巡って首相の答弁の訂正がたびたび行われていた。それを理由として3月2日に鳩山首相の引退勧告決議案が衆議院に提出されたが、その取扱いについて議院運営委員会で結論が得られず、同日の本会議の議題とはならなかった。一方、参議院においては同月5日の本会議で鳩山内閣総理大臣戒告決議案が上程、否決された。翌6日に衆議院議院運営委員会において、官房長官から総理大臣の健康状態等の説明を受けたうえで、その場で提出者から引退勧告決議案の撤回の申し出があった。

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