審議されない議員立法

審議されない議員立法

岸井和
2020.04.15

1964年3月16日の朝日新聞には「議員立法のありかた」という題で、次のような社説が出ている。
「一般的にみてこの議員提出法案が成立する率はきわめて低い。」「しかもまともな審議の対象にすらならない場合のほうが多い」。
その理由として、国会は政府提出法案審議に追われてしまうこと、議員提出法案は圧力団体の要求や審議引き延ばしの党略法案が少なくないことなどを挙げている。
結果として成立する議員提出法案は「歳費引き上げや特定地域の開発促進法といった、カネや票につながる与野党ともに異議なし法案」に限られてしまうと。

江田五月議員(後の参議院議長)が1985年に発刊した著書「国会議員 わかる政治への提言」には、次のように書かれている。
「私が野党議員のせいもあるが、国会は、行政府によって準備された法案を追認しているに過ぎないという感じが強い」「国の唯一の立法機関の建前からすれば立法の主流は議員提出議案でなくてはおかしいのではないか」
自ら閣法の対案として男女雇用機会均等法の作成・提出にかかわったときの経験も引き合いに出して、「政府案に対抗して国会に提出され、俎には上ったが、委員会審議の中では形式的に若干の質疑が行われただけで、ほとんど相手にされなかった。」と述べている。

また、2019年3月26日の日経新聞電子版には「議員立法の成立率2割 野党法案は審議されず 政府提出は9割」との見出しで、次のような趣旨の記事が出ている。
2012年の第2次安倍政権発足以降、閣法の成立率が9割なのに比べ、議員立法は2割弱にとどまる」とし、2009年から18年の数字についても同じ傾向にあるとしている。
「限られた会期のなかで政府・与党は閣法の審議を優先し、野党が独自に出した議員立法は審議されないものも多い。議員立法の成立率は総じて低い」
成立するものは与党が主導で野党も賛成する法案であり、「野党独自の提出議員立法は審議にすら入れないケースが多い」それでも、野党が議員立法を提出するのは、政策をアピールする手段だからだとしている。

それぞれが書かれた時期は異なり、50年以上の期間がある。しかし、書かれている内容は似通っている。政府提出の法案に比べ与野党一致の委員会提出法案を除き、議員立法の成立率は低い。特に野党案は審議の対象にすらならないことが多い、閣法が優先され審議時間が確保できないし、対案を出しても質問も少ない。つまり、この50年以上にわたって議員立法の活性化が再三再四訴えられてきたが、議員立法の取り扱いは低調なままである、ということになる。

問題の所在は、議員立法の審議の制度上の難点なのか、はたまた、議院内閣制という枠組みのなかで議員立法にはそもそもの限界があるのか、ということにある。前者ならば変革の余地はあるが50年以上にわたって変革の名案がないかそれを実行しないということである。後者ならば議員立法の役割を限定的にとらえてその範囲での活用を図るしかない。

議員立法の審議促進方策を50年以上も考えつかなかったとは思えない。最近の話でも、2014年の自民、公明、民主、維新の国会改革合意においては、「議員立法を原則委員会に付託するなど審議を充実させる」「政府提出法案と野党の対案を同時に審議」「議員提出法案は自由討議で審議」などがあげられていた(2014523日読売新聞、524日日経新聞)。

会期の制約があるなか閣法が優先されるので議員立法に充てる時間がない、という議論は制度上の問題であろう。しかし、これは克服できる問題でもある。委員会は毎日やっているわけではなく定例日に開かれる。定例日は週に2、3日なのでその他の日を議員立法の日とすればよい。あるいは閣法を参議院に送ってしまった後の衆議院、逆に衆議院からの法案を待っている間の参議院の各委員会は概ね開店休業中である。議員立法の委員会審査に大臣の出席は不要だからその日程調整も容易である。議員だけが出席する委員会で、提出されている議員立法の中から出来の良い法案を選択して順番に審査していくことは可能だ。

委員会審査の在り方については、会派(質問者)に質疑時間を割り当て、委員が提出者に対して質問するだけという二者間だけのやり取りはあまりにも硬直した長年の慣習である。与党議員、野党議員、提出者の三角関係の中で討議すること、つまり、野党提出の法案に対して、与党議員が提出者に法案の意図や内容を質問したうえで、その問題点を指摘する。「こういう理由で受け入れられない、反対である」と。野党議員はその指摘に対し法律の必要性や正当性を主張し、反論を展開する。「与党議員の指摘はこういう理由で間違っている」と。別の与党議員がそれに対して更に反論する。55年前の朝日新聞の社説の中でも審議方法を改め議員対議員の質疑を行って実のある討論の場を作ることが提案されている。

しかしながら、事態は一向に変化していない。国会が政府提出の法案ばかりを審議して議員立法が後回しになっているのは唯一の立法機関としていかがなものかという建前論には誰もが反論しにくいが、与野党一致の委員会提出法案を除いて議員立法はほとんど成立しないし、審議もされていない。建前を貫くためのアイデアは出ており、そのアイデアに従ってやってみたがうまく行かなかったといことよりも、アイデアを実現しようとする意思がない、そのインセンティブがないということが事実であろう。

アイデアを実現する意思がないのは主として与党議員である。与党がその気になればある程度の日程は確保できる。しかし、与党の政策は閣法に反映されている。野党の政策を単にアピールするための法案か与党の方針と対立する法案になぜ付き合わなければならないのか。したがって、野党提出の法案は付託しないことが事実上の原則になっている。閣法の審議を促進するために野党対案を付託して審議したとても質問はほとんどせず、閣法審議が難航したら野党を懐柔するための形式的な修正に利用するだけである。野党案がわずかに審議の俎に上がるのは、閣法(あるいは与党提出の議員立法の場合もあるが)の審議を進める上で与党にとって何らかのメリットがある場合である。ある意味、当然な考え、対応ではある。与党を単に悪者にしても解決にはならず、審議をするための動機を与えないといけない。

一般的に言って、与党のほうが党の縛りは厳しい。法案の事前審査制で前もって政府の法案作成に参画できるということもあるが、それと引き換えに党議拘束は野党よりも強く、法案や修正案などを出すにしても党四役の機関承認を得る必要がある。多数派であり提出すれば成立する蓋然性が高いことを前提として、政府を支えているので個人的見解よりも全体的整合性を考慮しなければならない。したがって、与党議員が完全に満足しているとまでは言えないがその意向は閣法に包括的に具体化されており、与党議員の議員立法は主として政府が手を出さない、出しにくい分野の法案である。多数派政府与党の議員としての恩恵を蒙ることへの引き換えとして自由度は失われているということである。これに対し、野党としては、全体的整合性は二の次にして、成立の見込みがない法案であっても政策アピールや対与党対策として提出することが少なくない。つまり、与党にとって野党案を審議することには弊害を感じるか、メリットを感じることがなく、審議へのインセンティブは働かない。

他方で野党に問題なしとも言い切れない。成立した議員立法の大半が委員会提出法律案であることは紹介したが、これは与党と野党の合意がなければ結実しない。そのこと自体に非はないが、委員会では委員長または提出者からの起草案の説明と、仮にあったとしても数問程度の質問だけで、直ちに採決となる。短ければ数分で、長くても1、2時間の超スピードで委員会提出法律案は生まれてしまい、表舞台での議論から国民は置いてけぼりである。野党は内閣提出法律案の与党の事前審査をやり玉に挙げることがままあるが、委員会提出法律案については率先して同じようなことをしている。与党も野党も合意しているのだから理想的な議員立法の形であると勘違いしている国会議員や議会関係者も多いが、国民目線から離れ、本来すべき審議をショートカットして議論をすっ飛ばす過去からの悪しき慣例が漫然と続いてしまっている。与野党合意に至るまでのプロセスを全て密室で行うのではなく、委員会の場で議論して会議録に残すということは、本来ならば議員立法の多くを提出し、その活性化を求める立場の野党が主張すべきことなのではないか。

イギリス、フランス、ドイツの議院内閣制の国を見てみても、成立するのは政府提出法案が多く、議員立法は少ない。これをもって、議院内閣制と議員立法の少なさに必然的関係があるとまでは言い過ぎであろうが、ある程度の関連性はあろう。その原因の一つは政府与党が内閣提出法案を主導する状況の中では、議員立法が少数派たる野党提出法案に偏る傾向があり、与党議員がその審議や成立に関心を示す動機は見当たらないことである。第二に、提出要件や党議拘束が厳しくなければ与党議員からの議員立法も多数提出されるであろうが、一議員ではなく与党全体の方針からみて、政策内容の整合性や審議日程の都合と合致することはなく成立に至ることは困難である。

我が国の議員立法、特に野党提出の法案で審議に入る可能性の高いのは対案である。これには与党にとって閣法などの審議促進のメリットがあるからだ。しかし、質問が少ない。成立しない法案への質問はメリットが少ないからだ。では、どうすべきか?対案ではなく修正案を提出する。論点ごとに修正案をいくつも提出し、その修正案を一つずつ議論し、それを採決しなければ審議が先に進まないようにする。委員会では修正案の提出数には制限がないので国会運営上は可能な方法である。論点は明確になり、与野党議員間で議論をせざるを得なくなる。野党修正に説得力があるのにそれを否決してしまえば与党は批判を受ける。全体を包括的に提示している対案では「総合的に勘案して」反対され、否決されてしまう。野党は選挙で負けていて自分の言い分があまり通らないことを前提に、単にアピールするだけではなく、よりよい法律の成立に向け実効性のある手段は何であるかという観点も重要である。

田中角栄は33もの議員立法を成立させ、これは前代未聞、記録であるとの伝説が残っている(調べたわけではないので数字の真偽のほどはわからない)。ただ、新しい民主主義である議員立法に熱心であったのは間違いなく、道路法改正、道路特定財源などの多くの重要な法律を成立させた。その勉強心、アイデア、人脈を駆使して後世に残るような議員立法を成立させた。自らの手で立法し政治や政策の方向性を示すことが政治家の仕事だとの信念を持ち、障害を突破して成立させた。道路特定財源は税の目的税化に反対する大蔵省が強く抵抗したが、最後はそれを乗り超えた。当時の政党の縛りや提出要件などのハードルは低く、議論を通じて法案を成立させるという新しい戦後国会への期待も背景にあった。

議員立法を成立させるには、問題の把握、アイデアの提示と実現させるためのエネルギーが必要となる。現在は、問題の把握やアイデアの提示をする熱心な議員は多いが、法案を提出しても、委員会に付託されない、審議されない、質問されない、といった審議をしないための国会運営上の慣例に違和感を感じていない。戦後70年以上が経過するとともに国会の慣例は成熟し固定化し見直していく機運が乏しくなってきている。「審議されない議員立法」という一般的な評価を乗り越えるためには、田中角栄のような気概と迫力をもって、慣例にとらわれず、実効性のある新しい議員立法の審議方法を切り開く発想、戦略の転換が必要である。

コメント

タイトルとURLをコピーしました