国会審議における議員立法(7)

国会審議における議員立法(7)
─ 戦前から現在までの議員立法の動き4

岸井和
2020.03.08

(5) 1970年代

1970年代には議員立法の提出法案数は、野党提出を中心としているので、1常会当たり60法案程度であるが、成立率は若干上昇している。このとき懸案となったのは高度経済成長の「ひずみ」による環境問題、オイルショックによる資源問題などであり、それまでの政策課題としてはあまり取り上げていなかった新たな問題であった。新しい課題に柔軟・敏速に対応するためには、それまでの政策との整合性に制約される各省庁が法案を提出するよりも議員立法の形をとる方が有利であったからだとの説明がされる1)佐藤誠三郎他「自民党政権」中央公論社1986。特に、1970年代後半の保革伯仲期には、福祉政策もあわせ、野党の協力を得て委員会提出法案として迅速な成立を図ったものが中心であるが、別の見方をすれば内閣提出法案の審議が難航することが予想される政治状況の中で与党が都合の良い方法を選択したとも言えよう。

 

(6) 1980年代

1980年代前半においても、減税や社会保障・福祉政策の分野で、与野党が共同して議員立法を行う状況は継続された2)谷勝宏「議員立法の実証研究」信山社 2003

しかし、1980年代半ばからは、議員立法の提出法案数は大幅に減少した。グラフでは、1985年からの議員立法の提出法案数がその前と比べて半減し、1常会当たりの提出法案数は30を下回っている。特に、参議院では、1987年から1992年の6年間の常会で、提出が26法案、成立は0法案と著しい落ち込みを見せている。1989年には参議院で自民党が過半数を割ったため、秋の臨時会では野党提出参法の消費税廃止法案が参議院で可決、衆議院での審議入りを果たす3)1989年の116回国会において 野党提出参法である「消費税法を廃止する法律案」が閣法の対案という状況ではなく審議されたのは、衆参ねじれ現象の中での画期的な事例と言える。翌年の常会(118回国会)には野党提出の消費税廃止法案が衆法として提出され審議されているが、これは閣法(消費税法及び租税特別措置法改正案)の対案として取り扱われている。なお、2004年の159回国会での「国民年金法等の一部を改正する法律案」の審査時の混乱(国会議員の国民年金未納問題)の事後処理のため、160回国会には民主党単独提出の「国民年金法等の一部を改正する法律を廃止する等の法律案」のみを議題として審査したことがある(厚生労働委員会、衆議院本会議とも否決)。という一定のアピールをする機会はあったが、提出法案数から見てその後議員立法が活用されたとまでは言えまい。皮肉なことではあるが、野党が参議院で過半数を占めたことにより、議員立法の提出に責任と慎重さが強まったことも一因と言えるかもしれない。

さらには、保革伯仲期の終盤において、衆参ねじれが生まれた中で、自民党は事態打開のため公明・民社の取り込みを図り、閣法を修正して妥協を図るようになったことも背景にある。公民は社公民路線(与党と対立)と自公民路線(与党と協調)との間を揺れ動くが、徐々に野党は分断された。公民が議員立法よりも閣法修正に重点を置いたことは、社公民での野党主体の議員立法提出の減少につながり、この傾向は1990年代前半まで続く。閣法の最重要法案であった消費税法案(1988年)、PKO法案(1992年)の成立は自公民路線によるものである。

(7) 1990年代

1990年代前半には、非自民政権が誕生するが、野党自民は議員立法提出の戦略をあまり選択しなかった。1993年から94年にかけて自民は1年弱の間、野党であったが、自民単独提出の議員立法は7法案(否決5法案、撤回と未了が各1法案)で、時の政治環境を反映して5法案が政治改革関係の法案であった4)高野恵亮 「自民党の政策形成能力:野党期自民党の議員立法を中心に」 嘉悦大学研究論集 2007。自社さ政権となってからも、議員立法の提出法案数、成立法案数とも低調であり、これに変化が見られたのは1990年代後半であった。

非自民政権(199394年)から自社さ政権(1994―98年)の前半まで、全体として「まずは政治改革が最優先」といった政治状況であった。しかしながら、当時は政党の離合集散によって既成政党の政策審議会が壊滅的ダメージを受けたことで野党の法案提出能力が一時的に減退していた5)橘幸信 「立法学講義(3)議員立法の現状分析」商事法務 2006。また、野党時代の自民の問題としては、政府の支援を受けられない族議員としての自民の政策形成能力への疑問を指摘する考え6)高野 前掲もあるが、自民としては長年の経験から議員立法提出によって政策を主張することよりも、政局的に政権奪還を狙うことに注力していたのではないかと考えられる。いずれにせよ、議員立法の増加は政治的転換から若干の時間差があって現れることとなる。

自民が(自社さ)政権に復帰すると、それに対するのは新進(199412月結成)の構図となる。新進は政権交代の具体的な受け皿となる代替案を議員立法によって明確に示す戦略を取るようになっていく7)谷 前掲書。1995年1年間の新規提出議員立法は衆参合わせて61法案(前年は26法案)と多くなる。新進は特定の分野の比較的少数の関心から提出される議員立法だけではなく、国家行政組織法や国家公務員法、内閣法、各省設置法改正案などを提出し、統治機構の変革などについて党としての基本的方向性を示した8)1995年秋の第133回臨時国会に行政機構変革の法案11件が提出されている。(これにより提出法案数は押し上げられたが、審議はされていない)。政権を担える党としての姿勢を示したもので、その後の方針にもつながるものといえる。

議員立法が明確に増加したのは1997年以降である。その前後の常会における議員立法の衆参における新規提出法案数を見てみると(表2参照)、95年が26法案、96年が21法案、97年が56法案、98年が50法案、99年が60法案と97年を境に大きく増加している。この時期は、野党第1党の新進とともに、第2党の民主が勢力を伸ばしつつあった時期と符合する。

さらに、境界線となる96年と97年の常会について衆議院のみの議員立法提出法案数を見てみると、新進提出は6法案から25法案(他の野党との共同提出も含む)と大幅に増加し、明らかに新たな方針を示している。さらに、96年常会には存在しなかった民主、総選挙(9610月)で議席を伸ばし(15議席から26議席)、法案提出要件を満たすようになった共産も議員立法を活用するようになった。新進の方針の変化、民主の設立、共産の議席増が議員立法の増加につながった。これは、政治改革後の初めての新選挙制度を経て、新たな会派構成となる一方、自民の政権復帰、主導権回復が明確になった時点で、野党、特に政権獲得に挫折した新進は新たな国会戦略を模索し、その中の一つが議員立法であったということであろう。この傾向は、新進が解党し、(新)民主になって以降も継続する。

新選挙制度での結果が契機となったのみならず、議員立法増加の背景には、「官から政」への動きにより政治家が主体となる立法活動を志向する傾向が強まっていったこと、政治改革を経て政権交代可能な制度となったため野党が対案を提出し政権担当能力を示すことが必要になったこと、野党議員の多くが一度は与党を経験したことによって政策立案能力の質的向上9)橘幸信 前掲がみられたことなどがある。

 

(8) 2000年以降

2000年以降の議員立法の常会における提出法案数の5年タームの1年平均は70法案前後で推移している。(2015-19年については、2017年に維新が100法案提出を目標として参議院に議員立法を提出したため、84法案と数字が大きくなっている。数値目標ありきで内容的に意味のある提出だったのか疑問がある。すべて審査未了廃案である。1年あたり平均20法案の寄与分を除けば、ほぼ同水準となる)。この時期は、与野党が入れ替わっているが、政権をとった政党は所属議員の法案提出を抑制し、政権を失った政党は提出を増やすことで、総提出法案数としては均衡がとれている。野党自民も1993年の時の対応とは異なり、議員立法を比較的多数提出している。

この期間において、民主党政権下で衆参ねじれであった2011年と2012年は議員提出法案の成立法案数が多い。2011年については、東日本大震災が起こり、衆参ねじれの中で早急に緊急事態に対応する必要があったため与野党協議の上、合意の議員立法を活用したことが最大の理由である。震災関連の委員会提出法案が12法案成立している。野党提出の原発事故緊急措置法案が成立(参法、修正)し、このほか、衆参ねじれにより税法の成立が遅れ野党提出の「つなぎ法案」が年度末に2法案(衆法)が成立している。野党提出法案が成立することは稀であり、民主の政権運営が揺らいできていることもうかがえる。

翌2012年にも議員立法の成立法案数が多いが、閣法を撤回したうえで与野党共同で議員立法を成立させていることが特徴的である。郵政民営化法改正案、社会保障制度改革推進法案、原子力規制委員会設置法案などである。2008-09年の自民政権下の衆参ねじれの時は閣法を撤回して与野党共同提案という手段はとられなかった。「最強の野党」とも言われた自民の交渉力がうかがわれるとともに、逆に言えば、この年の閣法の成立率が低いことも見ると民主政権のレームダック化の一端も見えてくる。野党の意見を取り入れることは、話し合いと協調の政治が生まれたのか、与党の求心力が衰え苦渋の選択だったのか評価は微妙なところでもある。

脚注

脚注
本文へ1 佐藤誠三郎他「自民党政権」中央公論社1986
本文へ2 谷勝宏「議員立法の実証研究」信山社 2003
本文へ3 1989年の116回国会において 野党提出参法である「消費税法を廃止する法律案」が閣法の対案という状況ではなく審議されたのは、衆参ねじれ現象の中での画期的な事例と言える。翌年の常会(118回国会)には野党提出の消費税廃止法案が衆法として提出され審議されているが、これは閣法(消費税法及び租税特別措置法改正案)の対案として取り扱われている。なお、2004年の159回国会での「国民年金法等の一部を改正する法律案」の審査時の混乱(国会議員の国民年金未納問題)の事後処理のため、160回国会には民主党単独提出の「国民年金法等の一部を改正する法律を廃止する等の法律案」のみを議題として審査したことがある(厚生労働委員会、衆議院本会議とも否決)。
本文へ4 高野恵亮 「自民党の政策形成能力:野党期自民党の議員立法を中心に」 嘉悦大学研究論集 2007
本文へ5 橘幸信 「立法学講義(3)議員立法の現状分析」商事法務 2006
本文へ6 高野 前掲
本文へ7 谷 前掲書
本文へ8 1995年秋の第133回臨時国会に行政機構変革の法案11件が提出されている。
本文へ9 橘幸信 前掲

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