国会の攻防(12)
昭和50年代②―公選法改正案、政治資金規正法改正案、値上げ三法案、独占禁止法改正案
岸井和
2020.11.10
①公職選挙法改正案、値上げ三法案1)酒税法の一部を改正する法律案、製造たばこ定価法の一部を改正する法律案、郵便法の一部を改正する法律案ほか(第75回国会、1975年)
第75回国会は、三木内閣になってから初めての本格的常会であったが、その展開は他の国会とは異なる様相を見せた。1974年7月7日の田中政権下での参議院通常選挙で自民党は敗北し、非改選議席を含めても過半数をわずか3議席上回るだけとなる。衆議院よりも一足早く保革伯仲の状態となり、国会運営も新たな対応を模索することとなった。三木総理は就任後の所信演説において、数の力の対決ではない「対話と協調」による国会を強調した。党内では弱小派閥、国会では保革伯仲といったハンデを背負いつつも、協調をうたって野党を取り込み、逆にその間隙を縫って自己の政策を押し通す、まさに「バルカン政治家」であった。しかし、その結果、政権と与党の対立、野党内の対立が生じ、会期末には参議院を中心として複雑な混乱が生じた。
この国会の審議は前半は順調に進んだ。しかし、稲葉修法務大臣の憲法を巡る発言2)稲葉法務大臣が5月3日の改憲集会に出席したことに対し、野党が辞任を求めた。法務大臣は釈明の場で「現行の憲法は問題が多い」と発言したため野党は一層硬化し、国会は13日間空転した。憲法改正が政治日程に上がることはなかったが、それでも非常にナーバスな問題であり続けた。によりゴールデンウィーク明けから5月21日まで国会は空転したため、多くの重要議案の審議が遅れたことから国会の会期は40日間延長され7月4日までとなった。
ここから、会期末までに大きな争点となったのは、参議院における公職選挙法改正案、政治資金規正法改正案、独占禁止法改正案、それと予算関連法案である酒税、たばこ税、郵便料金の引き上げ法案の審議であった。与党内の三木総理に対する不満や造反、野党内の思惑のずれ、自社間のなれ合い、議長の権威の問題などが錯綜し、会期最終日の夜まで決着がつかない状況となる。
独占禁止法改正案3)私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律の一部を改正する法律案
独禁法改正案は独占企業の分割を求める内容で、資本主義の根幹をゆるがす法案であるとして、内閣提出法案であるにもかかわらず自民党内のコンセンサスは得られていなかった。自民党の執行部は廃案とする方向で動き、会期との関係から成立断念を決めた。しかしながら、総理の独禁法改正への思い入れは非常に強く、その実現に向けて執念を見せた。まさに対話と協調により総理と野党が組んで修正を合意し、6月24日には衆議院を通過した。形式上は与野党ともに賛成の法案となってしまったのである。そこで、参議院自民党は時間切れを狙い、野党が参議院委員会を定例日以外でも審議を進めることを主張しても、定例外の審議には応じられないと突っぱねた4)1975.6.29朝日新聞。通常の国会運営と異なり、与野党の主張は逆転していた。
値上三法案
与党(少なくとも総理以外の)にとって、最も重要な法案は予算関連の値上げ三法案であった。酒税等が引き上げられなければ歳入欠陥となる。大平正芳大蔵大臣のメンツもある。対する野党は、内心では値上げはやむを得ないと考えつつも国民を高騰する物価から守るという大義を前面におしたて、公選法改正問題の見通しがつかない限り値上げ三法案を成立させることはできないと抵抗姿勢を示した。両者は全く別問題であるが、国会ではしばしばこのような取引が行われる。こうしたなか、会期終了日3日前の7月1日には参議院大蔵委員会で、酒税法改正案、たばこ定価法改正案は自民党単独で可決された(郵便については所管の逓信委員会が野党委員長であるとともに、引き上げが10月なので時間の余裕があった)。与党は会期末ぎりぎりの本会議で是が非でも成立させる方針であった。
公選法改正案、政治資金規正法改正案
最大の懸案は公選法改正案と政治資金規正法改正案であった。公選法改正案については、衆議院段階では衆議院議員の定数是正案を認め、特段の混乱もなく参議院に送られた。しかし、参議院では地方区選出議員の定数問題で与野党の意見が対立した。野党は地方区の定員増を求め、与党は定員増に反対していた。公職選挙特別委員会の小委員会で協議は重ねられたが結論の出る見込みが立たないため、自社の要請を受けた河野謙三参議院議長が6月27日にあっせん案を提示する。参議院地方区の定数について「人口の動態の変化に基づき次の参院選挙を目途として是正するよう取りはからう」という内容であった。これを自社民は受け入れたが、公共は激しく反発した。
河野議長のあっせんは、公選法改正案の中の与野党で対立する参議院の定数問題を切り離して先送りし、それ以外の衆議院の定数増、選挙公営などについては成立させることを意味する(ちなみに参議院の定数についてはこの改正案に含まれていなかったため、法案の修正は必要なかった)。つまり、自民党、社会党、民社党にとっては対立する要因はなく受け入れられるものであった。だが、対立は別のところにあった。選挙公営制度の改正は公明党と共産党には死活問題であり受け入れられるものではなかった。公共は各党で協議中なのに議長の不当な介入であるとともに、自社のなれ合いと激しく非難した。
河野議長は、選挙法は政党の消長に大きくかかわるものであるとして当初は自らが関与することには消極的であった。他方で、この問題に片が付かないと重要な値上げ三法案が停滞するとの現実があった。社会党は公選法改正案成立と引き換えに値上げ三法案の成立を裏で容認していたのである。社会党にとって公選法改正案の衆議院の定員増を含む定数是正は有利であると考え、また、選挙公営拡大によるビラなどの配付の公費負担は資金不足の社会党にはありがたかった。民社党もほぼ同じであった。しかしながら、公明党と共産党は、参議院の定数問題を理由に反対するが核心は別にあり、選挙公営の制度変更に伴い政党機関紙の頒布が制限され、両党の選挙活動に実質的な支障が出ることにあった。
公選法改正案とのセットで車の両輪とも言われる政治資金規正法改正案は、前年の参議院選挙や田中金脈問題への批判に端を発したもので、政治資金の寄付額の制限、収支の公開の徹底などをはかるものであった。野党各党は反対の姿勢であったが、社会党は労働組合のカンパの取り扱いなどから反対ではあるものの公選法改正案を成立させるのならば阻止はしないという方針を取っていた。自民党は当然に政府提出法案には賛成であるが、資金源が絶たれると消極的意見もあり、造反議員が出る可能性も予想はされていたが、衆議院段階では目立った動きもなく、公選法改正案と同日の6月5日に本会議を通過していた。
公選法改正案と政治資金規正法改正案は、自社民の3党で参議院委員会での採決を進めようとしたが、公共は実力で抵抗した。参議院審議を遅らせるために公共は衆議院において内閣不信任決議案を提出することを考えた。内閣不信任決議案が提出されると衆参の審議が全面ストップするのが通例である。しかし、社民は全野党が提出したものではないから委員会をストップさせずに進めるべきだと自民党に申し入れた5)1975.7.1朝日新聞。利害関係が相反する野党は完全に分裂していた。公共の抵抗は非常に強かったため、委員会採決をあきらめ、参議院本会議での中間報告という手段をとらざるを得なくなる。
会期末の参議院を中心とする本会議
かくして7月4日の会期末が近づくなか、多くの重要法案が参議院に集中していた。 まず、自民党はそもそも乗り気ではなかった独占禁止法改正案については成立をあきらめる。公選法改正案、政治資金規正法改正案及び値上げ二法案(郵便を除く酒、たばこ)の成立に集中することとなる。各法案に対する賛否は各党の思惑は錯綜していたものの基本的には、異例の自社民と公共との対立軸であった。
河野参議院議長の公選法改正案のあっせんに怒った公明党と共産党は河野議長不信任決議案を提出した。河野議長に対する不信任は1971年7月の就任以来初めてのことであった。6月30日の参議院本会議の議事となり、発言時間の制限の動議、質疑終局の動議、討論終局の動議が出されたが、不信任決議案そのものも含めてすべて起立採決で行われ、長時間の議事とはならなかった。賛成は公明党と共産党のみで社会党、民社党は反対している。
7月1日には一時的に戦場は衆議院に移る。参議院審議の妨害のため、公明党と共産党が提出した福田一自治大臣不信任決議案(選挙法改正案関係)と大平正芳大蔵大臣不信任決議案(値上げ二法案関係)の審議が行われた。しかし、両案とも抵抗戦術はとられず、合計しても1時間19分で終了している。記名採決とするためには出席議員の5分の1以上の要求が必要であるが、公明党と共産党だけではこの要件を満たすことはできない。したがって起立採決となったが、社会党は採決の際、議場から退席した。なお、この日の衆議院本会議で不信任決議案が採決される前に、前述のとおり参議院大蔵委員会では値上げ二法案は自民単独で採決されている。
7月3日の午前1時過ぎから衆議院で公共提出の三木内閣不信任決議案が審議されたが、これも1時間13分しかかからなかった。国会の最重要議案である内閣不信任決議案が起立採決で決せられたのはこれが初めてであった6)その後、1982年8月18日の鈴木内閣不信任決議案、2013年12月6日の安倍内閣不信任決議案が起立採決で否決されている。。社会党はやはり退席している。
会期終了前日の7月3日未明から参議院に戻って本格的攻防に入る。1日の値上げ二法案の委員会での強行採決のために本会議が遅れ、2日には深夜に延会の手続きしか行えなかった。3日は衆議院の内閣不信任決議案の処理が終わるのを待って午前3時24分に始まった。河野議長の下での徹夜国会も初めてである。大平大蔵大臣と福田自治大臣の問責決議案、前田佳都男副議長の不信任決議案の3決議案が既に提出されていたが、両大臣の問責決議案は本会議に上程しないことが議院運営委員会の採決で決まった7)7月3日午前2時45分からの議院運営委員会において、問責決議案の委員会審査省略を認めないことに決した。つまり、委員会で審査したうえで本会議の議題とするということであるが、実質的には本会議への上程をしないという決定と同じである。。その結果、本会議では副議長不信任決議案のみが審議され、これも起立採決で否決されている。その後、米麦価格に対する緊急質問などの議事を行った後、休憩し、午後には公共提出の内閣総理大臣三木武夫君問責決議案を議題とするの動議が否決された。野党第一党が提出に加わらず、さらには実質的には反対している総理問責決議案を本会議の議題とする動議は否決された。何よりも会期終了まで二日足らずであり、時間が切迫していて審議する余裕はなかった。
続けて、公選法改正案及び政治資金規正法改正案について中間報告を求めることを議題とすることが決められ、続いて中間報告を求める動議が提出される8)中間報告の議事の進め方は、衆議院と参議院とで異なっている。衆議院は「中間報告を求める動議」を可決後に委員長が中間報告を行う。参議院では「中間報告を求める動議を議題とする動議」を可決後に「中間報告を求める動議」を可決し、委員長が中間報告を行う。参議院は二度手間であるが、議事日程を変更することと議事の内容を決定することは別の判断が必要であるとの立場に立っていると考えられる。。社会党も中間報告の乱用は避けるべきであるとの立場から中間報告を求める動議に対しては公共とともに反対したが、質疑、討論を経て採決(この時も社会党が記名採決を求めなかったため起立採決)の結果、両法案の中間報告は本会議の議題となった。それと同時に公共から公職選挙法改正に関する特別委員長中西一郎君問責決議案が提出され、それを否決(起立採決)したうえで、ようやく中間報告まで議事が進んだ。しかし、自民党議員の出席数が十分でないなどの失態を演じた。この日の本会議は休憩をはさみつつも午後11時34分まで続いて延会なった。
会期最終日の4日となった。未明から中間報告に対する質疑を始めたが、社会党議員が過労から議場内で倒れたため疲労回復のために午前10時前まで休憩、休憩後の再開冒頭には公共が正副議長不信任決議案を再度提出したが、一事不再議(国会の召集と会期(8)、(9)参照)を理由として却下された。議長席周辺には公共の議員が押し寄せ騒然となり、議長は衛視に議員の排除を命じた。衛視導入の責任を求めて事務総長不信任決議案が提出されたが、「慣例どおり同不信任案に代えて休憩時間を昼食時間よりも大幅にとることで(議場内交渉で)ほぼ合意し、休憩後各党はこれを了承した9)1975.7.4朝日新聞夕刊」。
続けて、「両法案を直ちに本会議で審議をすることの動議」が採決となるが、社会党は中間報告という手段を使って本会議審議へとつなげることは参議院改革に反するものだとして、この動議も反対に回った。つまり、社会党が加わることで(この動議に対する討論終局の動議及び動議本体について)今回は記名投票となり、公共は牛歩戦術をとった。牛歩は1969年の大学法案国会以来となる。
先に約束した長めの昼食休憩の後、公選法改正案は政府に対する質疑、討論を経て、牛歩を伴った記名採決で可決された。法案には社会党、民社党も賛成のため結果は186票対49票で賛成が圧倒的に大きく、通常ならばこれほど混乱するような環境ではない。社会党と公明党・共産党の態度の分裂と感情的対立が例外的な状況につながった。
続けて、政治資金規正法改正案の記名採決に入った。賛成は自民党だけである。投票は粛々と進んだが、結果は可否同数(賛否ともに117票)となった。議長は、憲法56条第2項10)両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。の規定により決裁権を行使し、可と決し、同法案は可決された。戦後国会において本会議において議長が決裁権を行使したのは、衆参を通じてこれが初の事例であった11)これ以降で、本会議での可否同数により議長決裁権を行使したのは、2011年3月31日(第177回国会)の参議院本会議における「国民生活等の混乱を回避するための平成二十二年度における子ども手当の支給に関する法律の一部を改正する法律案」の議決時(可120、否120)のみである。この時も西岡武夫参議院議長は可と決した。。重要法案の採決にも関わらず、定数252に対して議長を含め235人しか本会議に出席していなかったが、社会党議員数名が欠席し、自民党議員数名も議場を抜け出していたためである。社会党の欠席は自民党への援護射撃であり、自民党からは造反議員が出て、結果的に可否同数となったと噂された12)1975.7.5読売新聞。ただし、社会党はこの噂を否定した。。この結果に三木総理は満足した。この時点で午後6時10分となり、残り6時間弱の会期であった。
休憩をはさんで、午後8時前から値上げ二法案の審議には入った。しかしその前に社会党も提出者に加わった大蔵委員長桧垣徳太郎君解任決議案が提出された。提案理由が説明され、一人目の質疑の途中で議長は進行をさえぎった。暫時休憩が宣告されたが、その後は本会議は再開されないまま会期が終了した。自民党執行部は、議長の議事整理権を行使して強引に二法案の採決に持ち込むことを要請したが、河野議長はこれに応じなかった。結果として値上げ二法案は廃案となる。「伝家の宝刀を抜けとの話があったが、私は参院の責任者として国会の権威を傷つけてはならぬと考え、これを断った13)1975.7.5朝日新聞」。
第75回国会では、他の核拡散防止条約、日韓大陸棚協定も審議未了となり、重要議案で成立したのは公選法改正案と政治資金規正法改正案だけであった。三木主導の異例の自社共闘国会であり、その一方で重要法案に対する自民党内の不満は顕著であった。派閥の領袖が蔵相である大平派では、歳入増のための三法案を犠牲にした三木総理に対して批判の嵐であったという。野党間の対応は分裂し、社会党内でも値上げ法案への態度は割れていた。
脚注
本文へ1 | 酒税法の一部を改正する法律案、製造たばこ定価法の一部を改正する法律案、郵便法の一部を改正する法律案 |
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本文へ2 | 稲葉法務大臣が5月3日の改憲集会に出席したことに対し、野党が辞任を求めた。法務大臣は釈明の場で「現行の憲法は問題が多い」と発言したため野党は一層硬化し、国会は13日間空転した。憲法改正が政治日程に上がることはなかったが、それでも非常にナーバスな問題であり続けた。 |
本文へ3 | 私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律の一部を改正する法律案 |
本文へ4 | 1975.6.29朝日新聞 |
本文へ5 | 1975.7.1朝日新聞 |
本文へ6 | その後、1982年8月18日の鈴木内閣不信任決議案、2013年12月6日の安倍内閣不信任決議案が起立採決で否決されている。 |
本文へ7 | 7月3日午前2時45分からの議院運営委員会において、問責決議案の委員会審査省略を認めないことに決した。つまり、委員会で審査したうえで本会議の議題とするということであるが、実質的には本会議への上程をしないという決定と同じである。 |
本文へ8 | 中間報告の議事の進め方は、衆議院と参議院とで異なっている。衆議院は「中間報告を求める動議」を可決後に委員長が中間報告を行う。参議院では「中間報告を求める動議を議題とする動議」を可決後に「中間報告を求める動議」を可決し、委員長が中間報告を行う。参議院は二度手間であるが、議事日程を変更することと議事の内容を決定することは別の判断が必要であるとの立場に立っていると考えられる。 |
本文へ9 | 1975.7.4朝日新聞夕刊 |
本文へ10 | 両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。 |
本文へ11 | これ以降で、本会議での可否同数により議長決裁権を行使したのは、2011年3月31日(第177回国会)の参議院本会議における「国民生活等の混乱を回避するための平成二十二年度における子ども手当の支給に関する法律の一部を改正する法律案」の議決時(可120、否120)のみである。この時も西岡武夫参議院議長は可と決した。 |
本文へ12 | 1975.7.5読売新聞。ただし、社会党はこの噂を否定した。 |
本文へ13 | 1975.7.5朝日新聞 |
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