総理の国会出席時間(常会)と説明責任

総理の国会出席時間(常会)と説明責任

岸井和
2022.11.01

説明責任とは一体何なのか。国務大臣の国会答弁の回数や時間は説明責任を果たしているか否かの一つの重要な指標となるかもしれない。しかし、単にそれだけでどこまで説明責任を果たしたことになるのか?G7各国のなかで首相または大統領の議会出席回数、時間は日本がはるかに多く長い。日本では、総理が長時間、国会に出席しているにもかかわらず説明責任を果たしていないと批判を受けることが多い。

野党としては長年の国会の与野党の攻防の中で総理をより長時間国会に拘束することを戦略としてきた。総理出席の予算委員会はテレビ中継されることが多く、総理を追及すれば注目度が増す。その一方で、政府与党は意を尽くした説明よりも決まっている時間だけを乗り切ればいい、総理の国会出席は前例がなければ拒否してもいいという意識が垣間見える。長年の国会運営の硬直化が進み、結果として時間ばかりをかけて説明責任が果たされないという無為無策な国会審議となっている。

とはいえ、国会答弁の内容の評価は主観的な判断となってしまうため、客観的な数値である総理大臣の国会出席の時間・回数をベースに説明責任のあり方、現状の国会審議の問題点等を考えたい。

 

1長時間の出席-常会で200時間

過去5年の常会において、内閣総理大臣が(衆議院議員としてではなく)内閣総理大臣として国会に出席した時間は下の表のとおりである。

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近年の総理の国会への出席時間は、常会だけでほぼ200時間強にものぼる。2018年は森友、加計問題で予算委員会が長くなったために219時間余となり、2020年についてはコロナ対策などで補正予算が3つ提出されたために231時間余となった。しかし、基本的には200時間程度がベースとなっており、総理は閣僚の中で最も国会に出席している時間が長い。

これは、衆参ともに慣例に基づいて常会の議事が進められ、そのなかで、特殊事情がなければ先例に基づいて総理の出席も決められていることを示唆している。「総理の本会議出席は〇回」「これまでの例からして委員会の総審査時間は〇時間、総理出席は△時間」という前例を踏襲して与野党の交渉が始まる。つまり、審議形態は先例により硬直化し、それゆえ例年同じような出席時間となる。

総理が常会において出席するのは、主なものとして「本会議(施政方針演説とその質疑・答弁(代表質問)及び予算の採決)」、「予算委員会(総予算・補正予算の提案理由説明、基本的質疑、集中審議、締めくくり質疑及び採決)」、「重要広範議案の本会議質疑とその締めくくり委員会質疑」、「参議院の決算委員会」とほぼ定型化している(衆議院の決算審査に総理が出席したのは過去5年間で令和3年の決算行政監視委員会の半日のみ)。

 

2衆議院よりも参議院の出席時間が長い

衆議院よりも参議院への出席時間が長いことは注目を要する。過去5年間のいずれも総理の出席時間は参議院の方が若干長い。第一院よりも第二院への出席時間が長いことは一般的には奇異な感じがするだろう。同じ議院内閣制をとる英国議会では首相が第二院たる貴族院に出席することはない。内閣は、国会に連帯して責任を負うとしても、衆議院の信任は参議院のそれよりは決定的に重要であり、説明責任も衆議院により重きを置くのではないのか、というのが普通の発想であろう。

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しかし、実際は、出席時間も出席回数も参議院の方が多い。先の表をブレークダウンした上記の表からもわかるとおり、本会議と予算委員会への出席回数は衆参でほぼ同じであるものの全体としてみると参議院が若干多くなるように仕組まれている。出席時間も各院それぞれ100時間強ではあるものの参議院の方が長い。

参議院は、その存在意義にかかわるとして、少なくとも衆議院と同等の審議をしなければという意識が強く、特に重要とされる総理出席の機会を確保することについてはインフェリオリティーコンプレックスの裏返しともいえる。

【常会における総理出席の本会議・委員会の開会回数の目安】

会期ごとに事情が異なり、本会議や委員会の回数は変化するが、基本的にはおおむね以下のとおりである。

・衆議院本会議(11+α)
施政方針演説・質疑3+補正予算質疑1+総予算・補正予算採決2+重要広範議案質疑4+内閣不信任1+α(帰国報告、決議、補正予算がさらに提出された場合など)=11+α

・参議院本会議(11+α)
施政方針演説・質疑3+補正予算質疑1+総予算・補正予算採決2+重要広範議案質疑4+決算1+α(帰国報告、決議、補正予算がさらに提出された場合など)=11+α

・衆議院予算委員会(12)
総予算 提案理由説明1+基本的質疑3+集中審義4+締めくくり総括質疑1=9及び
補正予算 提案理由説明1+基本的質疑・締めくくり総括質疑2=3
 合計12 (補正予算の提出数が増えればさらに回数も多くなる。)

・参議院予算委員会(12)
衆議院と同様

その他の委員会

・衆議院(4)
重要広範議案である4法案について各1回=4 (近年ではコロナ緊急事態宣言について議運委に別途出席している)

参議院(6)
重要広範議案である4法案について4(衆議院と同様)+決算全般質疑・締めくくり総括質疑採決2=6 

上記合計の60回程度が常会の総理の出席回数の基礎数となっている。

本会議については、衆参ともに12回、20時間強が総理の出席回数・時間の平均値となっている。総予算の説明は施政方針演説とともに行われる(総予算と同時に提出されれば補正予算も一括で行われる)。議案の質疑、予算の採決などはルーティーンであり各院の独自性はないに等しい。ただし、衆議院では毎年内閣不信任案の本会議が1回あるのに対し、参議院は同様の問責決議案の本会議は少なく代わりに決算審議を行っている。

予算委員会については、衆参ともに12回、70時間弱程度が基準値となっているが、先に述べたように2018年や2020年のように特別な問題が出たり補正予算が複数提出されると出席回数、時間は多くなる。予算の審査終了後も、特定の問題について総理出席のもとに集中審議を行うことがあるが、これも衆参とも同程度の時間となるのが通例である。(シリーズ「国会の予算審議」参照)

また、予算委員会以外の委員会への出席については、衆参ともにほぼ同一の4つの重要法案について1回ずつ総理が出席する。両院の独自性は実質的にはない、つまり参議院が後追いで衆議院を真似をしている。

なお、直近5年間ではなかったが、その重要法案が平和安全法制や郵政民営化法案など政権の命運をかけたものである場合には特別委員会が設置され、総理の出席回数、時間とも大幅に増える。(シリーズ「国会の攻防」参照)

そのほかに参議院については決算委員会に2回出席している。参議院が決算審議の充実を大方針としている結果であり、それが参議院全体としての総理出席回数、時間が多い大きな要因である。参議院の独自性・存在意義を示すために参議院改革のなかで決算審議の充実を一つの大きな柱として打ち立てた結果でもある。こうした理由により、過去5年間すべてについて総理の出席は参議院の方が多く、長いという結果になっており、外形的には総理は参議院においてより説明責任を果たしていることとなり、普通の感覚とはちょっと異なるものとなっている。

 

3形骸化した党首討論

また、鳴り物入りで導入された党首討論は近年では全く機能していない。行われないからである。常会以外を含めても5年間で4回しか行われていない。党首討論が形骸化した理由は様々あるが、端的に言えば国会戦術的にあまり使い勝手がよくないということであろう。現実に開会もされない国家基本政策委員会を(両院それぞれに)設置しているのは無駄である。委員長手当、委員長車、委員長室、事務方の給与など、単に看板を維持するためだけにどれだけのコストがかかっているのか。ここまで党首討論が行われないのならば、それのみを所管とする委員会は廃止すべきである。衆参両院で党首討論をやるのであれば、予算委員会合同審査会で事足りる。

 

4出席時間が長ければ説明責任を果たしているのか?

説明責任の果たし方は国会に出席して長時間過ごせばいいというものではない。総理が質問に正面から答えず同じ答弁を繰り返したりはぐらかしたりするような現状では時間の浪費でしかない(野党の質問の仕方が稚拙なせいもあるが)。今の審議形態ならば何を言われようが決まった時間をやり過ごせばいいだけなので、総理としては忍耐は伴うがある意味で狡猾な戦術なのかもしれない。そして、肝心な問題については出席することを事実上拒否する。果たしてこれで説明責任が果たせているのであろうか。

安倍元総理国葬は法律と閣議決定を根拠に内閣が単独で判断した。「内閣」葬と「国」葬の違いがあるのだが手続きは同じである。しかし、皇族を除き戦後一例しかない国葬の妥当性について強い批判が巻き起きた。国葬の理由は、安倍元総理の歴代最長の在任期間、大きな実績、外国からの弔意、非業の死とされた。まあ、説明してはこの程度しかやりようがないのかなとも思うが、多数の国民の納得は得られなかった(国葬と国葬儀とを分けたのは理解困難?な丁寧な説明であった)

それは何故か?それは、デュープロセスを欠いていたことが大きい。国葬であるにもかかわらず、国会に対する非公式な打診も国会の場での説明もなく、内閣が勝手に決め、多額の国費の出費を含めて手続きは完結しているとの姿勢をとったからである。確かに国葬を決めるにあたって総理が国会で説明するという決まりはない。しかし、これは物事の政治的本質を見誤った官僚的判断であった。それとともに、国会は政府に従うだろうとの安易で傲慢な判断であった。最初から説明を尽くし国会の了解を得ておくべきだったことは言うまでもない。国葬には国民的コンセンサスが必要なのである。

安倍元総理と旧統一教会の関係が指摘されるようになると、国葬反対の声は日増しに高まり、政府にとって事態は悪化していった。国会をスルーしていたことでより窮地に陥った。こじれてしまっているところで、決定から2か月も経って総理がのこのこ委員会に出て説明をしても時は既に遅し。そこでも単に時間が浪費される同じ説明を繰り返すだけで(しかも短時間。コラム「議院運営委員会とは何をするところなのか?」参照)、不信感は募り批判は鎮静化しないまま国葬を実施せざるをえなかった。政府の国会軽視の姿勢と国会審議自体の不全ゆえに、国会は説明責任の場として機能しなくなっている。

他国と比べて総理が長時間出席しても説明が果たされたと実感できない状況、つまり国会の先例踏襲による硬直的な日程、野党の不十分な質問と総理の無為な答弁、消化不良のまま結論を押し付けられる国民、こうした泥沼を抜け出す方策を真剣に考えなくてはなるまい。問題は多々ある。議員が質問をし総理が答弁するという帝国議会時代以来の慣習は適切なのか、与野党議員同士が議論し活性化する方法を考えるべきなのではないか。重要法案に対して1時間程度の形式的な総理出席を求めるよりも、問題点ごとに修正案を提出して議論を経て都度採決するという緊張感のある方法はとれないのか。議事進行の方法を抜本的に変えられないのか。衆参で同じことをやっているのは知恵がない(参議院はカーボンコピーと揶揄される)。総理が衆参で全く同じ演説を繰り返すのは意味があるのか。野党は週刊誌に頼るだけではなくもっと独自の情報収集手段を開拓しなければ。代表質問で各党が同じような質問を行い、総理は一字一句同じ答弁を繰り返す審議形態は知恵がなさすぎる。

時間の浪費ではなく、より説明責任が実質的に果たされるように政府も国会も真剣に工夫しなければならない。

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