国会の攻防(15)

国会の攻防(15)
昭和60年代から平成5年
―消費税

岸井和
2020.12.1
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消費税法案(1988年、第113回国会)

19871020日、中曽根自民党総裁は後継に竹下登を指名する。かつての三角大福中とは異なり、ニューリーダーの三人は互いに相対立する関係にはなく、主要三派の協力体制のもと、自民党内には総主流派体制ができあがる。三人の間では、税制改革法案を成立させるため、だれが総裁・総理となっても協力するとの合意ができていた。竹下内閣の最大の課題は中曽根内閣からの積み残しの税制改革にあり、結局はそれが内閣としてのほぼ全ての仕事となった。

売上税の時には国民の間から強い反対の声が上がって失敗の一因となった反省を踏まえ、事前の世論形成には入念な準備をした。業界団体を自民党に招いて意見を聴き、特に中小企業主の不安を払しょくするため小規模業者の免税点の設定、簡易課税制度の導入、サラリーマン層の不満を和らげるために課税の逆進性に配慮し所得税・住民税などの先行減税を決めた。それでも、新税導入への批判は強く、また、法案審議はリクルート社の未公開株譲渡問題の調査と錯綜し、さらには昭和天皇の病状悪化も不安材料となった。

1988年秋の第113回国会は消費税導入法案の審議のために開かれた。「現下の最も重要な内政の課題は、税制の抜本的改革の実現であります。…このたび臨時国会の開会をお願いいたしましたのも、国民の代表である国会の場を通じて、この課題につき十分な御審議をいただきたいとの考えに基づいたものであります。1)1988.7.29 衆議院会議録

税制改革6法案2)「税制改革法案」「所得税法等の一部を改正する法律案」「消費税法案」「地方税法の一部を改正する法律案」「消費譲与税法案」「地方交付税法の一部を改正する法律案」の6法案は、与野党で合意された減税法案3)昭和六十三年分の所得税の臨時特例に関する法律案(衆議院大蔵委員長提出)。約1兆3千億円の減税が見込まれるもので、衆参とも質疑、討論もなく全会一致で成立した。が成立した日の7月29日に衆議院に提出された。しかし、リクルート問題について資料提出、証人喚問などで、まず予算委員会が難航し、税制改革法案審査のための特別委員会4)税制問題等に関する調査特別委員会。設置目的は「不公平是正及びリクルート等税制に関する諸問題を調査するため」とされた。が設置されたのは9月9日であった。自民党は委員長に重鎮の金丸信、筆頭理事は海部俊樹を充てるなど、異例の体制を敷いた。法案の委員会審査が始まったのは22日になってからで、まだほとんど審議もしていない26日には野党が猛反対する中で会期延長を決めざるをえず、国会は空転した。

10月4日になって、不公平税制是正の審議、リクルート社長の参考人招致で与野党合意し、6日から審査は再開されたが、その後も与野党の対立は続く。ついに、96時間30分の審査の後、自民党は議論は尽くされたとして11月10日になって野党側に採決を通告、株式公開に伴う譲渡益への課税強化などの修正のうえ、6法案を強行採決した。参議院審議も考えると会期の残り時間が厳しいこと、野党の態度軟化が望めないことや天皇陛下の病状悪化も考慮したうえでの決断であった。野党は採決無効を訴え、法案を委員会に差し戻すことを要求し、直ちに本会議を開くことはできなかった。

事態の打開は自公民の間で進められた。15日の社共を除く自公民三党の幹事長・書記長会談においてリクルート問題につき、江副リクルート社社長らの証人喚問、リクルート特別委員会の設置、未公開株を譲渡された政治家等のリストの公表で合意した。これらの合意は即日実施され、社共が欠席する中で夜8時前に開かれた衆議院本会議で特別委員会の設置されたのち、夜11時50分過ぎに開かれた特別委員会ではリストが公表され、証人喚問も正式に決定される5)翌日(1988.11.16)には衆議院議院運営委員会で「議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律の一部を改正する法律案」が起草され、参議院で税制改革法案の趣旨説明質疑が行われた21日の本会議で成立した(共産のみ反対)。これにより十年来の懸案だった国会での証人喚問のあり方が抜本的に改正された。。リクルート問題解明に弱気であるとの批判されることを公明党と民社党が懸念していることを見越して、自民党はそれまで拒否してきた要求を最後の段階で受け入れ、両党に手柄を与えた。と同時に、税制法案とリクルート問題の切り離しを図るものであった。

さらに、税制改革法案の処理も間を置かずに一気に進めた。同日深更の自公民の会談で半年間の消費税課税の弾力的運用などの修正を行うことで合意した。自公民が主導し社会党が蚊帳の外であった。自民党は社会党を相手にせず、公明党と民社党を引っ張り込むことで単独採決を回避し、両党は修正という成果を手にした。16日の本会議には、社会党と共産党が欠席、自公民3党での合意のとおり修正したうえで、税制改革法案は衆議院を通過した6)公明党と民社党は本会議での修正には賛成したが、原案(修正部分を除く原案)自体には反対している。。公民は強い反対ではなくなり、また社共は欠席のため本会議に不信任決議案などが提出されることはなかった。24日には二度目の会期延長が衆議院本会議で議決された(自公民出席、自民のみ賛成)。第113回国会は163日間と臨時国会としては異例の長期なものとなる。

参議院の審議は11月21日から始まった。衆議院での会期延長議決により審議は空転したが、江副社長らの証人喚問が決定されたことにより12月1日には再開される。9日には宮澤副総理・大蔵大臣が自身の未公開株の扱いについて釈明が二転三転した結果、辞任するに至った(後任の大蔵大臣については総理が兼務)。12月21日には大混乱のうちに委員会で採決、野党は土屋参議院議長に「採決無効、委員会への差戻し」を申し入れた。

23日には、参議院に先立って、衆議院本会議において竹下内閣不信任決議案が粛々と否決されている。この日、参議院では16本もの問責議案等が提出されたが、午後4時過ぎから始まった参議院本会議では、事前の議院運営委員会で5件の問責決議案等を議題とすることに決められていた。

まず、島崎均議院運営委員長解任決議案に6時間近くかかったため、次の竹下総理大臣問責決議案の議事の途中で本会議は延会され、翌日24日の午前零時過ぎから総理問責決議案の続き、梶山静六自治大臣問責決議案、林田悠紀夫法務大臣問責決議案、梶木又三税制問題調査特別委員長問責決議案と順次審議された。公明党と民社党は、それぞれに対し賛成の投票をしたが牛歩はせず、社会党と共産党が牛歩を展開した。社会党は社公民路線を維持することから穏やかな牛歩を考えたが「いざ牛歩を始めると、はずみがつき、中堅議員らからの突き上げもあって7)1988.12.25 朝日新聞」徹底的な牛歩となってしまった。この牛歩は野党間にしこりを残すとの評価もあったが、はるかにそれ以上のものであった。

特別委員長問責決議案否決後、税制改革6法案の審議に入った。公明党と民社党は反対をしたが、社会党、共産党は本会議場から退席したために起立採決により淡々と可決され、10年越しの法案はようやく成立を見た。公民は反対をしたものの、修正協議や本会議運営に協力的であったことをみれば、成立をバックアップしたことは明らかである。

社会党のなかにも高齢化社会を控えて間接税導入は必要との考えを持つものもおり、時勢として消費税導入はやむを得ないとの雰囲気は一部に醸成されつつあった。しかし、それでも、社会党は世論向けに「断固反対」を貫き、それは時代の流れから取り残されていくことにつながり、社公民路線の維持も難しくなっていく。

竹下内閣は、税制改革国会の翌年の常会で、リクルート問題を引きずって退陣を余儀なくされる。

脚注

脚注
本文へ1 1988.7.29 衆議院会議録
本文へ2 「税制改革法案」「所得税法等の一部を改正する法律案」「消費税法案」「地方税法の一部を改正する法律案」「消費譲与税法案」「地方交付税法の一部を改正する法律案」の6法案
本文へ3 昭和六十三年分の所得税の臨時特例に関する法律案(衆議院大蔵委員長提出)。約1兆3千億円の減税が見込まれるもので、衆参とも質疑、討論もなく全会一致で成立した。
本文へ4 税制問題等に関する調査特別委員会。設置目的は「不公平是正及びリクルート等税制に関する諸問題を調査するため」とされた。
本文へ5 翌日(1988.11.16)には衆議院議院運営委員会で「議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律の一部を改正する法律案」が起草され、参議院で税制改革法案の趣旨説明質疑が行われた21日の本会議で成立した(共産のみ反対)。これにより十年来の懸案だった国会での証人喚問のあり方が抜本的に改正された。
本文へ6 公明党と民社党は本会議での修正には賛成したが、原案(修正部分を除く原案)自体には反対している。
本文へ7 1988.12.25 朝日新聞

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