「国権の最高機関としての議長の権威」と
「河野洋平元衆議院議長のオーラルヒストリー」(1)
岸井和
2024.11.28
権威としての衆議院議長
衆議院議長がどのように行動するか、それを語る前に、議長の置かれた立場に簡単に言及しておきたい。
議長は衆参ともに制度的に本会議の選挙によって選ばれる。だが、その選挙結果はほとんどの場合は事前に決められている。内実としては選挙も多数決の結果であるからして最大会派与党が事前に決めていた候補が選ばれることになる。もっと言えば与党の総裁、つまり内閣総理大臣(まだ就任前であるかもしれないが)が候補者を指名する。かつては党三役の談合によって決められるのが通常であったが、現在は当選回数や経歴を踏まえつつも与党総裁を中心に密室の中で少数者によって、あるいは総裁の決断によって決められている。衆議院議長はもともと与党議員であるし、その選任は総裁(内閣総理大臣)の恩義によるところ大である。実質的には権力の分立に反して議長は誕生している。要するに国会の長を選ぶにあたって総裁(総理)の権限が極めて大きい。(「衆議院議長とは?(5) (9)」参照)
「(小泉総理が議長人事を了承したことについて)僕は、総理が内閣の人事をやり、自民党内の人事は総裁としてやるのは分かるけれども、立法府の議長の人事まで総理・総裁がいいとか悪いとかと言うのはおかしいんじゃないかと思っていましたけど、まあ、一連の与党の人事みたいなものですよね。(河野洋平 オーラルヒストリーP160)」
「(議長再選にあたって小泉総理から電話連絡があったとの話を受けて)行政府の長が立法府の長の人事まで強い影響力を持っているということが、とても不思議ですよね。(河野 前掲P186)」
かといって、議長が総理や政府の言いなりになるかどうかは別である。議長になる人物はそれなりの経験を積んだ重鎮であり、その職責に就けばそれ相応の判断をする。議会のあるべき姿、与野党の間での中立性を判断の基準とするようになる。その議長の判断を慣行として支えているのが議長の政党からの離脱、院内会派からの離脱である(「衆議院議長とは?(4)」参照)。各政党の利害を超越した立場から議長として判断するという決意を示すものである。そして、議長は与野党が一致して全会一致で選出される例が多い。
さらに、それだけではない。(離脱はしているが)党内での議長の立場・発言力(背後の派閥の力など)、総理との関係性(総理に対立的か融和的か)、最後の微妙な部分については議長が長年暮らしてきた党の呪縛を解けるのか、最高権力者たる総理に日和るのか、議会政治を守りつつ与野党の妥協点を探る中で論理に重きを置くか情理に重きを置くのか、これらは議長の性格、胆力など複雑な心理過程にかかっているところが大きいのであろう。そして、これらすべては議長の権威の問題にかかってくる。
それでは、議長はいかなる権限、権力を持っているのか。国会が権威の府だとすれば議長も権威の象徴的存在であり、明確な権力は持っていないと言えよう(「分かりにくい『国会は国権の最高機関』」参照)。国会法では「各議院の議長は、その議院の秩序を保持し、議事を整理し、議院の事務を監督し、議院を代表する(19条)」とあるが具体的な内容は曖昧模糊としている。
本会議の進行は実際には議院運営委員会理事会で決められていて議長の判断が求められることは少ない。国会法には議長の決裁によって多くの手続きが進められるように決められているが、実のところ、事務的に決められていることがほとんどであり、議長が判断する余地は少ない。大臣のような法的に明確に定められた権限は実質的にはない。院の予算作成にも議長はほとんど関わっていない。議長には部下がいるようでいない。国会の役員である委員会の委員長も議長は決められない(政党が決める)。議長の諮問に答える機関である議院運営委員会の委員長に不満があっても首は切れない。委員長は党内で認められて出世をすることを強く望んでいるので、国会の役員なのに気になるのは議長よりも内閣総理大臣の顔色なのである。
つまり、議長には議事の決定や予算、人事などの権力はない。じゃあ、仕事がないではないか。議長の最大の職務は、国会が混乱した時、与野党が対立した時に、その打開策を示し、理非を説得し、両者を納得させて、議会運営を前進させることにある。しかし、この最大の職務は憲法にも国会法にも書かれていない。議長に求められることはその識見を頼りに対立を打開し国会を円滑に動かすことである。その識見を支えるものは党派を超えた議長の権威でしかない。与野党協議が暗礁に乗り上げたときに最後の手段として「議長の判断を仰ぐ」のである。
かつて、国会がもめるとしばしば議長は責任を取って辞任に追い込まれた。辞任は与野党対立の手仕舞いの儀式であった。責任を議長に負わせて与野党は対決から和解へと向かう、本質的なものとはかけ離れた奇妙なものであった。その儀式に対する負い目からか、昭和の時代には与野党は議長の「権威の確立」をしばしば申し合わせた。国会が正しくあるための一つとして、議長の権限、権力ではなく、権威の確立が必要なことはみなが理解していた。(「衆議院議長とは?(12) (13) (14) (15)」参照)
平成以降は議長が辞職に追い込まれることはなくなり(国会運営上の問題から最後に引責辞任したのは平成元年の原健三郎議長)、権威は多少は高まってきたように思われる。議長室に公然と怒鳴り込む議員はいなくなり、クレームをつけるにしても節度をもって対応している。議長としても権威を維持するためにそれなりの立ち居振る舞いを求められる。議長はひとつひとつの政策について発言はしない。この法案には賛成、この法案には反対、政府の方針に賛成とか反対などと表立っては絶対に発言しない。与野党それぞれ意見の相違がある中で、どちらかに味方するようなことはしてはならない。最初から偏っていては、いざという時の議長の権威を守れなくなるからである。
議長は国賓歓迎などの行事を除いて総理官邸には入ってはならない。内閣との癒着、中立性を疑われるからである。法的には何ら制限がないが、議長を退任した後は政府の役職には就かないことも暗黙の了解事項である。国権の最高機関の長を務めた人間として、退任後もその権威を守る姿勢を示すものである(坂田道太議長は退任後に竹下総理の後任を打診され、議長を軽んじるなと激怒した(河野 前掲P215)。近年では伊吹文明議長は退任後文部科学大臣を打診されたが断った。議長経験者としての矜持であり、良識であろう。江田五月参議院議長は退任後法務大臣となったが議長の権威をどのように考えていたのか)。
衆議院が引退をした議長経験者のオーラルヒストリーを作成することとし、その第一弾として河野議長の記録を公表した。これまでにない取組みであり、その新たな試みに対する意欲は評価すべきであろう。しかしながら、そのスキームはお粗末であった。
一般的に言って、オーラルヒストリーは当事者本人が過去に直面した問題を明らかにしつつその時々の思いを回顧するものであるから、自己称賛あるいは自己弁護、自己正当化の記録となることはその性質上避けられないものではあろう。オーラルヒストリーは、こうした宿命のある記録となることを承知しつつ読むことが必要である。
さらには、今回のオーラルヒストリーについては、そもそも元議長と上下関係にあった元秘書をインタビュアーとして選んでいて、客観的な視点からの記録を期待することは難しいスキームとなってしまった。実際、インタビュアーが延々としゃべって、つまるところ河野議長の意図に迎合的な対談のようになってしまった。酒場での楽しい思い出話になってしまっている。
安倍晋三回顧録は元読売新聞記者、渡辺恒雄の回顧録はNHK記者をインタビュアーとして採用しており、本人との関係性が近すぎず(遠慮は感じられるが)同調的とまでとは言えず、また、話を展開させるための発言も短く抑制的にして誘導的ではない。基本的なスキームを無視したオーラルヒストリーは予定されたように同調的な展開となり読んだ者には事実の回顧よりも一種のうさん臭さを感じさせてしまう。産経新聞(2024.8.27)は、「税金で作った公式記録で事実誤認や偏った主張を未来に残すことは、百害あって一利なし」と手厳しくクオリティーの低さを指摘している
その点、第二弾の横路孝弘議長のオーラルヒストリーについては学者に依頼したのはマシな対応であった。インタビュアーの九州大学の赤坂幸一教授は「適度な緊張感の保持は常に重要であり、くだけた雰囲気での語りは、往々にして内密の打ち明け話や、また、前提事情を共有しない外部者にとってはよく意味の飲み込めない、内輪での語りになる危険性を有している。前者であれば公開のあり方や時期に課題が生じ、直接関与した一部の者を除き、当該の記憶を共有したり、その知見を活用したりすることが不可能となってしまう。また後者であれば、公開されても議院記憶の効果的な継承とはならないだろう。(横路 オーラルヒストリー下巻P428)」と、河野オーラルヒストリーを暗に批判しているように思われる。
河野洋平と言われてすぐに頭に思い浮かぶのは、1993年官房長官時代の慰安婦に関する「河野談話」と、1994年自民党総裁時代の政治改革に関する「細川河野合意」であろう。「河野談話」は長らく国民意識の分断をもたらし、歴代内閣はそれを継承することは表明してはいるがあからさまに不快感を示している総理もいる(安倍総理は河野議長の息子の河野太郎の大臣就任に際し、河野談話の「こ」の字も口に出すなと命じている)。「細川河野合意」は時の圧力に押されての妥協であったが河野議長自身がオーラルヒストリーの中で小選挙区比例代表並立制の失敗を認めている(河野 前掲P129)。重要問題の最高責任者として、後世に耐えるだけの判断や決断であったのだろうか。
しかしながら、これらは河野「議長」としての判断ではないので、ここでは触れておくだけにしておいて、河野議長時代にいくつか気にかかった問題について次号で書き記したい。
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