国会の予算審議(付)

国会の予算審議(付)
─ 
衆議院予算委員会の総予算審査時間

岸井和
2019.12.20

前回までは、主として総予算の審議の「期間」を物差しとして時代を区分して比較してきたが、ここでは衆議院における総予算の予算委員会での審査「時間」を物差しとして平成時代の変動について簡略に見ていきたい。過去の審査時間の実績は一種の先例ともいえ、毎年の審議を進める上での基準となり与野党の重要な交渉材料となっている。

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(1)総予算審査方法の変更

上のグラフは、平成元年(1989年)から31年(2019年)までの衆議院予算委員会における総予算審査の時間の実績値の推移を表したものである(各会派に割り当てられる質疑時間の合計と実績値は乖離があることに注意。予定より早く質疑を終えたり、あるいは長引いたり、中断する時間などがあるためである。実際には割り当て時間の合計より実績値の方が長くなる。本稿では、会議録の開会と散会時間をもとに実績値を算出した)。ただし、この審査時間には、分科会、公聴会、地方公聴会(委員派遣)、参考人質疑等の時間を含めずに計算している1)審査時間は衆議院予算委員会議録に掲記されている開議、散会の時間を基に算出。平成12年から29年の間は、論究(衆議院調査局刊)第14号「衆議院予算委員会における総予算審査と内閣総理大臣の出席時間」のデータを利用し、それ以外については筆者が算出。それぞれの議事の時間に政府参考人出頭要求決議や分科会主査報告等の手続き的な議事、欠席会派所属委員の呼び込みや質疑者不在の間の時間経過(いわゆる空回し)も含まれている場合もある。本文中にあるように、合計時間には、分科会、公聴会、委員派遣(いわゆる地方公聴会)、参考人質疑の時間は含んでいない。正規の予算委員会としての予算委員と政府との間の議論の時間を中心に集計している。その理由としては、①公聴会、分科会はそれぞれ会議録が別途作成され、「衆議院予算委員会議録」とは別に「衆議院予算委員会公聴会議録」、「衆議院予算委員会第○分科会議録」が作成されること、②地方公聴会の記録は、派遣委員からの報告があった日の予算委員会議録に参照掲載されるなど、通過儀礼的な付随的記事としての色合いが強いこと、③特に分科会の時間は総計するとそれだけで数十時間に及ぶため、それを合計すると統計的な意味合いがなくなってしまうことなどである。また、参考人質疑については、大臣等の政府が出席せず、予算委員と参考人の間だけで議論が行われるものを時間総計から除外した。これは内容から見て実質的には公聴会と同じ審査であるためである。証人喚問についても同様である。なお、予算委員会において政府を交えずに参考人に対して質疑をした例は多くない。平成元年以降では、136回国会(平成8年(1996年)2月15日、16日)、171回国会(平成21年(2009年)2月24日)、177回国会(平成23年(2011年)2月18日)、180回国会(平成24年(2012)2月27日)などである。(なお、会議録からの集計の都合上、若干の手続き的議事の時間が含まれている)。

この31年間の総予算の審査時間を平均すると89時間程度となる。平成元年(1989年)から11年(1999年)までの平均は、特別な要因があった元年(1989年)と6年(1994年)を除くと110時間半ば程度、両年を含めても105時間程度であり、平成12年(2000年)以降は82時間程度となっている。

予算だけではなく、法案審査についてもいえることだが、客観的に適正な審査時間というものはない。過去の類似の法案にかかった審査時間、あるいは毎年審査される総予算では前年の審査時間は重要な参考値になる。総予算審査の順序は先例として決まっており、ほぼ毎年繰り返して行われているが、その枠組みの中で野党としては「少なくとも去年と同じ時間、去年を越える審査時間」が審査日程を考える上での一つの動機、目標となる。与党としては採決の時期を決める上での目安の時間となる。つまり、審査を進めるにあたって与野党協議の拠り所となっている。したがって、その年の特殊要因がある場合は別として、前年度の総予算審査時間に引きずられる傾向がある。しかし、上記グラフから分かるように平成12年(2000年)を境に審査時間は大きく変化している。

総予算の審査方法は、平成11年(1999年)7月に「国会審議の活性化及び政治主導の政策決定システムの確立に関する法律(国会審議活性化法)」が成立したことにあわせて平成12年(2000年)の総予算審査から改められた2)「国家基本政策委員会等の運用等、国会審議のあり方に関する申合せ」(平成12年(2000年)1月19日の衆参・与野党国対委員長会談により、予算委員会等の運用方針が変更された。。審査制度の変更の前後でベースとなる審査の手順は以下の通りであり、それに沿って総予算審査の時間を算出している。

【平成元年(1989年)から平成11年(1999年)まで(第2期終盤)】
「提案理由説明+総括質疑一般質疑集中審議+締めくくり総括質疑+討論+採決」【平成12年(2000年)から平成31年(2019年)(第3期)】
「提案理由説明+基本的質疑一般的質疑(質疑)集中審議+締めくくり質疑+討論+採決」

 (このほかにも、制度変更の前後ともに公聴会、地方公聴会(制度変更後のみ)、分科会、参考人質疑などの審査があるが、前記及び脚注iにあるようにこれらは審査時間の集計に含めていない。)

グラフを見てわかるように、審査方法の変更のあった平成12年(2000年)から審査時間は短くなっている。審査時間の短縮は、「総括質疑→基本的質疑」「一般質疑→一般的質疑(質疑)」の変更と、それに伴い「集中審議」に影響があったことが原因である。

 

(2)平成元年(1989年)から平成11年(1999年)までの衆議院総予算審査時間

平成11年(1999年)までで、審査時間の大きなウエイトを占めていたのは総括質疑である。総括質疑は予算委員1人当たり2時間を割り当てる(与党委員の多くは質疑をしないが)ことを基本とし、平均して7日強、50時間強、審査時間全体のほぼ半分の時間を占めていた。この間は、総理以下全大臣が答弁がない場合でも出席して総予算審査が行われていた。

一般質疑は委員1人当たり1時間半を割り当て(与党委員は質疑に立たないことが多い)られていた。竹下及び羽田両内閣の異常事例を除けば、概ね5日強、30~40時間程度行われた。この間は大蔵大臣と質疑者から答弁を要求された大臣が出席していた。

集中審議については質疑の全体時間を各会派に比例配分で振り分け(与党は野党に時間の一部を譲ることが多い)、年により大きく変動するが、2日程度、15時間弱が行われ、テーマを決めて総理と要求のあった大臣が出席していた。

このほかに、締めくくり総括質疑等が数時間行われ、総計で100時間越えが「相場」であったといえよう。

このように平成11年(1999年)までの衆議院での総予算審査時間は100時間を大きく越えることがほぼ常態化していたが、平成元年(1989年)と平成6年(1994年)は特殊であった。平成元年(1989年)はリクルート問題を理由とする混乱、竹下登総理の退陣表明などで、審査空転期間が長く、予算提出から成立までの期間は長期にわたっているが(109日)、衆議院の審査日数(12日)、審査時間(35時間余)はともに格段に短くなっている。

平成6年(1994年)は、佐川急便問題などを理由に非自民政権の細川護熙内閣から羽田孜内閣へと交代しただけではなく、新会派結成問題で社会党の政権離脱などにより政権内が混乱したため予算成立は遅れた。しかし、衆議院の審査時間を見ると比較的短い(81時間余)。政局的要因により予算委員会以外で時間が費やされたことになる。

特に、平成8年(1996年)は住専問題で野党が予算委員室の前で座り込みを長期間行ない審査が空転しただけではなく、審査復帰再開時に与野党間で「十分に審議し、強引な採決は行わない」との合意3)読売新聞 1996年3月26日がなされたため、4月1日からの再開以降は審査のやり直しに近い状況となった。再開後、採決までに39時間を要し、総計で136時間以上かかり、31年間で最長である(審査日数も32日と最長)。翌年の平成9年(1997年)も審査時間は長いが(126時間弱)、審査日数は標準的(23日)で年度内に成立している。その次の平成10年(1998年)も審査時間は減少傾向にはあるが114時間であり比較的長時間となっている(審査日数は20日であるが、補正予算審議のため総予算審議入りが遅れたため暫定予算を組んでいる)。平成9年(1997年)、10年(1998年)の2例については長時間の総括質疑など前年踏襲主義の運営が影響しているものと思われる。

(3)平成12年(2000年)以降の衆議院総予算審査時間

100時間超ペースであった総予算審査時間は平成12年(2000年)に大きく短縮された。前年の103時間に対し、73時間となり、7割程度になってしまう。前例踏襲主義の国会審議から考えればまさに異例のことであり、国会審議活性化法とそれに伴う周辺環境の変化が審査時間に決定的な影響を与えたことが明確にわかる。

この審査時間の短縮の最大の要因は、総括質疑が基本的質疑に変更されたことによる。基本的質疑は各党一巡の質疑を総理出席のもとで行う。質疑時間を各会派に比例配分する方式を基本に(与党が野党に時間の一部を譲る)、日程的としては当初は2日、13~15時間程度と総括質疑と比較して大きく減った。平成16年(2004年)以降は若干増加するも、それでも3日、20時間強である。

一般質疑に代わる一般的質疑(質疑)については、変更当初は10日程度、50時間を上回るものとなったが、次第に日数、時間とも減少していき、近年では5日、20数時間となっている。大臣の出席は財務大臣と答弁要求のあった大臣であり、総理が出席しないので日数が減っていった。

この一般的質疑の日数、時間の減少は主として集中審議によって代替されている。集中審議には総理が出席し、またテレビ中継されることが多いため、野党は集中審議を要求する傾向が強まったのである。審査方法変更後当初の集中審議は1~2日、10時間弱であったが、平成17年(2005年)からは4日となり、特に平成23年(2011年)の民主党の菅直人政権以降、近年では時間も長くなり20~30時間程度になってきている。

平成16年(2004年)からの3年間の小泉純一郎内閣の時期は審査時間が90時間を越え長くなっている。この年は総予算審査の前に、イラク復興支援問題で与野党が対立し、補正予算を与党単独で採決した。その後の国会空転の事後処理のため基本的質疑を2日から3日とすることに国対委員長会談で合意4)平成16年 衆議院の動き 衆議院事務局編したことが大きな理由である。これ以降、基本的質疑は3日ということが先例化し、与党としては後年にも影響する代償の大きな強行採決となった(これだけで、審査時間は概ね7時間長くなる)。

翌年からは集中審議の時間も延び、1~2日だったものが4日となり、審査時間の総計はさらに長くなる。日本歯科医師連盟の政治献金問題をめぐり野党は攻勢を強め、証人喚問を強く求め、それが受け入れられなければ委員会を欠席した。これに対処するため、与党は集中審議を梃子にして野党を審査に復帰させる方法をとった。集中審議の日数の増加も先例化し、概ね4日かそれ以上の日数が充てられるようになる。他方で、その後、一般的質疑の時間は減少傾向にあり、それにより基本的質疑と集中審議の増加分が吸収されている。これに続く第一次安倍晋三内閣の平成19年(2007年)は一転して審査時間は70時間余と20年間で最短となった。厚生労働大臣の発言問題5)柳沢伯夫厚生労働大臣の、女性は産む機械との発言。野党は大臣の罷免を要求し、その要求が受け入れられなければ審議に応じないとの方針をとった。で総予算の前の補正予算の委員会及び本会議の審議、採決は野党欠席の中で行われた(参議院においても同様)。総予算の委員会での提案理由説明も野党欠席のまま行われたが、その後、「予算案の審査」として集中「的」審議を2日間行うことで与野党が合意し、野党は審査に復帰する。この集中的審議は補正予算審査の事後補充とも総予算審査入りともどちらにでもとれる玉虫色の表現の結果であった(総予算が議題となっていないため本稿での集計対象としていない。したがって、これを含めると審査時間は80時間を越える)。その後、基本的質疑に入り審査は進んでいくが、最終局面で野党は審査時間が短いとして一般的質疑や集中審議を求めるが与党がこれを拒否したため、野党は締めくくり質疑の質疑に出席せず、混乱する中で採決が行われた。与党は、野党不在でも審査を進める強硬な委員会運営を進めるなか、審査時間の実績値は短いものとなった。

衆参のねじれの時期には、審査時間の全体には大きな影響はないと思われるが、集中審議が長くなる傾向が見られる。特に、民主党政権末期から自民党の政権復帰時には、34時間強(平成24年)、44時間弱(平成25年)と異例の長時間となっている。野田佳彦内閣は政権基盤が不安定化し苦境に立ち野党が強硬な要求を行う中、また、第二次安倍晋三内閣は以前の反省から安全な運営を心掛け、また、与党が過半数を割っている参議院の総選挙を控える中6)平成25年4月11日読売新聞、野党からの要求を極力受け入れる姿勢をとったということであろう。

締めくくり質疑等を合算した、平成12年(2000年)以降の衆議院の審査時間合計は70時間台から80時間台半ばの例が多く、90時間台となったのは20年間で4例だけで、100時間を越えたことはない。最短の時間は平成19年(2007年)の約70時間、最長は平成17年(2005年)の99時間弱で、20年間の平均値は、概ね82時間であり、平成11年(1999年)までと比較すると20時間以上短くなっている。

議会運営は、法規や先例(審査方法)、前例踏襲主義が大きな枠組みとして存在する。他方で、与野党の理事(特に筆頭理事)のパーソナリティー、その時々に抱えている問題(政策的な大局的なものやスキャンダル、大臣の失言等)、国会対策委員会など党執行部の委員会運営に対する姿勢(妥協的か対決的か、つまり合意を求めるかあるいは強行・欠席となるか)などはアドホックな要因となっている。

脚注

脚注
本文へ1 審査時間は衆議院予算委員会議録に掲記されている開議、散会の時間を基に算出。平成12年から29年の間は、論究(衆議院調査局刊)第14号「衆議院予算委員会における総予算審査と内閣総理大臣の出席時間」のデータを利用し、それ以外については筆者が算出。それぞれの議事の時間に政府参考人出頭要求決議や分科会主査報告等の手続き的な議事、欠席会派所属委員の呼び込みや質疑者不在の間の時間経過(いわゆる空回し)も含まれている場合もある。本文中にあるように、合計時間には、分科会、公聴会、委員派遣(いわゆる地方公聴会)、参考人質疑の時間は含んでいない。正規の予算委員会としての予算委員と政府との間の議論の時間を中心に集計している。その理由としては、①公聴会、分科会はそれぞれ会議録が別途作成され、「衆議院予算委員会議録」とは別に「衆議院予算委員会公聴会議録」、「衆議院予算委員会第○分科会議録」が作成されること、②地方公聴会の記録は、派遣委員からの報告があった日の予算委員会議録に参照掲載されるなど、通過儀礼的な付随的記事としての色合いが強いこと、③特に分科会の時間は総計するとそれだけで数十時間に及ぶため、それを合計すると統計的な意味合いがなくなってしまうことなどである。また、参考人質疑については、大臣等の政府が出席せず、予算委員と参考人の間だけで議論が行われるものを時間総計から除外した。これは内容から見て実質的には公聴会と同じ審査であるためである。証人喚問についても同様である。なお、予算委員会において政府を交えずに参考人に対して質疑をした例は多くない。平成元年以降では、136回国会(平成8年(1996年)2月15日、16日)、171回国会(平成21年(2009年)2月24日)、177回国会(平成23年(2011年)2月18日)、180回国会(平成24年(2012)2月27日)などである。
本文へ2 「国家基本政策委員会等の運用等、国会審議のあり方に関する申合せ」(平成12年(2000年)1月19日の衆参・与野党国対委員長会談により、予算委員会等の運用方針が変更された。
本文へ3 読売新聞 1996年3月26日
本文へ4 平成16年 衆議院の動き 衆議院事務局編
本文へ5 柳沢伯夫厚生労働大臣の、女性は産む機械との発言。野党は大臣の罷免を要求し、その要求が受け入れられなければ審議に応じないとの方針をとった。
本文へ6 平成25年4月11日読売新聞

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