令和6年の衆議院の総予算審査(審査日程と審査時間)
岸井和
2024.03.28
異例づくしの総予算審査
令和6年の総予算審査は異例づくしと呼べるものであった。与党は裏金問題に対応に苦慮するなか、長年の先例に反してでも総予算の年度内成立を必死に目指した。
令和6年度総予算の審査日程概要
令和6年度総予算は召集日の2024年1月26日に国会に提出された。通常であれば、総予算が提出されれば即日本会議を開いて政府四演説(財政演説)で総予算の説明がなされ、代表質問に入っていくのだが、今年は四演説に先立って1月29日に政治資金問題の調査のための予算委員会が開かれた。自民党裏金問題に関する実質上の総理の陳謝及びこれに対する質疑である。報道によれば四演説が行われる前に予算委員会が開かれたことはない(2024年1月30日朝日新聞(筆者注:ただし、補正予算処理のための予算委員会が開かれたことはある))とのことで、国会冒頭から与党にとっては厳しい異常事態となった。
その翌日からの衆参本会議での政府四演説・代表質問を経て、2月2日に衆議院予算委員会における総予算審査がスタートした。総予算審査は基本的質疑、一般的質疑、集中審議と例年と同様に進められる。途中、盛山正仁文部科学大臣と旧統一教会の関係をめぐる問題から立憲が大臣不信任決議案を提出したため2月19日の委員会審査は中断され、翌日の委員会も流会となったが、これ自体は珍しいことではない(主に採決間際ではあるが、総予算審査中に大臣不信任決議案が提出されることは間々ある)。
公聴会と採決
異例であったのは公聴会と分科会の順序を逆転したことである。衆議院委員会先例集(平成25年版)によれば「133 総予算についての公聴会は、分科会の審査に入るまでに開くことを例とする。」とあり、実際そのように運用されてきた。国会法第51条第2項により総予算採決の前提とされる公聴会の後は、通常は分科会2日、集中審議や一般的質疑を挟み、締めくくり質疑、採決となっていくことから、公聴会後の採決の日程は自ずと見えてくる。
今年は政治倫理審査会の開催をめぐり公聴会は取引材料とされ、結果的に公聴会は2月29日となった。2012年と似たような日程(3月2日公聴会、3月8日採決)であったため、今年も3月第2週の採決が確実と見られていた。しかし、先例に反し、公聴会を開く前に分科会を開催した。1958年以来、66年ぶりであり、公聴会から採決までの時間は短縮された。
与党は公聴会の翌日の採決を提案したが、野党は審議時間が足りないとしてこれに応じないなか、予算委員長は職権で3月1日に委員会をセットした。立憲は対抗措置として当日の予算委員会開会前に小野寺五典予算委員長解任決議案を提出、本会議では衆議院史上過去最長となる3時間近い趣旨弁明(フィリバスター)で抵抗を試みたが、解任決議案は否決され、夕方になって予算委員会は開会された。委員会は野党も出席した上で粛々と行われたが、立憲の質疑時間に入ると鈴木俊一財務大臣不信任決議案を提出、再度の抵抗を試みる。不信任決議案の処理は深夜までかかったがその日のうちに否決され、土曜日である翌2日に総予算は衆議院を通過した。なお、総予算の委員会採決を土曜日に行ったのは1995年以来であるが、週休二日制が導入されたのは1996年度からであるため、実質的に初の事例となる(ただし、2019年など総予算の本会議採決が延会等によって土曜日にずれ込むことは近年でも起きている)。
総予算の年度内成立と自然成立
入口から出口に至るまで異例と言われることが連発されたが、政府与党がここまでして採決を譲らなかったのは、3月2日までに衆議院で総予算を通過させれば、参議院の審議のいかんに拘わらず憲法第60条第2項の規定のいわゆる自然成立により年度内の成立が確定するためである。
総予算の年度内成立が行政運営上絶対に必要であったのか、ここには疑問がある。これまでに総予算成立が4月上旬にずれ込んでも暫定予算を組まなかったことはある(財務省は明確にしないが過去の例から4月5日成立ならば暫定予算を組まなくても行政執行上問題がないと考えられる(1982年、1985年の例、ただし、2012年は同様だが暫定を組んでいる))。新年度最初の国庫支出は4月1日ではないからである(一番早い国庫支出は4月6日の恩給とされている)。一時自民党内でも検討された3月4日衆議院通過 (4月2日自然成立) でも支障はないし、そもそも参議院は存在意義を問われるがゆえに総予算を採決せずに自然成立を待つことはしない(戦後、参議院が議決せず総予算が自然成立したのは1954年と1989年の2回だけである)。それでも自然成立によって年度内成立の保険をかけたのは、マスコミの過剰反応を懸念し、支持率が大きく低迷する内閣のメンツと求心力維持のためであった。2000年以降、総予算が年度内に成立しなかったのは、3回であり、うち2回は安倍内閣であるが前年末に総選挙が施行されたため審議入りがそもそも遅かった(他の1回は民主党政権時。いずれも暫定予算を組んでいる)。参議院においても自民党の裏金問題により採決日程がなかなか決まらなかったが、今年も自然成立前の3月28日に総予算は可決、成立した。
野党の戦術は正しかったのか?
ここまで異常な日程となったのは、主に清和研を中心として自民党の多数の議員に裏金問題が発生したことによる。これらいわゆる裏金議員の政治倫理審査会出席をめぐり、総予算がある意味で人質に取られ、日程闘争が複雑化した。それと同時に今回の総予算には1月1日に発生した能登半島地震対策が含まれていたため、野党としてはあまり成立を遅らせると批判を浴びる可能性があった。
政府与党(特に財務省)はこの能登半島地震を年度内成立の材料としていたが、この対策費は予備費の増額により賄うこととしていた。予備費は政府の責任で自由に使えるカネであり、本来は国会による財政の統制の観点からはできる限り最小限に抑えるべきである(憲法第83条、第87条)。しかも熊本地震の例を考えれば2月上旬に震災対策の補正予算を成立させることも可能であり、予備費の増額という安易な手段を認めるべきであったのか(熊本地震は2016年4月14日発災、5月13日補正予算提出、5月17日成立)。
また、報道を見る限りでは、公聴会前に分科会を行ったことに対する野党の抵抗、抗議は確認できなかった。今回の事例は公聴会の翌日に採決を行うこと道を開いた(実際与党はその通り提案していた)。どうでもよい先例ではあるが、先例を戦略的に利用する野党としては失敗かもしれないし、与党にとっては効率的な議会運営となったと言えるかもしれない。
予算委員長解任決議案処理の本会議で趣旨弁明を行った予算委員会野党筆頭理事はしきりに「80時間」の審査時間を連呼していた。過去からの本ブログでの検証のとおり、衆議院の総予算採決のための割り当て時間の目安は80時間であった。しかし、度重なる不祥事による多数の政務三役の交代、自民党議員の相当数に関わる政治資金問題等、本来であれば政権維持が困難になるほど政府与党にとってマイナス材料が山積していたにも関わらず80時間と明言してしまえば逆に野党の手足を縛りかねない。しかも今年はその80時間すら未到達であった。
総予算審議の最終局面において、3時間近くも演説を続け徹底抗戦するかに見えた一方で、最後は抵抗する姿勢を失い、3月1日には深夜まで攻防を繰り広げたのに、翌日には内容のない国対間の合意(政治改革特別委員会設置はすでに了解事項であった)を受けて採決に応じた立憲の方針は不可解であった。戦うのか、引くのかはっきりしない優柔不断な戦略であった。さらには、野党間の対応は統一がとれず、迷走している与党を助けてしまった。
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