令和8年の衆議院の総予算審議

令和8年の衆議院の総予算審議

岸井和
2026.04.18

令和8年の衆議院の総予算審議は前年から激変した。令和7年においては、少数与党という制約のなか、与党は野党との協議を繰り返し、妥協を積み重ね、結果的に総予算の修正につながった。しかし、令和8年2月8日の総選挙で自民は歴史的大勝利で衆議院の圧倒的多数を握ると、官邸は予算委員会で審査入りした2月26日の時点で各省に対し3月13日の衆議院通過という強気の通告をした。国会側においても疑問を持つ与党議員もなくなはなかったが、選挙で大勝した総理の意向に従わざるを得ず、与野党の合意ができなくとも委員長職権で委員会日程を決定することを繰り返した。意気消沈する野党は有効な抵抗手段も見いだせず、ずるずると与党ペースの日程に従った。審議は政策内容よりも、日程に注目が集まった。野党は最終盤に予算委員長解任決議案を提出したものの犬の遠吠えのようにしか見えなかった。議席数の激変は単なる数の違いではなく審議の質をも変えた。

議案の成否、特に総予算の成否については、政党政治のある意味当然の帰結として、選挙の結果が出た時点ですでに決していると言えなくはない。与党が多数を有しているから、最終的に総予算が可決されるのは初めから分かっている。それでも、国会での論戦は重要である。なぜなら国会は手続の場であり、手順を踏んで議論をし、審議を進める。その過程で政府は国民に対する説明を尽くし、国民は政策に対する一定程度の合理性を感じ、国民の代表たる議員を介して政府の施策に対する正当性を与える。災害などの緊急時を除き、労力と時間をかけることは国民の意思を穏健にまとめていく議会制民主主義の根本作業であろう。政府は「国会のことは国会でお決めいただく」とするのが表向き答弁であるものの、実際には選挙での圧勝→強い政権の樹立→与党議員を通じた政府の国会審議の管理=国会での手続、手順の軽視→短期間での採決という政府主導の手順をとるとすれば議会の存在意義が問われる。

しかし、政府主導の手順がとられた結果、衆議院における総予算審議は、先例にはない「新しい記録」をいくつも作ることとなった。

 

委員会の審査経過概要

令和8年度総予算は常会に代わる総選挙後の特別会(会期150日)の2月20日に提出され、代表質問を経た後、2月26日に衆議院予算委員会で提案理由説明が行われ、3月13日に委員会、本会議で可決、衆議院を通過した。

2月に総選挙が行われたため、当初から総予算の年度内成立は困難、暫定予算必至との見方が専らであり1)1990年2月18日の総選挙で勝利した海部内閣では、総選挙後の特別会の2月28日に総予算を提出、5月10日に衆議院通過、参議院で否決後の6月7日に成立した。、総理自身も暫定予算の編成を示唆していた2)衆議院解散後の記者会見で、高市総理は「高市内閣として4月からの実施を決定している、いわゆる『高校の無償化』、『給食費無償化』の予算については、関連法案の年度内成立や暫定予算の計上など、あらゆる努力をして、実現してまいります。」と発言している。。ところが、総選挙での圧勝を受け転換し、政府与党は年度内成立を目指すようになった。総理は「国民生活に支障を生じさせないよう年度内成立を」と繰り返したが、そもそも年度内成立が困難な総選挙日程を決めたのは総理だとの批判もあった。与党は審議入りから3日目の3月2日の理事会で、13日までに議了するスケジュールを正式に野党に提示した。基本的質疑も終わらないうちから採決の日程を提示するのは異例であるが、初めから与党は日程ありきの姿勢を明確にした。

集中審議は回数が削られ、分科会は行わない、土日も審査を行うこと3)「国会議員は土日も返上して審議するのは当然」との声も出ていたが、国会で予算委員会が開かれると、国会職員、政府職員、関係団体職員、マスコミ関係者も含めると数千人が休日出勤を強いられることになる。抵抗する野党を押し切り、与党は地方公聴会を異例の日曜日(3月8日)に強行したが、土日審議を当然視することが正しいのか。などが求められた。想像するに、与党筆頭理事も提案することに困惑を感じたのではなかろうか。122兆円を超える大規模予算は精査されたとは言い難く、文部科学大臣のスキャンダルは決定的追及をまぬがれた。

「年度内成立を優先するのか」「議会での手続を重視するのか」。「国民生活なのか」「議会の健全性なのか」(国会をすっ飛ばしても成立を優先させるほど国民生活はひっ迫しているのか)。「硬直して物事がなかなか決まらない国会の先例を見直す」のか「政府主導の国会運営を拒否し国会の空洞化を食い止めるのか」。論点はすれ違っている。が、結論は多数者が決する。

・総予算の審議期間
総予算の提出から成立までの期間は47日でこれまでの最短である(1956年以降、過去では2000年の小渕内閣の50日が最短、この時は参議院の審議が18日と短かった。ここ10年の平均日数は65日程度である。)。

・衆議院予算委員会の審査期間
衆議院の委員会での期間は16日で、これも最短記録である(過去の最短は1994年の正常ではない政局下であった羽田内閣の23日4)1994年常会の総予算は例外的状況で行われた。細川内閣総辞職後、羽田内閣に代わって5月17日に衆院予算委員会が始まり成立は6月23日であった。羽田内閣は少数与党となっており、予算成立後総辞職した。)。ここ10年の平均日数は33日を超えているので、例年の半分以下である。

・衆議院予算委員会の審査時間
審議日数の減少に伴い、審議時間も短いものとなった。衆議院での総予算審査時間(公聴会、分科会を除く)は60時間35分5)報道では59時間とあるものが多いが、これは割当時間で実際の時間は60時間35分。であった(現在の審査形式となった2000年以降で、2007年の安倍政権の70時間12分がこれまでの最短)。昨年は少数与党ということもあり94時間49分と長時間審議となったが、例年は80時間程度であり、それと比較しても大幅に短い審議時間となった。

・衆議院予算委員会への総理の出席時間
基本的質疑は例年通り3日間開かれたが、総理が出席する集中審議は2日間だけであった。近年では4回以上開催されていた。総理の出席時間は35時間30分であった。2008年の福田内閣以降、42時間から68時間の間で推移し、昨年の石破総理は56時間31分で、おおむね50時間程度の出席であったが、大きく減少した。もっとも2000年から2007年の間はおおむね33、4時間程度であった。総理の国会拘束時間が諸外国と比べて長すぎることなどから国会審議活性化として2000年に審議形式は変革されたが、その後、党首討論が低調となったこと、衆参ねじれ国会の影響、野党が一般的質疑よりも集中審議を選択するようになったことなどから総理出席時間は次第に長くなる傾向があった。

・分科会の省略
分科会は省略された。37年ぶり4回目6)今回と1989年以外は1949年、1987年。のことであった。37年前の1989年の予算委員会はリクルート問題で大紛糾し総予算はほとんど審議されないまま竹下総理の辞意表明と引き換えに予算が成立したものである。平時のなかにあって今年の予算審議がいかに異常であったかを物語っている。

 

衆議院最終盤の段階で、国民民主は3月16日ならば前例に照らして一定程度の時間が確保され、その持つ意味は大きいとして採決に応じるとしたが、与党はこれを受け入れず、当初の目論見通り13日に衆議院を通過させた。

総予算は4月7日に参議院で可決成立した。参議院本会議では7票差の可決であったが、その前の委員会採決では可否同数となり委員長決裁で可決となっていた。

政府与党は参議院でも強行策を進め年度内成立を目指す方針ではあったが、衆議院とは異なり少数与党であり、日程を委員長職権で決めていくことは困難であった。また、参議院与党は内心では衆議院の審議の進め方はやり過ぎだと感じており、総理には面従腹背を貫き、表看板の良識の府、熟議の府として、ほぼ例年通りの審議時間を確保した。審議を大きく省略することは参議院の存在意義を問われることにもなり、その懸念は参議院の与野党で共通するものでもあった。このため、政府は4月11日までの暫定予算を組むこととなった。

今回の衆議院での審議は先例となる。一回実例があれば今後の国会運営で、「前例はあるのか」と問われれば、事務方は「あります」と答える。硬直的な先例主義には必ずしも賛成するものではない。しかし、今回の先例によって、国会対応などなるべく避けたい政府は、今後強引な国会運営を進めることへの心理的ハードルが下がり、国会を軽視することにつながりかねない。国会審議の背後には国民に対する説明責任があること、国会の自律した運営の重要性、一見非生産的に見える議会制民主主義の手続の持つ意味を考えつつ、維持すべき先例と見直すべき先例とを取捨選択していかねばならない。

 

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脚注

脚注
本文へ1 1990年2月18日の総選挙で勝利した海部内閣では、総選挙後の特別会の2月28日に総予算を提出、5月10日に衆議院通過、参議院で否決後の6月7日に成立した。
本文へ2 衆議院解散後の記者会見で、高市総理は「高市内閣として4月からの実施を決定している、いわゆる『高校の無償化』、『給食費無償化』の予算については、関連法案の年度内成立や暫定予算の計上など、あらゆる努力をして、実現してまいります。」と発言している。
本文へ3 「国会議員は土日も返上して審議するのは当然」との声も出ていたが、国会で予算委員会が開かれると、国会職員、政府職員、関係団体職員、マスコミ関係者も含めると数千人が休日出勤を強いられることになる。抵抗する野党を押し切り、与党は地方公聴会を異例の日曜日(3月8日)に強行したが、土日審議を当然視することが正しいのか。
本文へ4 1994年常会の総予算は例外的状況で行われた。細川内閣総辞職後、羽田内閣に代わって5月17日に衆院予算委員会が始まり成立は6月23日であった。羽田内閣は少数与党となっており、予算成立後総辞職した。
本文へ5 報道では59時間とあるものが多いが、これは割当時間で実際の時間は60時間35分。
本文へ6 今回と1989年以外は1949年、1987年。

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