国会の予算審議(4)

国会の予算審議(4)
─ 56年以降の総予算審議経過

岸井和
2019.11.26

Ⅳ 1956年以降の総予算審議経過

次に表1を見ていただきたい。1956年には、自民党、社会党が統一されて誕生した55年体制後の初めて総予算の審議が行われた。この年から、2019年に至る毎年の総予算審議の状況を概観したものである。

表では、「暦年(召集の年ではなく、総予算審議開始の年)」「会計年度」「国会回次(基本的には常会、特別会のこともある)」「内閣」とともに、「総予算提出日」「政府四演説日」「衆議院予算委員会での提案理由説明の日(委員会審査開始日)」「衆議院本会議での総予算議決日」「参議院本会議での議決日(総予算成立日)」の各日付を記したうえで、「暫定予算の有無」及び「衆議院審議期間(委員会での提案理由説明から本会議議決までの日数)」「衆議院予算委員会での審査日数(実際に委員会で審査を行った日数)」「参議院審議期間(衆議院本会議議決日から参議院本会議議決日の日数、最大30日)」「総予算提出から成立までの日数(総審議期間)」といったそれぞれの日数(当日起算)を記した。右端には「採決時の混乱(いわゆる強行採決)ないし野党の欠席(その場合は〇)」「衆議院予算審査中の予算委員長解任決議案の議決(採決した場合は〇)」を示している。

ここでは、個別の事例をふまえつつ、いくつかの特徴を挙げてみたい。

1.全期間

  • 総予算が年度内に成立しなかったのは、64年間のうち33回である。また、そのうち暫定予算が組まれたのは21回である。
  • 常会召集近くの前年末ないしは当該年始に総選挙があったケースは8回あるが(1967年、69年末、72年末、76年末、83年末、90年、2012年末、14年末)、73年の1回を除きいずれも総予算の提出が2月以降となっている。成立は73年を含め、すべて年度を越え、暫定予算を組まざるを得なくなっている。
  • 保革伯仲期(1976年~80年)、衆参ねじれによる総予算審議(1990年~93年、 1999年、2008年~09年、2011年~13年)については、手続き的に両院協議会を経てはいるものの、審議期間的には大きな影響は見られない。1979年、80年の予算委員会では野党が多数を占め、委員会において否決され本会議で逆転可決となっているが審議期間には影響は見受けられない。

 

2.第1期(1956~1966年)

  • 第1期については、年度越え成立が2回あるが、いずれも年度当初に成立しており、暫定予算には至っていない。
  • 答弁などをめぐりごく短期間審議が止まることはあったが、1959年の最低賃金法案をめぐる空転(2月19日~23日の5日間)を除き、長期の空転はなかった。少なくとも、年度内成立阻止を目的とするような日程闘争的な野党の審議拒否は見受けられない。
  • この時期、他の議案では強行採決・物理的抵抗が頻繁に繰り返されてはいたが、野党も総予算審議には基本的には協力的だったと言える。

3.第2期(1967年~1999年)

  • 第2期になると、年度内成立はほとんどなくなる。この33年間のうち、年度内に成立しなかったのは28回であり、暫定予算に至ったのは18回である。総予算が年度内に成立しないことが常態化し、暫定予算も通常のこととなっている。野党は審議拒否戦術をとることで、総予算成立日の日程を調整しつつ、何らかの要求を受け入れさせる戦術を多用した。
  • さらには、上記の「通常の範囲の審議拒否」ではなく真の対決が展開され、総予算の成立を大幅に遅らせてでも政府を追及すべきような重大問題がしばしば生じ、「審議空転」が長期に続き、総予算成立が大幅に遅れたこともある。「総予算の総審議期間(提出~成立)」が80日以上と特に長期にわたった(つまり、衆議院での審議時間も長くなった)10例は以下の通りである。
    • 1968年 倉石農林大臣の記者会見における「現行憲法は他力本願。日本はアメリカの妾」との発言をめぐり2月7日の委員会で紛糾。2月23日まで空転。同日大臣辞任。(総審議期間81日)
    • 1972年 四次防予算を巡る政府発言で2月8日から26日まで空転。26日には内閣が予算修正1)国会で修正議決されることと、内閣が自ら提出した予算を修正するのとは異なる。内閣修正は、議案が会議の議題となった後は院の承諾を得なければならない(国会法59条)。本件については、1972年2月26日の本会議で修正の承諾があった。このほかの総予算の内閣修正は1948年、1977年、1991年にある。また、衆議院で総予算が修正議決されたのは、1953年、1954年、1955年、1996年である。を行い、収拾を図った。(総審議期間92日)
    • 1974年 狂乱物価問題で、商社等の幹部の証人喚問を要求する野党とそれを拒否する与党の間で対立。断続的に審議空転。(総審議期間80日)
    • 1976年 ロッキード事件をめぐる証人喚問等で3月6日から4月6日まで空転(3月11日の分科会を除く)。委員会の採決では社会党欠席2)55年体制に入ってから、社会党が総予算の委員会採決を欠席したのは、確認する限りこの時が初めてである。。(総審議期間107日)
    • 1987年 売上税をめぐり予算委員会冒頭から野党が反発。2月4日の提案理由説明に野党は欠席、その後審議拒否が続き、19日に提案理由説明をやり直し、3月3日にようやく総括質疑入りするが、その後も空転し、4月15日に強行採決。委員会審査は9日間のみ。本会議では野党が牛歩戦術を展開し徹夜国会となり、最後は議長調停により売上税廃案を決定して4月23日に総予算衆議院通過。(総審議期間115日)
    • 1989年 昭和天皇の崩御により審議入りが遅れる。リクルート問題をめぐり、審議空転が続き、野党欠席の委員会も含めても衆議院審査日数は12日のみ。竹下総理退陣表明。採決時には野党欠席。参議院は議決せず自然成立。(総審議期間109日)
    • 1990年 (総予算審議途中の)補正予算審議について、小沢自民党幹事長が補正関連法案との一括処理を要求(補正予算に反対しつつ、その関連法案に賛成という矛盾した野党の姿勢を認めるべきではないというもの)、これに野党が反発し3月9日から21日の間空転。(総審議期間100日)
    • 1994年 非自民の細川内閣が「政治改革法案」を先行審議、総予算の提出・審議入りが遅れた。審議入り後、「佐川急便問題」で細川総理が辞任、羽田内閣となるが新会派「改新」結成問題で社会党が連立政権離脱、少数政権に。国会運営よりも与党内の混乱のため、総審議期間は長いが、実際の審査日数は少ない。(総審議期間112日)
    • 1996年 住宅金融専門会社の経営危機に関し、国の資金を投入して救済することに野党が強く抵抗、3月4日から25日まで予算委員室で座り込みを行い審査は長期間空転。総予算は総則部分を修正議決。この時の野党第一党は新進党。衆議院の審査日数は32日間と最長となっている(審査時間も平成以降で最長)。これは、座り込み解除の際の3月25日に与野党間で「十分な審議をする、強硬な採決は行わない」との合意があったため3)読売新聞1996.3.26、暫定予算成立後の4月1日から11日まで、9日間にわたって精力的に委員会審査が行われたためである。(総審議期間110日)
    • 1998年 総予算提出後、その審議に入る前、金融システム安定化策、大蔵省不祥事問題で大蔵大臣の辞任などもあり、補正予算審議が大幅に遅延。総予算の審議入りは2月19日であり、提出からすでに32日目。ただし、「衆議院審議期間」、「衆議院の審査日数」は特段長いものではなかったことに注意。この時の野党第一党は民主党。(総審議期間80日)
  • 野党の審議拒否戦術が多かったこの時期においても、総予算に関して強行採決あるいはそれに準じた採決がなされた例は多くはない。1976年(社会党欠席)、87年(混乱の中での採決)、89年(全野党欠席)などであるが、ロッキード事件、売上税、リクルート事件といずれも社会的関心の特に強い環境下であった。
  • 総予算は最終的には成立させざるを得ないことを前提に、対立しつつも与野党の国会運営の方式が定型化し一種の馴れ合いになっていたこと、また、野党としても政策全般にかかわる予算に関して出席のうえ政府との相違を明示する必要があることがその主たる理由であると考えられる。
  • いわゆる保革伯仲といわれる時期(1976年~)を含む1978年から86年まで(前年末総選挙のあった84年を除き)の9年間は、いずれも年度を越えてはいるが、暫定予算に至ることのない成立である。予算委員会で与野党逆転し、委員会で否決される事態もあったが、最終的には野党の面子をたて、政府も実質的被害をこうむらない絶妙な時期に成立している。伯仲状況であるがゆえに逆に与野党の間の意思疎通の努力が図られた証左であろう4) 1980年の衆参同日選挙では自民党が大勝したが、国会運営の話し合い方には伯仲時代とそれほど大きな変化がなかったとの指摘がある。内田健三「政党内・間の手続き」1985
  • また、基本的には野党の審議拒否に与党は委員会開会をせずに、予算の理事会、国対などで収拾策を模索するという対応をしてきたが、この時期の終盤にあたる1993年3月3日の予算委員会では、野党が欠席して「質疑なき審議」、カラ回しが初めて行われ5)読売新聞1993.4.4、大きな方針の変更の先駆けとなった。次の第3期においてはしばしば行われるようになる。

 

4.第3期(2000年~2019年)

  • 政党の再編が繰り返された結果、民主党が自民党の対抗勢力となった後の1999年以降については、総予算審議期間が長期にわたることはなくなった。さらに、予算審査の方式が変更された2000年には提出から成立までの期間の最短を記録するなど、全体的に審議日数は減少している。
  • したがって、年度内成立の割合が増加している。20年間のうち、成立が年度を越えたのは3回(このうち、2回は前年末に総選挙が行われ、審議入り自体が遅い。)となり、第2期と比較して大きく減少している。
  • 委員会審査については、審議拒否・空転が少なくなり、与党は野党が欠席していても「カラ回し」で審査時間を経過させる手段をとるようになってきた6)カラ回しの初例は前述のとおり1993年と思われるが、その後、総予算については1996年、98年、99年、2001年、07年、08年、10年、18年などにカラ回しがみられる。与党が自民党の時も民主党の時も行っている。また、総予算以上に与野党対決の重要法案の審査の際にカラ回しが行われることが多い。。空転させて、野党が要求を飲ませるという方法は取りにくくなっている。また、カラ回しは何日も続くことはなく概ね1日で終わり、その後、野党は審査に復帰していることが多い。
  • 採決について、第3期には2007年、08年、14年、18年と4回、野党の欠席(一部の野党欠席の場合も含む)や強行採決と不正常な中で採決を行った。野党としても国会の最重要の議案に対し意思表示をしないことは国民に基本姿勢を示さないこととなり可能な限り避けたい。第1期(0回)や第2期(3回)7)この3回は、ロッキード事件、売上税、リクルート事件の時であり、決定的に与野党が対立して総予算審議が混乱した時である。、と比べてもその回数は増加している。
  • また、総予算審議中に、予算委員長解任決議案が提出され、否決されたのは6回(2001年、02年、07年、10年、11年、18年)である。野党民主党も、野党自民党もお互いに提出しているが、第1期では0回、第2期においても3回8)1956年、67年にも予算委員長解任決議案が提出されているが、いずれも議決に至る前に撤回されている。また、1992年にも予算委員長解任決議案が提出されたが未決であった。であることから考えると、与野党の交渉の硬直化、あるいは表の舞台での争い―裏取引が減ったとも言えるが―がうかがえる。
  • こうした傾向は民主党が野党第一党となった時期(1998年)あたりから始まる。委員長解任提出の主たる理由は、日程協議の合意を得ない中で与党が強行におし進めようとし、野党はこれに反発するということにある。全体としては審議日程が必ずしも遅延しているとも考えられない状況にあり、与党はこれまで以上に総予算の年度内成立を進めようとする姿勢がみてとれる。野党は審議拒否による国会空転という手段が使えなくなってきているため、委員長解任決議案を提出し、審議引き延ばしの手段としているが、数時間から1、2日間の時間しかかせげていない。与野党の審議日程をめぐる駆け引きは次第に非妥協的になってきていると考えられる

(続く)

脚注

脚注
本文へ1 国会で修正議決されることと、内閣が自ら提出した予算を修正するのとは異なる。内閣修正は、議案が会議の議題となった後は院の承諾を得なければならない(国会法59条)。本件については、1972年2月26日の本会議で修正の承諾があった。このほかの総予算の内閣修正は1948年、1977年、1991年にある。また、衆議院で総予算が修正議決されたのは、1953年、1954年、1955年、1996年である。
本文へ2 55年体制に入ってから、社会党が総予算の委員会採決を欠席したのは、確認する限りこの時が初めてである。
本文へ3 読売新聞1996.3.26
本文へ4 1980年の衆参同日選挙では自民党が大勝したが、国会運営の話し合い方には伯仲時代とそれほど大きな変化がなかったとの指摘がある。内田健三「政党内・間の手続き」1985
本文へ5 読売新聞1993.4.4
本文へ6 カラ回しの初例は前述のとおり1993年と思われるが、その後、総予算については1996年、98年、99年、2001年、07年、08年、10年、18年などにカラ回しがみられる。与党が自民党の時も民主党の時も行っている。また、総予算以上に与野党対決の重要法案の審査の際にカラ回しが行われることが多い。
本文へ7 この3回は、ロッキード事件、売上税、リクルート事件の時であり、決定的に与野党が対立して総予算審議が混乱した時である。
本文へ8 1956年、67年にも予算委員長解任決議案が提出されているが、いずれも議決に至る前に撤回されている。また、1992年にも予算委員長解任決議案が提出されたが未決であった。

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