国会の攻防(24)

国会の攻防(24)
平成18年から平成24年(2006年から2012年
) ― 政権交代と衆参ねじれの時代、対立と協調③
衆参ねじれと不信任決議案等、第一次安倍政権(強硬姿勢と社会保険庁改革法案、国家公務員法改正案)

岸井和
2021.04.01

(5)衆参ねじれと不信任決議案等

上記の表からわかるとおり、衆参ねじれの時期には、不信任決議案等の提出は比較的少ない。上記の表のうち、2007年の第166回国会と2010年の第174回国会は不信任決議案等の提出件数は多いが、このときは衆参ねじれの状況ではなかった。また、衆参ねじれの状況下では衆議院よりも参議院での問責決議案等の提出が多い。野党は、衆議院において否決される不信任決議案を提出するよりも、参議院において可決される問責決議案等を件数を絞って提出する傾向にある。

衆参ねじれ期の参議院において議決に至った問責決議案(議長不信任決議案、委員長解任決議案を除く)9件(総理問責決議案3件、大臣問責決議案6件、表にはない2013年の第二次安倍政権の問責決議案は除く)は、すべて可決されている。逆に言えば、問責決議案は議題となれば可決されることになるので、野党もその提出時期については慎重にならざるを得ない。問責に値する理由がなければならないのは当然として、国会運営全体を見渡して、どうしても必要な法案審議には支障をきたさない時期を見計らう必要がある。単純な抵抗戦術ではなく、実効的な武器を持っているからである。

したがって、単純な抵抗戦術を採る必要がないため、徹夜国会となることも稀であった。2006年から2012年までの間、本会議が未明となったことは6回である。衆議院が4回、参議院が2回であるが、このうち衆参ねじれの時は衆参ともに1回ずつにすぎない。それも菅内閣の時(衆議院第177回国会2011年2月28日~3月1日、参議院第176回国会2010年11月)であるが、長時間の本会議にはなってない。

 

2第一次安倍晋三内閣(自民・公明政権)

相次ぐ強行採決

第一次安倍内閣のときは、衆参ねじれではなく、衆参ともに与党が多数を占め、しかも、衆議院においては3分の2以上の議席を有しており、与党はかなり強引に国会運営を行った。2007年(平成19年)の第166回通常国会は、このことを明確に示している。第一次補正予算審議は柳沢伯夫厚生労働大臣の「女性は産む機械」との発言で最初から与野党対立ムードの中、衆参とも与党が単独で委員会審査を行い、採決も強行された。3月2日、衆議院では総予算も強行採決され、審議時間は平成2年以降では最短であった(平成元年はリクルート問題で審議がほとんど行われなかった)。同じ日、総務委員会、財務金融委員会でも予算関連法案を強行採決した。憲法調査特別委員会では国民投票法案1)日本国憲法の改正手続に関する法律案(自公衆法)。日本国憲法の改正及び国政における重要な問題に係る案件の発議手続及び国民投票に関する法律案(民主衆法)と併合修正された。を、安全保障委員会では米軍再編特措法案2)駐留軍等の再編の円滑な実施に関する特別措置法案を、法務委員会では少年法等改正案を、厚生労働委員会では社会保険庁関連法案3)日本年金機構法案、国民年金事業等の運営の改善のための国民年金法等の一部を改正する法律案、年金時効特例法案4)厚生年金保険の保険給付及び国民年金の給付に係る時効の特例等に関する法律案も強行採決された。必ずしも与野党対立法案ではなくとも強行採決が行われ、法務委員会の更生保護法案は全会一致であったし、財務金融委員会の電子記録債権法案は野党第一党が賛成していた。日程的、時間的都合による強行であった。

こうした強行姿勢をとりつつも、本会議が日付変更線をまたいだ、未明となったのは衆議院で2回、参議院では1回あっただけであった。与党は衆議院で圧倒的多数を有していて勢いづき、野党は多勢に無勢で強気には出なかった。

衆議院の1回目は、この3月2日の夜から3日未明にかけての総予算とその関連法案通過の本会議の時で、上記の通り、予算、総務、財務金融委員会での強行採決といった事態を受けて、民主党が各委員長の解任決議案を提出したものであった。民主党の枝野幸男議員は、金子一義予算委員長解任決議案の趣旨弁明で長広舌を振るい、本会議は延会され、3日の午前零時半前に再開された。与党は再度延々と演説を続けられることを避けるため、発言時間制限の動議を提出し発言を制限した。その後は淡々と議事は進み、佐藤勉総務委員長解任決議案が否決されると、民主党は「人道的配慮」という理由で予算関連法案の採決を6日に先送りとすることで伊藤達也財務金融委員長解任決議案を撤回し5)2007年3月3日 読売新聞夕刊、そのまま総予算は可決された。午前4時近くに本会議は散会している。

 

社会保険庁改革関連法案と年金給付時効特例法案、国家公務員法改正案

安倍内閣の強硬姿勢を端的に示したのは、社会保険庁改革関連法案(内閣提出)6)日本年金機構法案(内閣提出)、国民年金事業等の運営の改善のための国民年金法等の一部を改正する法律案(内閣提出) と年金給付時効特例法案(与党議員提出)7)厚生年金保険の保険金給付及び国民年金の給付に係る時効の特例等に関する法律案(議員提出) の審議であった。社会保険庁の年金管理事業が杜撰であり、5000万件もの年金納付記録が放置されていた「消えた年金問題」に端を発し、社会保険庁を廃止して非公務員からなる日本年金機構に改組することなどの改革を進めるとともに、年金支給漏れ対策として年金時効停止を図るものであった。政権支持率が大きく低下する中、民主党をはじめとする野党は政府の責任を追及して議論が出尽くすまで審議を進めることを求める一方、防戦に回った与党は強行採決で早急な幕引きを図ろうとした。

衆議院厚生労働委員会では、5月25日に社会保険庁改革法案を強行採決、5月30日には5時間の審査で時効特例法案を強行採決した。時効特例法案の採決は混乱し、河野洋平議長は確認のための採決を行うよう要請した。しかし、野党は強行採決は無効との姿勢を崩さず、与党は確認の採決を断念した8)2007年5月31日 毎日新聞

与野党の対立が続いたまま、これらの法案の本会議審議は31日に行われることとなった。野党は、逢沢一郎議院運営委員長解任決議案、櫻田義孝厚生労働委員長解任決議案、柳澤伯夫厚生労働大臣不信任決議案を連発し、徹底抗戦の構えを見せた。議院運営委員長解任決議案の理由は本会議の開会を強行したことによる。午後2時半過ぎに始まった本会議は二つの解任決議案と不信任決議案の審議を行い、本題の法案審議の途中でその日の本会議は延会となった。民主党の不信任決議案の趣旨弁明は2時間近く行われ、合法的な議事妨害戦術をとった。ただ、翌日の午前零時過ぎからの法案審議の本会議は1時間程度で終了している。野党としては本会議を翌日まで引き延ばし、与党の強硬姿勢と政府の失態をアピールしたことでよしとした。牛歩戦術はとらない方針である以上、何日にもわたる抵抗は困難である。

この法案を巡っては、参議院でも未明の本会議となった。会期延長後の会期末まで残り一週間となった6月28日に厚生労働委員会で鶴保庸介委員長が質疑終局を宣告し、三法案が順次採決された。

翌29日の参議院本会議は午後2時過ぎに開会し、柳澤伯夫厚生労働大臣問責決議案、安倍晋三内閣総理大臣問責決議案が否決された。野党は問責決議案を提出したものの長時間演説などは行わず、比較的粛々と議事は進められた。午後6時前に休憩に入ると、衆議院において安倍内閣不信任決議案の議事が行われた(約2時間、午後8時過ぎに開会し午後10時前に散会)。野党は両院を跨いで問責決議案や不信任決議案を提出し時間を稼いだ。手続きに必要な時間を勘案して不信任決議案等提出のタイミングをはかりつつ、さらには内閣不信任決議案には全大臣が出席しなければならないため両院同時に本会議は開けず、衆議院の不信任決議案は参議院の審議の抵抗に寄与することになる。長時間演説よりも効率的な方法かもしれない。しかし、身動きもできない狭い議場の席に長い時間拘束されることもなく、あまり疲れないので精神的には抵抗したとの感覚が薄い。

午後11時前に参議院本会議は再開され、強行採決をした鶴保厚生労働委員長解任決議案を否決すると本会議は延会となり、翌日午前零時過ぎから社会保険庁改革関連法案等の審議が行われた。法案を委員会に再付託することの動議が提出されたものの否決され、三法案は比較的平穏に可決、成立した。

しかし、この日の参議院本会議はこれで終わりではなかった。まだ委員会で審査中の国家公務員法改正案が残っていた。公務員の人事評価制度、天下りの禁止をはかるものであったが、所管の内閣委員会の委員長は民主党であり、委員会採決へと進まなかったために、与党は中間報告を求める方策を採った。会期末が近づくなかで委員会から法案を強制的にとりあげる方法である。民主党の藤原正司内閣委員長は抗議をしつつも中間報告を行ったが、民主党などの野党議員は本会議場から退席した。その後法案は直ちに本会議で審議すべしとの動議を可決、続いて法案も可決され、成立した。途中で野党が退席したため、時間はそれほどかからなかったが、それでも時計は午前3時に近づいていた。

 

河野洋平議長不信任決議案と懲罰事犯

第166回国会の会期末が近づいた6月20日には河野洋平衆議院議長不信任決議案が提出された。法案の議事とは関係ない状況のなかで議長不信任決議案が提出されるのは珍しいケースである。

不信任決議案提出の理由は、5月30日の厚生労働委員会での強行採決の際、民主党の内山晃議員が委員長を委員長席から引きずり下ろしたことによる不当な懲罰に議長は対処せず、与党の度重なる強行な議会運営を議長が看過してきたことである9)河野議長が横光懲罰委員長の辞任を慫慂したことに野党側が反発し、議長不信任決議案提出に繋がったとも言われているが、趣旨弁明では触れられていない。2007年6月20日 朝日新聞。良い悪いは別にしても強行採決の際の暴力的行為はしばしばあることで、これに対して与党は懲罰動議を提出することも多々ある。ただ、委員会の混乱はお互い様のことであり、普通は牽制のために与党が動議を提出するだけで終わる。だが、このときは、自民党の理事が委員長代理として懲罰委員会を開会し、民主党の横光克彦委員長を不信任としてそのまま議事を進め、野党欠席のまま内山君を30日の登院停止を短時間で議決してしまった。委員会で委員長不信任の動議が可決したのは59年ぶり2度目のことである(国会の攻防(4)参照)。これは与党が強引すぎる事態であり、逆に言えば与党が余裕を失っていたことの証ともいえる。

議会運営の強引さについては、野党の言い分によれば「…巨大与党の数の力に物を言わせ、強引な議会運営を推し進めてまいりました。委員長職権による委員会設定は四十七回を数え、強行採決は十四回も行われました…10)2007.6.20 衆議院会議録 民主党松野頼久議員の議長不信任決議案の趣旨弁明」ということで、与党も「…余りにも、(議員)数が多いことを理由に、強引に国会審議を進めようとする自民党の執行部に対して、議長は何度かにわたって、ちょっとやり過ぎだということを言ってきた…11)2007.6.20 衆議院会議録 自民党鈴木恒夫議員の討論」と半ば認めている。

第一次安倍内閣は巨大な多数を背景に強引な国会運営を行っていたものの、その実、次第にレームダック化していった。支持率は低下し、近づく参議院選挙の見通しも立たなかった。明らかに与党には動揺やあせりがあった。

脚注

脚注
本文へ1 日本国憲法の改正手続に関する法律案(自公衆法)。日本国憲法の改正及び国政における重要な問題に係る案件の発議手続及び国民投票に関する法律案(民主衆法)と併合修正された。
本文へ2 駐留軍等の再編の円滑な実施に関する特別措置法案
本文へ3 日本年金機構法案、国民年金事業等の運営の改善のための国民年金法等の一部を改正する法律案
本文へ4 厚生年金保険の保険給付及び国民年金の給付に係る時効の特例等に関する法律案
本文へ5 2007年3月3日 読売新聞夕刊
本文へ6 日本年金機構法案(内閣提出)、国民年金事業等の運営の改善のための国民年金法等の一部を改正する法律案(内閣提出)
本文へ7 厚生年金保険の保険金給付及び国民年金の給付に係る時効の特例等に関する法律案(議員提出)
本文へ8 2007年5月31日 毎日新聞
本文へ9 河野議長が横光懲罰委員長の辞任を慫慂したことに野党側が反発し、議長不信任決議案提出に繋がったとも言われているが、趣旨弁明では触れられていない。2007年6月20日 朝日新聞
本文へ10 2007.6.20 衆議院会議録 民主党松野頼久議員の議長不信任決議案の趣旨弁明
本文へ11 2007.6.20 衆議院会議録 自民党鈴木恒夫議員の討論

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