臨時会召集要求 その理念と現実 -国会の権利と内閣の権限(1)
岸井和
2023.12.19
1 国会運営について曖昧な憲法、法規、先例
国会の運営は常に法規と政治の狭間で行われている。それが憲法で定められている事項も多々あるが、憲法の条文は端的に言えば大雑把でもある。あるいはそれゆえ手順が下位の法規で明確に規定されていれば、その手順に従って運営される。しかし、法規も曖昧で解釈の違いが生じる場合は、その間を縫って政治的判断をもとに進めていくことになる。その中間に先例というものがあるが、確立されていて法規と同様な拘束性のあるものから、あやふやなものまでが存在して相反する先例も少なくなく、与野党がそれぞれの立場から政治的に都合の良い先例を持ち出してくる。
たとえば、解散権の問題、両院協議会の進め方などは、憲法の規定だけでは不明確である。国会法や議院規則などの法規や先例はある程度の規範性を持つものもあるが、それらも不分明な点が多く、新憲法下で約80年を経ても曖昧なままでしばしば議論の種となる。
2 曖昧な臨時会召集要求の規定
「臨時会の召集要求」も同様である。憲法53条には「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」とある。条文を素直に読めば、衆議院か参議院いずれかの4分の1以上の議員から臨時会の召集要求があれば内閣としては臨時会を召集する義務を負っているということになる。しかし、内閣は何度も臨時会の召集要求を事実上無視してきた。
この憲法の条文で明確なことは、議員は臨時会の召集を要求できることと、そのためにはいずれかの議院の総議員の4分の1以上が要求しなければいけないことだけである。それにより、内閣が実質的な召集権を持つことを前提としているが、召集の期限が明記されておらず、内閣は召集要求を放置することが可能となり、現実にはそれが「先例」となってしまった。
国会法3条には「臨時会の召集の決定を要求するには、いずれかの議院の総議員の四分の一以上の議員が連名で、議長を経由して内閣に要求書を提出しなければならない」とあるが、これも単に国会内部の手続きを書いてあるだけで、肝心な内閣の行為を規制する内容には言及しておらず意味のあるものではない。衆議院先例集(平成29年版)には「…内閣総理大臣宛の臨時会召集要求書が提出されたときは、議長は、即日これを内閣に送付するのが例である…」とこれも議長が手続きをサボタージュしてはいけないことを書いてあるだけで実質的中味は書かれていない。
3 臨時会召集要求の持つ意義
近世以降、議会制度を採用するようになった国々においても、議会の召集権限は国王(政府)にあった。議会が自律的に集まる制度は採用していなかった。つまり、国王(政府)の必要な時にのみ議会は召集され、活動することが可能な仕組みであった。それは主として予算の承認を議会に求めるとき(課税を求めるとき)、必要な法律を制定しなければいけないときで、比較的短期間の会期で事足りるとしても政府にとっては鬱陶しい議会を頻繁に開くことは避けられていた。ところが現代においては、行政の守備範囲が広くなるとともに多くの法律を策定する必要に迫られるようになったことに伴い、議会を通じて国民に政策について説明をすることを求められることが多くなり、結果的に議会の仕事は増加した。民主化が進めば議会の会期は長くなる。この結果、現在では主要国においてはほぼ通年議会制となっている。議員側が国会の召集要求をしなくても常に舞台は用意されている。だが、日本では帝国議会時代の伝統を引き継ぎ、細切れの会期制度のままで、それも臨時会召集要求書が提出された場合も含めて政府の意向によって(のみ)召集されている。日本の国会の開会状況は世界的潮流とは異なる。
憲法53条の持つ本来的な意味は、国会側から召集を要求することができて、「4分の1要件」からして国会少数派、実質的には勢力の大きい野党の要求を認めたものであり、しかも、内閣はそれに応じる義務があるということである。
憲法制定時に所管の金森徳次郎国務大臣は臨時会召集要求について「…此の議會を臨時召集する權能と云ふものは、其の議院を構成する力の過半數に認めないで寧ろ少數に認めまして、少數の人が要求致しましても議會は開かれる、茲に少數派の意思も十分主張し得る機會も出て出る、此の見解の方が正しいと思ひます…」(1946年9月21日貴族院帝国憲法改正案特別委員会)と答弁していることからもそれがわかる。
臨時会召集要求は、国権の最高機関としての国会の機能を十全に果たすために帝国議会時代の旧式な召集方式を踏襲しつつもその欠点を補完しようとするもので、政府の都合だけではなく議会側の意思、特に少数派(野党)の意思に基づいて国会を開くべきものとの規定であった。しかしながら、その憲法上の規定は当初の理念とはかけ離れて形骸化した先例が積み重なっている。
4 臨時会召集要求書提出と実際の召集
臨時会召集要求は新たな理念に反して最初から軽く扱われた。最初の臨時会召集要求は1948年7月27日に提出された(内閣への送付は翌日)が実際の召集は同年の10月11日で送付から75日後であった。2回目(1949年7月7日)は109日後、3回目(1950年7月31日)は113日後の召集であった。1970年6月1日に提出された要求に佐藤内閣が応じたのは何と176日後であった。つまり、要求に応じたというよりは内閣の都合で臨時会を召集するまで放置し続けただけであった。
1949年8月27日の参議院議院運営委員会において、増田甲子七官房長官は「…憲法にも國会法にも召集期日の指定に関しては何らの規定がない。そこで請求者に対しては期日の指定権を與えておるというふうには認められない。であるから内閣はその期日に拘束されるものではないと…諸般の状況を勘案して、合理的に判断してその最も適当と認める召集時期を決定すべきものと考えられる。」と答弁している。つまり、召集要求をした議員は臨時会召集の期日の指定はできないのだから、いつ召集するかは政府の合理的判断にかかっているとしている。
その後、基本的な政府の憲法解釈は現在まで変更されていない。2003年12月16日の参議院外交防衛委員会で秋山收法制局長官は「…基本的には、臨時会で審議すべき事項なども勘案して、召集のために必要な合理的な期間を超えない期間内に召集を行うことを決定しなければならないというふうに考えられているところでございます。」とし、審議事項を勘案しつつ必要な合理的期間の範囲内での召集と一歩進んだかのようにも思えるが、それは政府が判断するわけだから実質的な進展のない修飾語をつけただけの官僚答弁である。
したがって、いくつか近年の例を出すならば、2017年6月22日提出の臨時会要求に安倍内閣が応じたのは98日後の9月28日で、2021年7月16日提出の臨時会召集要求に菅内閣が応じたのは80日後の10月4日であり、政府の都合を待っての召集であった。これらも「先例」となっている。(なお、小泉内閣で2回、安倍内閣で1回、臨時会召集要求に応じずにそのまま常会が召集されたこともある(2004年常会(要求から53日後)、2006年常会(同80日後)、2016年常会(同75日後)))。
(続く)
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