国会審議における議員立法(8)

国会審議における議員立法(8)
─ 野党提出の議員立法

岸井和
2020.03.16

6野党提出の議員立法の限界

議員立法の多くは野党議員提出のものである。しかしながら、野党議員から提出された議員立法(提出者に与党議員が含まれないもの)はほとんど成立することはない。後に表2で詳述するが、成立する議員立法の多くは委員会提出法案であり、提出されたものはほとんど成立する。次いで成立率が高いものは提出法案数そのものは多くはないが与党議員提出法案である。

上記を前提として、議員立法が提出されたのち、それらの法案の先行きが実際にどうなっているのか、主なパターンを示すと次のようになる。

【1】両院で可決され、法律として成立する。大多数は委員会提出法案であり、それに準じた与野党共同提出法案、与党提出の中で政策実現を目指す法案(例えばIR法案1)特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案(自民、維新、次世代議員提出) )や必要に迫られた法案(例えば一票の格差是正のための公職選挙法改正案)も成立するケースがある。

【2】提出されたものの、委員会に付託されず、あるいは付託されても審査の対象となることなく、審査未了廃案、あるいは継続審査となる(継続審査となっても次国会以降で審査されることは少ない。)。野党提出の法案の多くと、与党提出の支持団体向けのアピール法案はこの例が多い。

【3】野党の議員立法が、与党案(閣法や与党議員立法)の対案として委員会審査の対象となり、趣旨説明、質疑が行われることがある。この場合、最終的に野党案は、与党案の修正などと引き換えに撤回されるか、否決されるか、与党案が可決されたのち議決不要の採決を行うか、そのまま放置され会期末に廃案となるかなどの道を進むことになる。

以下、【3】、つまり提出法案数の大多数を占める野党議員提出法案の取り扱い、特に、2000年以降の常会における動向を中心に見ていきたい。

(1) 法律として成立したケース

成立が見込まれる議員立法は、委員会提出法案、与党議員提出法案ないしは与野党議員共同提出のものであり、背後に多数を持たない野党単独での議員提出の法案が成立することは稀である。

55年体制以降、現在に至るまでの野党議員のみ(与野党相乗りは含まない)が提出した議員立法が成立した例は以下のとおり11法案(衆法8法案 、参法3法案)のみである。

① 1978年5月

  • 女子教育職員の出産に際しての補助教育職員の確保に関する法律の一部を改正する法律案(参法)

② 1998年10月

  • 金融再生委員会設置法の施行に伴う関係法律の整備に関する法律案(衆法)
  • 預金保険法の一部を改正する法律案(衆法)
  • 金融再生委員会設置法案(衆法)
  • 金融機能の再生のための緊急措置に関する法律案(衆法)

2011年3月

  • 国民生活等の混乱を回避するための地方税法の一部を改正する法律案(衆法)
  • 国民生活等の混乱を回避するための租税特別措置法等の一部を改正する法律案(衆法)

2011年7

  • 平成二十三年原子力事故による被害に係る緊急措置に関する法律案(参法)

⑤ 2011年11月

  • 株式会社東日本大震災事業者再生支援機構法案(参法)

2012年11月

  • 衆議院小選挙区選出議員の選挙区間における人口較差を緊急に是正するための公職選挙法及び衆議院議員選挙区画定審議会設置法の一部を改正する法律案(衆法)

2015年9月

  • 労働者の職務に応じた待遇の確保等のための施策の推進に関する法律案(衆法)

(西暦は成立した年。関連する法律案を①~⑦に分類して記載している。)

上記のうち、①と⑦を除いては、衆参ねじれの時期の政権基盤が不安定な時に成立したものであり、野党に配慮せざるを得ない状況下にあったと言える。つまり、政権与党の議会基盤が例外的に不安定な場合を除いては、野党提出の議員立法が成立することは極めて少ない。

特に、1998年(143回国会)の「金融再生関連4法案(②)」については、閣法も提出されていたが、衆参ねじれの中で、小渕恵三首相は対案の野党案丸呑みを決断した(野党案を修正した上で成立。なお、一括議題となっていた与党案も修正で成立)。「金融国会」の最重要案件で、野党案が成立したことは決定的な重みを持つ。金融危機、ねじれといった状況の中で危機的事態に対処するために内閣が苦渋の選択をした例外中の例外と言うしかない。

2011年の「予算関連2法案(③)」は、年度末になって失効する税法を一時的に延長し混乱を回避するために野党の自民・公明が「つなぎ法案」として提出したものである。衆参ねじれ、菅直人政権基盤のゆらぎ、東日本大震災といった環境の中、閣法の税制改正関連法案などについて年度末になっても成立のめどがつかないことから与野党合意の上での緊急避難的な立法であった。2008年の衆参ねじれ時(与党は自民、公明)も同様の状況ではあったが、その時は同様の法案を委員会提出法案として対処していたことを考えると、当時とは与野党のパワーバランスに変化があったとみることができるかもしれない。

同じく2011年の「原発事故緊急措置法案(④)」は、原発事故の迅速な損害てん補のため国が仮払金を支払うことなどを定めたものである。参議院で多数を有する自民などの野党各会派が提出し、政府、与党民主の反対にもかかわらず参議院を通過した。参議院本会議では僅差の可決とった。衆議院においては与野党間で修正協議が整い、民主も賛成の上修正議決された(その後、参議院において回付案が同意され成立)。与党が多数を有しない参議院において議論を始めたことにより野党に主導権を奪われた。

同年には、上記の③④に加え、野党提出の参法「株式会社東日本大震災事業者再生支援機構法案(⑤)」も成立している。この法案は震災によって過大な債務を背負った事業者を救済するための機構(株式会社)を作り、被災地の復興、再生を図ろうとするもので、与野党の修正協議が整い、みんなの党を除く全会派が賛成して成立している。

2012年には、野党自民の提出した「衆議院の一票の格差是正法案(⑥)」が成立した。与党民主案は格差是正とともに比例代表の定数を40議席削減するものであった。与野党案ともに衆議院を通過したが(自民案と重複しないよう与党案の格差是正などについては修正して削除)、大幅な定数削減を目指す与党案は参議院で審議せずに審査未了となり、野党案の格差是正については成立した。野田佳彦内閣が政権運営に行き詰まり、衆議院解散直前、総選挙を控えての法案提出で、与党として定数削減の姿勢をアピールすることが目的で成立は期待していなかった。

上記の5例は全て衆参ねじれの特殊な政治状況で成立したものであり、政権基盤が安定しているときに、野党議員のみが提出した議員立法が成立したのは2例しかない。与党は野党主導の立法に頑なな姿勢を示すのはある意味当然ともいえるが、それにしても少ないし、成立過程は必ずしもすっきりとしたものとは言えない。

1例目(①)は、「女子教職員出産に際しての補助教職員確保法案」である2)「自民党がその提出に関与しない法案で成立に至ったものは、結党後現在に至るまでの三〇年間で僅か一法案にすぎない」(佐藤誠三郎他「自民党政権」中央公論社 昭和61年) 。社会党などの野党が参議院に議員立法として提出した。同法案は1965年に初めて提出されて以来、趣旨説明聴取(計11回)が行われ、質疑もトータルで6回を数えたが、結果的には審査未了、廃案を繰り返してきた。1973年には参議院では全会一致で通過したものの、衆議院で廃案となった。しかし、初提出から10年以上の年月をかけて成立した1978年には参議院、衆議院ともに1度も質疑が行われることはなかった(3月参議院可決、5月衆議院修正議決、参議院回付案に同意し成立)。前年の11月には参議院の委員長が次期通常国会では成立を図る旨の理事会決定を各党・各会派間で確認したと発言しており、裏での困難な協議が行われたことは窺われるが成立した年には表の場での議論はなかった。

2例目(⑦)は、2015年の「労働者待遇確保法案(同一労働同一賃金法案)」3)労働者の職務に応じた待遇の確保等のための施策の推進に関する法律案(民主、維新、生活議員提出)。2015年6月19日衆議院で修正議決、9月9日成立。なお、同時に審議していた閣法は労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律等の一部を改正する法律案。である。衆参ねじれの状況ではなかったが、与党は民主・維新・生活の野党が提出した衆法を修正はしたものの成立させた。それは、同時に審議されていた閣法の「改正労働者派遣法」4)労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律等の一部を改正する法律案に強く反対していた民主対策であった。与党と維新は閣法の早期採決と衆法に協力することを約束していた5)平成27年6月18日読売新聞。衆法を共同で提出していた民主と維新が分断されていたことになる。閣法とともに、衆法も修正のうえ衆議院を通過したが、この時には民主は採決を欠席している。参議院においては、民主は、修正されたことにより今後の立法措置が担保されなくなった等の理由により衆法に反対した。与党は野党の衆法を修正して骨抜きにしたうえで賛成し、維新の協力を得て閣法の成立を担保するために国会対策に利用したことになる。

なお、2007年4月には、野党民主の提出した「日本国憲法の改正及び国政における重要な問題に係る案件の発議手続及び国民投票に関する法律案」が自民の与党案6)与党案の法案名は「日本国憲法の改正手続に関する法律案」と併合修正されて、「日本国憲法の改正手続きに関する法律」として成立した。野党案が半ば(修正のうえ)成立したとも考えられるが、民主は併合修正に反対している。与野党が修正協議を続けていたが、夏の参議院選への思惑から与野党ともに意図的に協議を決裂させ、与党が併合修正で強引な印象を避け、野党案を抱き込んだ形となった7)平成19年4月13日読売新聞。1994年にも与野党の公職選挙法改正案が併合修正されたことがある。

脚注

脚注
本文へ1 特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案(自民、維新、次世代議員提出)
本文へ2 「自民党がその提出に関与しない法案で成立に至ったものは、結党後現在に至るまでの三〇年間で僅か一法案にすぎない」(佐藤誠三郎他「自民党政権」中央公論社 昭和61年)
本文へ3 労働者の職務に応じた待遇の確保等のための施策の推進に関する法律案(民主、維新、生活議員提出)。2015年6月19日衆議院で修正議決、9月9日成立。なお、同時に審議していた閣法は労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律等の一部を改正する法律案。
本文へ4 労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律等の一部を改正する法律案
本文へ5 平成27年6月18日読売新聞
本文へ6 与党案の法案名は「日本国憲法の改正手続に関する法律案」
本文へ7 平成19年4月13日読売新聞

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