国会審議における議員立法(4)

国会審議における議員立法(4)
─ 戦前から現在までの議員立法の動き1

岸井和
2020.02.13

3帝国議会時代の議員立法

帝国議会時代においては、議会でありながらも議員立法は政府提出法律案に対して従たる存在であった。
枢密院における憲法制定の当初の案では、「帝国議会ハ政府ノ提出スル議案ヲ議決ス」とあり、政府にのみ法案提出権を与え議院(や議員)には法案提出権を与えない方向であった。立法権は君民の共有するものではなく天皇の統治権の一つであるので、天皇に委任されて議会との直接交渉を行う政府が起案権を持つべきで議会が法律案の提出を行うのは適当ではない、議会からの立法意思を示すには建議を政府に提出すべきとの論理であった1)明治21年7月2日枢密院会議筆記 井上毅発言要旨。議会は天皇の立法権の協賛機関であり、「立法に参する者にして主権を分かつ者に非ず2)伊藤博文「憲法義解」という考え方が背景にある。

しかし、最終的には「両議院ハ政府ノ提出スル法律案ヲ議決シ及各々法律案ヲ提出スルコトヲ得(帝国憲法38条)」とされ、議会の法案提出権が認められる。欧州において議会の地位が向上し法案提出権が議会にも与えられる傾向にあったことが背景にあるのだろうが3)宮澤俊義「新憲法と国会」國立書院 1948、枢密院では激論が交わされたが「起案権ハ議会ノ熱望スル所ナリ」「起案権ヲ議会ニ輿フルニ依テ天皇ノ大権ニ缺ク所アルカト云フニ決シテ否ラス」4)明治22年1月16日枢密院会議筆記 伊藤博文議長発言として上記の通りとなった。とはいえ、政府提出法案を議決することが先に規定され、その後に議院は法律案を提出ができるとの規定が続く。議員の法案提出権を認めはするものの、あくまでも政府提出法案が主たるものという考えであった。

政府は法律案を「提出」するが、各議員が議院内において法律案を提出するのは議案の「発議」であって、憲法上の法律案の「提出」ではない。その院において可決されて他の院に送付されると議院の法律案の提出となる5)美濃部達吉「逐条憲法精義」有斐閣 昭和2年。衆議院議員発議の衆議院提出法律案が貴族院で審議されることとなる。先に述べたように、現在の国会法でも同様の考えが引き継がれている。

帝国議会時代において、議員提出法案の成立数は多くはなく、成立率も低い。第1回議会から第92回議会までの56年間に、衆議院提出法案と貴族院提出法案の合計は2,977法案で、成立は280法案(衆議院提出270法案、貴族院提出10法案)、年に平均5法案、成立率は9.4%であった(政府提出法案は3,421法案、成立2,856法案、成立率83.5%)6)古賀豪他「帝国議会および国会の立法統計」国立国会図書館リファレンス2010.11。それでも、明治30年代には、現在でも残っている「失火ノ責任ニ関スル法律」や「未成年者喫煙禁止法」が成立するなど、帝国議会時代には合計で94法案の議員立法が新規立法として行われた。他方で、第二次大戦を迎える1939年から終戦の1945年の6年間には新規制定の議員立法は1法案が成立したのみであり、翼賛議会の機能の低下は著しい。終戦後の帝国議会では新国会に備えるため国会法などの議員立法が行われている。

帝国議会時代に議員立法が少なかった理由としては、まず、議会は天皇の立法権の協賛機関にすぎず、天皇を輔弼する政府の提出法案が法案審議の中心であるとの認識が大前提にあったことにある。したがって、議事日程は政府提出議案を優先することが議院法で定められていた7)議院法28条「議事日程ハ政府ヨリ提出シタル議案ヲ先ニスヘシ但シ緊急ノ場合ニ於テ政府ノ同意ヲ得タルトキハ此ノ限リニ在ラズ」。第二に、会期は常会でも90日と短く議員提出法案の審議時間が十分確保できなかったことがある。第三には、衆議院提出法案について、衆議院の発議者が貴族院において説明する仕組みがなかったことである。第四には、議員立法の立案を補佐する体制がなかったことがある。議会の立法権限を制限的にとらえていたため、議院法制局のような組織はなく議員の立案補助機関が整備されていなかった。つまり、理念的にも制度的にも議員立法を審議する体制が不十分であったといえる。

4戦後における国会の議員立法の提出

(1) 法案提案権の所在

戦後の国会においても、閣法が審議の中心となったことは戦前と同じであった。議員立法の成立件数、成立率は増加したものの、閣法の成立件数、成立率には遥かに及ばないことは、戦後一貫して同じ状況である。

日本国憲法には、帝国憲法とは異なり、法律案の提案権(発議権、提出権)については、議員にあるとも内閣にあるとも規定されていない。議員の法律案の提案権については、国会が唯一の立法機関であることに根拠が求められている。ある意味、当然ということであり、国会法56条では議員に法律案の発議権があることを前提に法律案提出後の手続きについて定められた。

国会が唯一の立法機関であるため、内閣に法案提出権があるかという問題については、憲法審議の帝国議会及び国会の初期において議論になった。内閣の提出権について何らの規定がなく、内閣の提出権を認めていないとする説も有力であった。他方で、政府は憲法72条に「内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し…」とあることを根拠にし、内閣法に「内閣総理大臣は、内閣を代表して内閣提出の法律案、予算その他の議案を国会に提出し…」と定め、内閣の法案提出権を明文化した。憲法の規定からは、内閣の提案権がどこまで及ぶかは不分明であるし、政府の論理をさらに進めれば、法律案のみならず憲法改正の発案権をも内閣は持っているとも解すことも可能となってしまう8)宮澤俊義「新憲法と国会」國立書院 1948参照。法律案の原案を提出することは立法過程で重要な意味を持つから、原案の起草を国会以外に認めることは国会の立法機関としての実質を大きく損なうとの考えもある9)高見勝利「議員立法三題」国立国会図書館リファレンス2003.6

しかし、この問題の本質はさておき、政治的には内閣提出を認めないとしても議院内閣制の下では迂回措置をとることは可能である。内閣総理大臣か所管大臣が議員個人として国会に法律案を提出すれば実質的には同じこととなる。英国では所管大臣の名前で法案が提出されているが、ガバメント・ビルとして取り扱われている。そして、現実問題として、戦後の国会も帝国議会時代と同様に閣法が国会における議論の中心となり、内閣の法案提出権を否定すれば立法は滞ってしまう。明治憲法とは異なり国会が唯一の立法機関であるという理念がつくられたが、帝国議会と同様に議員立法の果たす役割は従たる地位にとどまっているのが現実である。

 

(2) 議員提出法案の法的要件

本稿での論点は、閣法ではなく、議員提出法案である。議員提出法案は、議員が個人で提出(正確には発議)する法案、俗称でメンバー提出法案と委員会(参議院の調査会も含め)が提出する法案の二種類がある。また、それぞれ衆議院から提出されるものと参議院から提出されるものに分かれる。

メンバー提出法案には、提出するにあたって法律上の要件が存在する。衆議院議員が法案を提出するには20人以上の賛成者、予算を伴うものについては50人以上の賛成者が必要となる。提出者は複数であっても構わないが、提出者は賛成者を兼ねることができないため最低でも提出者1人と賛成者を合わせて、それぞれ21人、51人が必要となる。参議院においては、それぞれ10人以上、20人以上の賛成者が必要である(国会法56条1項)。5(3)で詳述する通り当初の国会法では議員一人での提出が可能であったが、1955年の国会法改正で提出の際の賛成者要件が追加された10)帝国議会時代においても、議院法において賛成者が20人必要であると定められていた。

脚注

脚注
本文へ1 明治21年7月2日枢密院会議筆記 井上毅発言要旨
本文へ2 伊藤博文「憲法義解」
本文へ3 宮澤俊義「新憲法と国会」國立書院 1948
本文へ4 明治22年1月16日枢密院会議筆記 伊藤博文議長発言
本文へ5 美濃部達吉「逐条憲法精義」有斐閣 昭和2年
本文へ6 古賀豪他「帝国議会および国会の立法統計」国立国会図書館リファレンス2010.11
本文へ7 議院法28条「議事日程ハ政府ヨリ提出シタル議案ヲ先ニスヘシ但シ緊急ノ場合ニ於テ政府ノ同意ヲ得タルトキハ此ノ限リニ在ラズ」
本文へ8 宮澤俊義「新憲法と国会」國立書院 1948参照
本文へ9 高見勝利「議員立法三題」国立国会図書館リファレンス2003.6
本文へ10 帝国議会時代においても、議院法において賛成者が20人必要であると定められていた。

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