THE FACTS ― 衆議院議長(国会編(2))

国会議事堂

THE FACTS ― 衆議院議長(国会編(2))

岸井和
2022.10.03

議長の在任期間、辞任、不信任可決、出身大学、当選回数、就任年齢、
 議員となる前の職業、当選後のキャリア、派閥、議長退任後の大臣就任、党の要職就任

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5衆議院議長の主たる出身大学など

  • 再任を除いて戦後国会になってからは34人の議長が排出しているが、東大、京大、早慶で25人である、特に東大は11人と「高学歴」となっている。

 

6衆議院議長の当選回数、就任年齢、衆議院議員になる前の主な職業

  • 国会議員にとって当選回数が大きな意味を持つ。特に自民党立党以降、次第に当選回数と就任するポストは一定の関係性が確立されていく。したがって、衆議院議長は最高位、最終のポストであるがゆえに、政府や党の要職を経験したうえで、議会政治の見識が深く、当選回数が多い議員が就任することになる。
  • 戦後、新国会になってしばらくの間は比較的当選回数の少ない議員が議長となっていることもあるが、1955年11月に自民党が結党されて以降、当選回数が10回以上がほぼ条件化している(当選10回未満は10人。うち、7人は自民党結党前。当選9回で議長に就任した益谷は自民党結党前である。自民党出身で当選10回に満たないのは綾部、石井の2人だけである。また、土井は社会党出身である)。
  • 当選回数が多いことが求められると、必然的に就任年齢も高くなっている。34人の議長(再任された議長の重複を除く)のうち50歳台は戦後初代の松岡のみである。60歳台は14人、70歳台が18人、80歳台が松田のみである。
  • 議長となった者が議員になる前のキャリアとしては、官僚、地方議会、マスコミ、実業家などが多い。戦前は弁護士が多かったが戦後は少ない。

 

7衆議院議長の当選後のキャリア、派閥

  • 議長はほとんどが大臣を経験している。大臣経験がなく議長となったのは6人である。戦後間もなくの松岡、大野、堤、松永の4人は大臣を経験することなく議長となった。また、土井、横路も大臣経験がないが与党経験がないまま政権交代となりすぐに議長となったため、当然ともいえる。
  • 議長就任前の党内のキャリアは、多くの者が党の幹事長、総務会長、政調会長、国対委員長を経験している。党首経験者は幣原、土井、河野の3人である。特に、近年では自民党幹事長経験者がほとんどである。
  • 衆議院議長出身派閥は大小様々である(無派閥の場合もある)当選回数が多い長老議員が選ばれるので候補者の母数が限られていることを前提とする。この条件のもとに、政治状況に応じて他派閥の重鎮を棚上げする場合、大派閥の会長経験者で総理にならなかった者を処遇する場合、小派閥出身で政権に対抗的姿勢をとらないであろう者を選ぶ場合、派閥間の対立を回避するために無派閥から選ぶ場合などが考えられる。ただ、綿貫議長以降、自民党派閥会長経験者議長就任している。
  • 以上からみて、大まかに総括すれば、衆議院議長は当選10回以上を前提に、大臣、党幹事長、派閥会長といった自民党の中枢を担ったものの、総理になれなかった議員が最終的に就任する、大物の処遇ポストでもある。

 

8衆議院議長退任後の大臣就任、党の要職就任

  • 現在では、衆議院議長は立法府の長として国家機関の最高位を経験していること、与野党の対立するなか中立的議会運営に責任を持つことから、議長退任後もその職の権威を維持するために大臣や党の役職には就かないことが慣例化している。これには何らかの規定があるわけではないが、時の経過とともに暗黙の慣習として醸成されてきた。それゆえ、総理経験者が議長となるのはよいがその逆は好ましくないとも言われている(幣原は総理と議長を両方経験した唯一の例であるが、総理を経験後に議長となっている)
  • 戦後間もなくの時代は、帝国議会時代の観念を引きずっていたようで、国権の最高機関の長の重要性への意識は高くはなく、単なる一つのポストとして扱われていたように思われる(戦前の議長は給与的には次官級だった)。
  • 林は党幹事長となるために議長を辞任し、大野、松永、益谷は議長退任後しばらく経って大臣や党の中枢の役職に就いている。ただし、戦前のように大臣就任のために議長辞任という例はない。
  • なお、大野は議長退任の7年後の1960年、自民党総裁選に出馬したものの選挙情勢が不利となり途中で辞退している。仮に総裁に選ばれれば総理になっていたことになる。政権と議会政治運営の相違、行政と立法の相違、それに伴う役職の持つ意味、役職との関係性についてはあまり意識していなかったと思われる。
  • しかし、55年体制が確立して議会の運営や議長の在り方が定着してきてからは、大臣については中村が1973年に議長辞任から約半年後に法務大臣になったのが唯一の例である。
    伊吹は議長退任後に入閣の打診があったが衆議院議長が大臣となることは筋が通らないとして断った(なお、民主党の江田五月参議院議長は退任後の2011年に法務大臣、環境大臣となったが、伊吹はこれに批判的である)。
  • 政府ではなく自民党の役職としては船田が議長辞任の5年後の1977年に自民党副総裁に就任しているのが例外的である。通常は議長退任後は政局に直接関与しない名誉職的な自民党最高顧問に就いている。
  • 他方で、土井と綿貫は議長退任後に党首となっている。
    土井は社会党退潮のなかで党名をも変更した社民党の救世主と期待されて党首となった(1996年、議長退任の翌日)。
    綿貫は小泉総理の郵政民営化法案に反対、自民党除名となった議員の一部の受け皿として新党を立ち上げ党首となった(2005年、議長退任後約2年)。いずれも苦境の中でのやむを得ざる党首就任といえる。

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