国会の予算審議(1)
─ 予算の審議の概要
岸井和
2019.11.1
本稿の目的は、日本社会党と自由民主党とが成立した1955年以降の国会における総予算1)総予算は、本予算、当初予算とも呼ばれる。補正予算や暫定予算とは異なり国の年間の予算を定めるものである。政府が提出し国会で議決される前の総予算「案」についても、本稿では国会法(51条)の規定により総予算という言葉を使用する。審議、つまり実際には翌年の1956年から2019年までの64年間の総予算審議の長期的傾向について衆議院を中心に考察するものである。この間、社会党が野党第一党として国会審議の主導権を握っていた期間は1993年の非自民政権誕生までと考えられるが、その中においても、自社が激しく対立していた時期と、自社の国対政治全盛の「馴れ合い」の時期に大まかに分類でき、総予算審議の対応もそれぞれ異なっている。
しかし、非自民政権の誕生とともに、社会党が野党第一党ではなくなり、かねてより批判の強かった国対政治にも変質がみられた。現在においても各党に国対は残っているものの、従来の自社国対間のようなウェットな「馴れ合いを前提とした駆け引き」ではなくなっている。それに応じて予算審議の在り方にも変化がみられる。
Ⅰ総予算の審議
1.総予算審議の概略
総予算審議は毎年必ず開かれる常会の前半、概ね4月に至るまでの最大の案件であり、会期の延長がないものとすれば、それで常会の会期の150日間のほぼ半分が費やされる。政府与党にとっては、行政の停滞を避け、自らの施策を実行するために総予算を年度内に成立させることが常会当初の大きな目標であり、全神経をこれに傾注する。
(1)提出から委員会審査入りまで(政府四演説と質疑)
総予算の審議形態は一般的には以下のようになっている。
総予算は、概ね毎年1月下旬の常会の召集日に内閣が国会に提出する。予算作成・提出の権限は内閣に属しているが(憲法73条、86条)、国会の議決が必要である(同86条)。衆議院に提出し、衆議院おいて先議することとなっている(同60条)。提出されるとその日に予算委員会に付託される例である2)1953年と90年には総予算提出日から遅れて委員会に付託されている。。
召集日には「院の構成」「開会式」が行われたのち、「政府4演説」が衆議院本会議、参議院本会議の順番で行われる。「施政方針に関して」「外交に関して」「財政に関して」「経済に関して」の4演説である。内閣総理大臣の行う「施政方針演説」は1890年の第1回帝国議会時代以来、慣行として続いている。
この4演説は、政府の国政全般に対する方針を説明するものだが、総予算の内容説明を含むものでもある。必ずしも提出された総予算を説明するものとは言えず、総予算が提出される前に4演説が行われたこともあるが(1977年、78年、84年など)、これに続く予算委員会では大蔵大臣が「既に本会議において申し述べたところではありますが、予算委員会での御審議をお願いするに当たり、改めて御説明をさせていただきます。」と発言しているとおり、現実には予算の説明としての機能をも果たしている。
衆議院本会議での4演説が終了すると、時間をおかずして参議院本会議でも全く同じ内容の演説が行われる。この演説に対して各党から「国務大臣の演説に対する質疑」が行われる。質疑は、演説の日から1日空けて、各院においてそれぞれ1日半ずつ、計3日間にわたり行われるのが通例である。つまり、本会議での質疑が終わり、予算委員会での審査に入るまでに、休日も含めると召集日から7日間程度は経過することとなる。衆参本会議での質疑が終わると、同日に衆議院予算委員会で総予算の提案理由説明を財務大臣等から聴取するのが通例3)1972年ころまでは参議院本会議での国務大臣の演説に対する質疑終了の翌日に衆議院予算委員会での提案理由説明を行うことが多かった。また、 国会の初期には、衆議院本会議での演説終了後・質疑終了前に、委員会での総予算の提案理由説明をしたこともある(1948年、1950年)。これは、4演説が総予算の説明としての機能も果たしているものの、必ずしも予算説明とイコールのものとは限らないことを示す。であり、本格的な総予算の審査に入ることとなる。
(2)衆議院における予算委員会審査
衆議院予算委員会での審査は、提案理由説明の後、翌日以降に「基本的質疑」に入る。「基本的質疑」は当初は2日間であったが、その後3~4日間となっている。審査日程は法的に定められたものではなく、先例を考慮しつつ、与野党間の話し合いで日々決定していくものであり、長期的に日程が決定されることは少なく、それがゆえに日程協議は駆け引きの大きな材料となる。「基本的質疑」には、総理、財務大臣以下全大臣が出席し、通常はテレビ中継も行われる。
その後、概ね「一般的質疑」「公聴会」「分科会」「締めくくり質疑」「討論」「採決」の順で審査が進められ、その間、「集中審議」が数回開かれる。「一般的質疑」は、財務大臣及び要求のあった大臣の出席のもと行われる。「集中審議」はテーマを設定の上、総理、財務と要求された大臣が出席して質疑を行う。「一般的質疑」は当初は9日間程度行われていたが、「集中審議」が増加するとともに減少傾向にあり、近年では3~5日間程度になっている。
「公聴会」は有識者(公述人)から意見を聴き、質問を行うものである。総予算の審査で必ず行わなければならず(国会法51条2項)、逆に言えばその日程を決めることは採決へとつながるものである4)公聴会は、委員会での「公聴会承認要求決議」をふまえて、議長がそれを承認し、官報等で公示し、公述人を公募・選考した上で開会される。総予算審査の過程で必ず開かねばならない一方、手続き等に少なくとも一週間程度の時間がかかるため、採決に至るまでの一つのハードルとなる。委員会における「承認要求決議」は1988年までは審査入りの初日、つまり、提案理由説明の日に行われるのが通例であったが、1989年以降は審査入りして何日か経過してから行うようになった。公聴会承認要求決議が与野党の駆け引きの大きな材料として使われるようになったことを示している。。総予算にかかる「公聴会」は第1回国会以来2日間にわたり開かれていたが、2008年からは1日間となっている。
「分科会」は予算委員を省庁別に数個の分科に分け、各省別に審査を行うものである。「分科会」は、1956年から4分科、65年からは5分科(77年のみ6分科)、83年からは8分科になり、分科の数が増えるとともに分科会の開会日数は減少する傾向にある。概略を言えば、4分科時代は4~9日間、5分科時代は4~6日間、8分科時代は2日間であったことが多いが、近年では1日間の場合がほとんどである。なお、1949年、87年、89年は分科会を開いていない。
なお、1999年までは「基本的質疑」ではなく「総括質疑」と呼ばれていた。「国会審議活性化法5)正式には「国会審議の活性化及び政治主導の政策決定システムの確立に関する法律」」の成立に合わせて、2000年から審査方式が改められたものである。「総括質疑」も全大臣が出席し、6~9日間程度開かれていた。つまり、「基本的質疑」方式に改めた結果、総理の予算委員会出席時間は大きく減ることとなった。このとき、新たな政治家同士の活発な議論の場として「党首討論」が新たに導入されたものの、総予算審議のみならず本会議における法案の趣旨説明質疑などを含め、与党は総理の国会出席を全体として減らすことをも狙っていた。これに対し、野党はやはり総理が出席する「集中審議」を次第に強く求めるようになり、新方式導入当時は2回程度であったものが4~5回程度までに増加している6)野党は、45分間の党首討論よりも総理の出席時間が長い集中審議を好む傾向がある。特に、総予算審議が終わった後には、会期末近くにはさらに、どちらを選択するかの駆け引きが行われる。。現在の「一般的質疑」は「一般質疑」、「締めくくり質疑」は「締めくくり総括質疑」と呼ばれていた7)1962年までは、明示的に「総括質疑」「一般質疑」「締めくくり総括質疑」とは区分されていなかったが、事実上、その区分と同様に審査が進められていた。。
予算委員会で議決されると、通例では同じ日に本会議が開かれ、緊急上程により総予算の審議が行われる。衆議院の本会議では「予算委員長報告」、「討論」、「採決」と進む。「採決」は総予算の重要性にかんがみ記名採決によるのが例である。可決されれば即日参議院に送付される。
参議院においても、ほぼ同様の審議が進められる。衆議院との大きな相違点としては、「分科会」ではなく、「委嘱審査」を行っていることにある。かつては参議院においても「分科会」が開かれていたが、1982年には全議員が参加可能な参議院独自の方式を導入するとの考えから、各委員会にその所管する事項の審査を委嘱する方式が取られるようになった。
衆議院において総予算が修正議決となったことはあるが、否決となったことはない。与野党伯仲期に委員会段階では否決されたことがあるが、本会議で逆転可決になっている(1979年、80年、このほかに1948年)。予算の作成にも関与している衆議院の多数派によって政府が形成されている以上、その政府が提出した予算が否決されることは通常は考えにくい。
2暫定予算
総予算は4月1日から執行すべき予算であるから、前年度内、つまり3月31日までに成立することを基本とするが、審議が遅滞し4月に入っても、つまり新年度に入っても成立していない場合、政府は予算を執行できないことになる。こうした場合、政府は国会に暫定予算を提出し(財政法30条)、議決を経て、国債費、恩給費、公務員給与などの必要最低限の義務的経費を一定期間支出できるようにする。明治憲法下では予算が成立しない場合は前年度予算と同じ内容のものを執行できたが(71条)、現行憲法には同様の規定はなく、暫定予算が議決されなければ予算は空白となってしまう。暫定予算は、通常は3月下旬に提出され、衆参1日程度の審議で成立している。
ただし、4月5日くらいまでに総予算の成立が見込める場合は、その間、政府からの実際の支出が行われないため、予算の空白とはなるが暫定予算を組まないことがある。年度内に総予算を成立させるか、暫定予算を組むことになるのかは、総予算審議の日程上の与野党の攻防の大きなメルクマールとなってきた。なお、総予算が成立した際に暫定予算は総予算に吸収されて失効し、暫定予算に基づく支出又はこれに基づく債務の負担があるときは、これを当該年度の予算に基づいてなしたものとみなされる(財政法30条2項)。
3予算審議に関する衆議院の優越
予算に関しては、憲法で衆議院の優越が定められており(60条2項)、この規定は参議院の審議に大きな影響、制約を与えている8)予算に関する衆議院の優越規定は、当然のことながら、総予算のみならず、補正予算、暫定予算についても適用される。。
第一には、すでに述べたように、衆議院が先議権を持っていることである。第二に、衆議院の審議期間については法的制約が存在しないのに対して、参議院の審議は、衆議院から予算が送付されてから30日以内(衆議院本会議で議決された当日を含む)に参議院が議決しない場合は衆議院の議決通りに成立する(憲法60条2項)9) 国会法第133条により総予算の自然成立の期間の計算には当日起算が定められているが、その起算日について、平成29年版衆議院先例集では「送付の日から起算して」とあるのに対し、平成25年版参議院先例録では「本院が議案を受領した当日から起算する」と両院で微妙に異なっている。2011年3月1日未明に衆議院において議決、送付された平成23年度総予算に対し、西岡武夫参議院議長は予算関連法案の送付がされていないことを理由に、翌日の3月2日受領とした。横路孝弘衆議院議長は送付の日から30日後の3月30日との談話を出し、対する参議院議長は受領の日から30日後の3月31日と表明、自然成立日が両院で異なってしまう可能性が生じた。現実には3月29日に総予算が成立し(参議院本会議で総予算を否決、両院協議会で成案を得ず、衆議院の議決が国会の議決となり)、問題は具体化しなかった。。「自然成立」と言われるが、総予算の自然成立は2例のみである(1954年、1989年)。
国会で審議される最重要議案に対し、参議院の意思を決定しないことはその存在意義が問われる問題であり、自然成立は極力避けられる。他方で、なるべく長い審議時間、極力衆議院と同等の審議時間を確保するという要請もあるため、参議院は30日に近い審議期間をとることが多い。とはいえ、審議拒否などの抵抗手段は取ることの意味はあまりない。何もしなくても時間が経過すれば成立してしまうからである。
第三に参議院が否決または修正した場合、両院協議会を開くことになるが、両院協議会で成案が得られなければ衆議院の議決通りに成立する(憲法60条2項)。両院協議会が開かれるのは、一般的に言って、衆参「ねじれ」の状況のときが多いが、与野党の根本的な考えや政治的立場が対立する中で成案が得られる可能性は低い。つまり、実際には両院協議会が開かれても生産的な議論になることはなく、短時間の形式的な協議を経て結論が出ないまま終わることになる。予算に関して両院協議会で成案を得た例は一度もない。
(続く)
脚注
本文へ1 | 総予算は、本予算、当初予算とも呼ばれる。補正予算や暫定予算とは異なり国の年間の予算を定めるものである。政府が提出し国会で議決される前の総予算「案」についても、本稿では国会法(51条)の規定により総予算という言葉を使用する。 |
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本文へ2 | 1953年と90年には総予算提出日から遅れて委員会に付託されている。 |
本文へ3 | 1972年ころまでは参議院本会議での国務大臣の演説に対する質疑終了の翌日に衆議院予算委員会での提案理由説明を行うことが多かった。また、 国会の初期には、衆議院本会議での演説終了後・質疑終了前に、委員会での総予算の提案理由説明をしたこともある(1948年、1950年)。これは、4演説が総予算の説明としての機能も果たしているものの、必ずしも予算説明とイコールのものとは限らないことを示す。 |
本文へ4 | 公聴会は、委員会での「公聴会承認要求決議」をふまえて、議長がそれを承認し、官報等で公示し、公述人を公募・選考した上で開会される。総予算審査の過程で必ず開かねばならない一方、手続き等に少なくとも一週間程度の時間がかかるため、採決に至るまでの一つのハードルとなる。委員会における「承認要求決議」は1988年までは審査入りの初日、つまり、提案理由説明の日に行われるのが通例であったが、1989年以降は審査入りして何日か経過してから行うようになった。公聴会承認要求決議が与野党の駆け引きの大きな材料として使われるようになったことを示している。 |
本文へ5 | 正式には「国会審議の活性化及び政治主導の政策決定システムの確立に関する法律」 |
本文へ6 | 野党は、45分間の党首討論よりも総理の出席時間が長い集中審議を好む傾向がある。特に、総予算審議が終わった後には、会期末近くにはさらに、どちらを選択するかの駆け引きが行われる。 |
本文へ7 | 1962年までは、明示的に「総括質疑」「一般質疑」「締めくくり総括質疑」とは区分されていなかったが、事実上、その区分と同様に審査が進められていた。 |
本文へ8 | 予算に関する衆議院の優越規定は、当然のことながら、総予算のみならず、補正予算、暫定予算についても適用される。 |
本文へ9 | 国会法第133条により総予算の自然成立の期間の計算には当日起算が定められているが、その起算日について、平成29年版衆議院先例集では「送付の日から起算して」とあるのに対し、平成25年版参議院先例録では「本院が議案を受領した当日から起算する」と両院で微妙に異なっている。2011年3月1日未明に衆議院において議決、送付された平成23年度総予算に対し、西岡武夫参議院議長は予算関連法案の送付がされていないことを理由に、翌日の3月2日受領とした。横路孝弘衆議院議長は送付の日から30日後の3月30日との談話を出し、対する参議院議長は受領の日から30日後の3月31日と表明、自然成立日が両院で異なってしまう可能性が生じた。現実には3月29日に総予算が成立し(参議院本会議で総予算を否決、両院協議会で成案を得ず、衆議院の議決が国会の議決となり)、問題は具体化しなかった。 |
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