臨時会召集要求 その理念と現実 -国会の権利と内閣の権限(2)
岸井和
2024.01.26
5 通説と判例
この政府の見解に対し、学説では憲法53条の規定について「…内閣は、国会召集の手続を行うために、通例必要とされる期間を経た後に、国会を召集することを決定すべきであり、それ以上に、その召集をおくらせるべきではあるまい。先例では、そうした要求があってから、二か月またはそれ以上たってから召集している例があるが、これは不当である。本条による要求があった場合、内閣はいくらおそく召集してもいいということになれば、本条が議員に召集の要求権をみとめたことが無意味になってしまうであろう。」
「先例では、召集されるべき国会に内閣が提出すべき案件の準備ができていないことをもって、すぐに召集しないことの理由としているが、これは不当である。議員から召集を要求される国会の臨時会の機能は、内閣が提出する案件の審議にかぎられるものでないことはもちろんであるから、内閣がそこに案件を提出する準備ができたかどうかは、召集の時期の決定に少しも影響をおよぼすべき事情ではない。内閣としては、右にのべられたような相当な期間(せいぜい二、三週間でよかろう)のうちに臨時会の召集を決定すべきものである。」(「全訂日本国憲法(第2版)」、宮沢俊義著・芦部信喜補訂、1978年、日本評論社)といったものが通説と言えよう。要求があってからだいたい20日程度で内閣は臨時会を召集すべきであるというのが古くからの説である。
自民は野党時代の2012年に日本国憲法改正草案を発表したが、そこでは憲法53条改正案は「要求があった日から二十日以内に臨時国会が召集されなければならない」となっており、通説を踏襲していると思われる。また、2023年に維新、国民、有志が共同で発表した改憲案も同趣旨の内容となっている。
しかしながら過去40回の臨時会召集要求のうち20日以内に召集されたのはわずか5回しかない(2023年時点)。政府は野党の意見も学説もほとんど無視して政府の見解を固持してきたのである。前述の2017年、2021年の召集要求に対しては長らく放置した挙句、前者は召集日には衆議院を解散し、後者は召集日に内閣が総辞職、新総理の指名のためのものであり、実質的には召集要求に対してはゼロ回答であった。
これに対し、2017年の臨時会召集について野党議員は訴訟を起こし、2023年9月12日に最高裁で判決が下された。野党(原告)は、安倍内閣が長期にわたって臨時会召集要求に応じなかったのは憲法上の義務に反するものであり、内閣が20日間以内の召集義務を負うことの確認と国会議員としての活動ができなかったことに対する損害賠償を求めたものである。
最高裁はいかなる判決を出すのか大いに悩んだ形跡が窺われる。一歩踏み出したが踏み出しきれないようなアンビバレントな判決であった。野党議員の要求は認めなかったが、一方では、統治行為論を持ち出さず召集要求に応じて内閣は召集義務を負うことを認めた。
しかし、結論としては「内閣は、…(臨時会召集要求があった場合)…国会議員が予定している議員活動の内容にかかわらず、臨時会召集決定をする義務を負い、臨時会召集要求をした国会議員であるか否かによって召集後の臨時会において行使できる国会議員の権能に差異はない。そうすると…個々の国会議員に対し、召集後の臨時会において議員活動をすることができるようにするために臨時会召集要求に係る権利又は利益を保障したものとは解されず、…臨時会召集決定の遅滞によって直ちに召集後の臨時会における個々の国会議員の議員活動に係る権利又は利益が侵害されるということもできない」
「したがって…臨時会召集要求をした国会議員は、内閣による臨時会召集決定の遅滞を理由として、国家賠償法の規定に基づく損害賠償請求をすることはできないと解するのが相当」とした。憲法53条は個々の議員に議員活動をできるようにする権利や利益を保障したものではないので国家賠償法の適用対象ではないと本質的な部分を判断することを避け、形式論に逃げてしまった。最高裁は内閣の召集義務を認めたのだから、自らが召集期限を明示しないとしても、召集義務を実効的にするための立法措置などを求めることもできたのではないか。
ただ、この判決の少数意見として、過去の例または今後の予想をすれば、内閣が臨時会召集決定を遅滞させるという事態を事前に防止するための法的手段として臨時会召集確認訴訟を認めるべきであること、通常国会や特別国会が間近に迫っていたり天変地異や戦争があるなど特別な事情がない限り、召集に必要な合理的期間は20日あれば十分であること、召集遅延に特段の事情がなかったならば議員の権利侵害は認められるべきことなど宇賀克也裁判官が大きく踏み込んでいる。臨時会召集の確認訴訟を認めるべきことや20日以内の召集を明確にしたことは臨時会召集要求を実効的にさせるものである。
いずれにせよ、国会と内閣との憲法上の見解の相違、つまり、与野党の意見の相違があり、それを調整する裁判所が判断を回避する態度が続く限り問題の解決には至らない。長年にわたって半ば当然のこととして考えられてきた政府(多数派)の解釈を変更するためには何らかの外圧要因が働くしかない。
6臨時会召集要求と国会の運営
臨時会召集要求によって国会が一定の期限内に召集されるようにするためには、4つの方法が考えられる。1つは憲法を改正して期限を明記することである。2つ目は期限を明示した法律を制定することである(2022年に立憲、維新、共産、有志、れいわの共同で衆議院に同内容の国会法改正案の議員立法を提出している)。3つ目は憲法慣行、先例として期限を確立することである。これは国会と内閣が呼応して声明を出すか、合意文書を作成すればいい。4つ目は最高裁判決の少数意見にある通り確認訴訟を提起することであるが、臨時会召集要求のたびに裁判所が関与するシステムは好ましくはないだろう。
ところで、例えば要求から20日以内に召集されることとなると、国会の運営はどうなるのか?
臨時会召集要求に基づいて召集される国会は、これまでにない野党主導の国会となる。内閣が主導して召集する国会の場合、内閣として何をするのか、どれくらいの時間をかけて審議・議論を展開するのか、これらを入念に検討し計画を立てたうえで、政府は補正予算や政府提出法案などを準備し、召集日を迎える。これに基づいて召集日には総理の所信表明演説などによって政府の方針が示され、また、法案が提出される。続いて、演説を受けて各党の代表質問、予算委員会での基本的質疑で、政府方針を説明し、また、野党はその妥当性について質疑を行う。予算委員会後は個別の政府提出法案の審議が行われる。つまり、政府の政策方針を起点として流れていくのが国会運営の基本である。
だが、野党が主導して開かれる国会の場合、政府はこれまでのような議論の起点としての機能を発揮できない。20日での召集となると補正予算や重要法案の準備は困難である。所信表明演説で総理は何をしゃべればいいのか。少なくとも具体的に建設的な内容の演説はできなくなるだろう。となると、所信表明演説はやらないことになるのか?もしそうだとしたら、国会運営の根本的変更となる。
他方、野党はその国会での議論の責任を持つこととなる。野党の要求による国会なのだから、何を行いたいのか明確にする必要がある。それならば、野党が政策を提案して議員立法を提出し議論を主導するのか。いや、これは現実的には困難である。選挙で負けた少数派の政党の政策が主導権をもって議論・実現されていくのは、多数決制を意思決定の根幹に据える議会制民主主義においてはありえない。与党としては絶対に受け入れられない。それでは、野党案を議論するだけでも、少数意見を尊重することだけでも意味はあるとの見解はあるだろう。しかし、会期が終了した時点で「何の法律も成立しなかった国会」と空しい結果が待っているだけである。
したがって、野党の作戦は、法案審議よりも国政調査を進めることになる。例えば、2022年8月18日に野党が衆参で提出した直近の臨時会召集要求書では、コロナ対策、物価高、安倍元総理の国葬問題、統一教会問題、安保、豪雨対策などを国会で議論する課題は多々あり、早期に国会を召集し、新任の大臣の所信を聞いたうえで、政府が予算や法案を提出するとともにあらゆる疑惑について説明責任を果たさなければならない、としている。
しかし、この時点で政府は予算や法案を提出する気はなかった。政府としては(表向きは決してそうは言わないが)、コロナ対策や物価高、安保、豪雨対策について野党の質問に答えてもあまり実質的な進展はない、政府の対応も万全とは言えないだろうから野党に得点を与えるだけに過ぎないと考えていても不思議はない。与党議員の意見は国会以外の場で吸い上げている。ましてや、国葬問題や統一教会問題といった疑惑を扱うことには政府の不利益となり、支持率が下がるだけである。さしあたって政府として成し遂げたい政策法案の審議ではなく、単に野党の都合で追及を受けるだけの国会に消極的なのはある意味当然である。仮に、臨時会に応じたとしても、世論の批判を避けるために通り一遍の審議をするだけで、あとはサボタージュするであろう。本会議や委員会の開会は多数派の意思にかかっているので、「すでに説明責任は果たした、野党のご意見も賜った」と開会をやんわりと拒否するであろう。ある程度の会期幅を設けたところで抜け殻のような臨時会が続くだけとなるため、極端に短い会期とするかもしれない。
つまり、野党による臨時会召集要求に応じるべきとの法的要請が実現したとしても、それが現実の政治の場で機能するかどうかはまた別の問題としてあるのである。野党の言い分が正論であっても政府は説明もなく拒否か無視をするのが政治的に得策である。野党にとっては疑惑追及だけでも意味があるかもしれないが、政府与党にとっては法案成立などの具体的成果のない国会は意味がない。質疑で追及するだけで何の成果物もない疑惑追及は他の国とは異なる長年の日本の国会の悪弊である。それを解消するためには、調査報告書を作成するなどその国会で何の成果を上げたのか明らかにする方策を考えなければならない(「国会は機能しているのか?─なぜ、国会は報告書を作らないのか?」参照)。すなわち、野党主導の国会召集を実現するのならば、国会の在り方を改めなければならない。ある意味、戦後80年近くを経て惰性化した国会審議の在り方を変革するよい機会になるのかもしれない。
しかし、これだけではない。野党が臨時会召集要求を乱発したらどうするのか。臨時会が終了すると同時に次の召集要求を提出することも可能となる。仮に憲法改正や法改正でもして期限内の臨時会召集が法的根拠を伴うこととなれば、野党は乱発を政治的に利用することは十分ありうる。非生産的な日程闘争が年中行事化するくらいならば、通年国会の導入を真面目に考えた方が良かろう。いずれにせよ、野党主導の国会召集は明治議会以来、先例がなく、いかにして国会を運営するのか真剣な検討が必要になる。憲法上の理念を遵守することと現実に国会を機能させることとは別の話なのであり、その間を埋める新たなルール作りが必要となろう。
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