国会の攻防(23)

国会の攻防(23)
平成18年から平成24年(2006年から2012年
) ― 政権交代と衆参ねじれの時代、対立と協調②
衆参ねじれの同意人事、衆参ねじれの政治的解決(福田政権の大連立構想、菅政権の大連立構想、菅政権の謝罪と三党合意、野田政権の近いうち解散と三党合意)

岸井和
2021.03.18

(3)衆参ねじれと同意人事

政府の一定機関の役職を任命するにあたって、国会の同意を必要とする同意人事については衆参ねじれ下では、完全に暗礁に乗り上げた。国会の同意と言われるが、国会全体としての意思決定ではなく、衆議院の同意と参議院の同意が独立して行われ、それが合致することが必要となる。法案のように衆議院から参議院への案件が送付されるのではなく、内閣は各院にそれぞれ同意人事案件を提示する。衆議院の優越規定は存在しない(かつては法律上優越規定があったが参議院からの強い要請により削除されている1)これらはその政府の一定機関の役職毎に個別の法律で定められており、衆議院の優越規程があるものは概ね1950年代半ばにはその規程が削除されていたが、唯一残されていた検査官についても参議院改革の一環として1999年の会計検査院法の改正により削除された。)。両院協議会を求めることもできず、両院間の意思の相違があった場合、それを調整する制度は存在しない。

また、衆参ねじれにより発言力を増した西岡武夫参議院議院運営委員長(民主)は、同意人事案件が国会に内示される前に事前報道されることを問題視するとともに、衆議院、参議院の順番で内示されることに不満を持ち両院対等に同時に提示されることを目論んだ。そこで2007年10月31日、衆参両院の議院運営委員会理事会のメンバーからなる議院運営委員会両院合同代表者会議を設置し、同意人事案件についてはまず代表者会議に内示することとし、提示前に候補者の名前が報じられた場合には、当該人事案件は受け付けないこととなった2)2008年11月1日 読売新聞。いわゆる「事前報道ルール」である。ただし、この代表者会議自体は両院合同で同意人事案件の提示は受けるが、事前審査は行わず、問題を解決する機能を持つものではない。

また翌年2月25日には、日本銀行総裁候補者をめぐる混乱を契機として、特に重要な人事案件(日本銀行総裁・副総裁、人事院人事官会計検査院検査官、公正取引委員会委員長)については、代表者会議で内示後、候補者から所信を聴取し、質疑を行うことを決定した3)2009年2月25日 読売新聞

特に、大きな問題となったのは、この2008年3月の日本銀行総裁と副総裁(2名)の任命に関する同意人事案件であった。与党が多数の衆議院は3名の人事に同意したが、野党が多数の参議院では総裁と副総裁1名について、大蔵省出身者であることや金融政策が不適切であることなどを理由に同意しなかった。つまり、国会全体としては同意を得られなかったことになるとともに、一事不再議の原則から再度同じ候補者について議決することはありえず、内閣としては別の候補を提示するしかなかった。

内閣は総裁と副総裁について新たな候補者を再度内示し、衆議院では両名に同意したが、参議院では総裁について金融危機の時の大蔵事務次官であったことを理由に再度同意しなかった。これにより3月20日から日銀総裁は戦後初めて空席となった。内閣は三度目の総裁人事を内示した。先に副総裁に任命されていた白川方明を総裁に任命する案で、これで4月9日になってようやく各院の同意を得ることになった(なお、白川総裁昇格に伴う後任の副総裁については参議院で不同意。結局当該会期中には後任の副総裁候補者は内示されず、次の第170回国会にようやく各院の同意が得られた)。

他の機関の役職者についても参議院で不同意とされるものがあり、重要な職務について欠員が生じた。人事という性質上、事前に野党にも根回しをするのも困難であり、内閣としては野党の意向を慮って人選を進めるしかなかった。根本的解決策はなかったが、次第に人事案件での表立った対立は避けられる方向に動いていく。なお、もとよりマスコミを中心として批判の多かった事前報道ルールは衆参ねじれ解消後の2013年2月19日に与野党国対委員長会談並びに衆参議院運営委員長間で撤廃が合意され4)2013年2月20日 読売新聞、代表者会議は消滅した。

 

(4)衆参ねじれの政治的解決の模索

この衆参ねじれの時期は、国会が議事を巡って混乱するということは少なく、徹夜国会も多くはない。重要法案をめぐって与党が強硬な国会運営をしても参議院で法案が否決されるという結果は明らかであるし、野党としては衆議院での不信任決議案を提出する必要はなく、参議院での勝ち戦を前提に考えればよかった。参議院において問責決議案が可決されるというプレッシャーは政治的に大きく作用した5)2007年参議院議員通常選挙後に行われた総理大臣の所信演説に対する代表質問で、民主党の輿石東議員(民主党参議院議員会長)は「私たちは、総理大臣問責決議案を参議院に提出し、しかも可決することができるのであります」と発言し、衆参ねじれとなった直後から政府与党を牽制していた(第168回国会、2007年10月4日参議院会議録)。

とはいえ、衆参ねじれの状況下では、国会運営はデッドロックに乗り上げた。3分の2の衆議院での再議決を除き、両院の調整について憲法や国会法による実効的な法律上の解決策はない。内閣提出法律案の成立率は低下した。あるいは、与党としては野党の意見を取り入れる必要に迫られ、法案についての与野党間の修正協議は数多く行われ、修正率は大きく上昇した。

修正協議が活発になったとはいえ、話し合いによる政治、お互いの信頼感に基づく協議といった熟成したものではなく、与党にとっては法案成立のためのやむを得ない苦肉の策であり、野党にとっては与党の政権運営能力のなさを浮き上がらせる目的が強かった。少なくとも、統制の取れたシステマティックな協議体制ではなく、アドホックな協議であるとともに、与野党の政策、思惑が大きく異なる最重要法案については対立の解消は難しかった。したがって、各政権はしばしばより根本的かつ政治的な解決方法を模索することとなる。

 

福田政権の大連立構想

2007年10月末に、就任して一か月余りの福田総理は小沢一郎民主党党首に新テロ特措法案6)テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法案の審議打開のために協議をもちかけた。総理としては衆参ねじれの状況を打開するための、与野党間の新たな国会運営のルールや協力体制を構築したいと考えていた。112日には大連立構想が提案される7)大連立については、小沢党首がそもそも提案したが、民主党内の説得のために総理からの提案という形をとったとされている。2007年11月4日 読売新聞。小沢党首は民主党の訴える政策実現のために連立参加に前向きであったとされるが、民主党の役員会で提案は拒否された。まさに政権を目前にしているところで自民党政権を助ける必要はないとのことであった。民主党内からは「野合だ」「大政翼賛会になる」「大義が内容が」などとの批判もあった8)2007年11月3日 読売新聞

 

菅政権の大連立構想

2011年3月の東日本大震災の後を受けて、菅総理は谷垣禎一自民党総裁に電話をして「国家的危機に協力を求める。責任を分担してもらえないか」と呼びかけ、副総理兼震災復興担当大臣として入閣することを要請した。しかし、自民党役員会での協議を経て、谷垣総裁は入閣要請を電話で拒否した。政策協議もないあまりにも唐突な申し出であり、大連立で衆参ねじれを解消し、政権延命に手を貸すことになる。両党間には信頼感はなかった9)2011年3月20日 読売新聞

 

菅政権の謝罪と三党合意

同じ年の7月には、岡田克也民主党幹事長は、震災復興のための補正予算とその関連法案、公債発行特例法案10)平成二十三年度における財政運営のための公債の発行の特例等に関する法律案などを成立させるため、自民党、公明党に大きな譲歩をせざるを得なかった。自民党は民主党の従来の政策を撤回することを条件とした。そこで、菅総理は「(マニフェストは)財源に関してやや見通しが甘かった部分もあった」11)第177回国会 2011年7月22日参議院予算委員会会議録と参議院予算委員会で答弁し、岡田幹事長は民自公の幹事長会談においてマニフェストの見通しの甘さについて謝罪する文書を提示した12)2011年7月23日 読売新聞。8月には民主、自民、公明の三党間で主要政策課題の扱いについて合意を見た。しかし、民主党内からは強い反発もあり謝罪を撤回しろとの声も上がり、一方の自民党内では合意内容が曖昧であり弱腰との批判も強かった13)自民党はマニフェストにあったバラマキ3K政策(高速道路無料化、農家の戸別所得補償、高校無償化)の廃止を求め、公債発行特例法案の成立を阻止していた。しかし、合意では3Kについての「見直しの検討」などの抽象的な表現となっていた。2011年8月10日 読売新聞参照。これにより総予算の裏付けとなる歳入法案でありながら暗礁に乗り上げていた公債発行特例法案がようやく成立する運びとなり、党内で重要法案の成立を退陣の条件としていた菅総理の辞任の流れが決まった。

 

野田政権の「近いうち解散」と三党合意

また、野田政権下では、2012年8月8日に、民自公の党首会談が開かれ、社会保障・税の一体改革関連法案について合意が得られた。これとともに、自民党はこれらの法案が成立したうえで「近いうちに国民の信を問う」ことをも合意させた14)2012年8月9日 読売新聞。単に協力するだけではなく、じりじりと政権を追い詰める戦略をとる。

翌日には衆議院本会議において民主党から別れた「国民の生活が第一」などの野党が提出した野田内閣不信任決議案は自公が欠席をしたことにより否決された。さらにその翌日の10日には社会保障・税の一体改革法案が自公も賛成の上、参議院で可決成立する。しかし、29日には参議院において同じく「国民の生活が第一」などの野党が提出した野田内閣総理大臣問責決議案15)この国会では参議院で4本もの内閣総理大臣野田佳彦君問責決議案が提出された。
①2012.6.20みんなの党提出 → 8.7撤回
②2012.8.7国民の生活が第一等7会派提出 → 8.10議院運営委員会で委員会審査省略要求否決 → 8.29撤回
③2012.8.28自民提出 → 8.29議院運営委員会で委員会審査省略要求否決 → 9.8未了
④2012.8.29国民の生活が第一等7会派提出 → 8.29可決
が自民も賛成して可決される(公明は退席)。政権は完全にレームダックとなった。一方、自民内でも内閣不信任決議案は欠席しておきながら、総理問責決議案には賛成するという一貫しない行動に批判等もあり、谷垣総裁は翌月の総裁選への出馬を断念せざるを得なくなった16)2012年9月3日、10日 読売新聞

脚注

脚注
本文へ1 これらはその政府の一定機関の役職毎に個別の法律で定められており、衆議院の優越規程があるものは概ね1950年代半ばにはその規程が削除されていたが、唯一残されていた検査官についても参議院改革の一環として1999年の会計検査院法の改正により削除された。
本文へ2 2008年11月1日 読売新聞
本文へ3 2009年2月25日 読売新聞
本文へ4 2013年2月20日 読売新聞
本文へ5 2007年参議院議員通常選挙後に行われた総理大臣の所信演説に対する代表質問で、民主党の輿石東議員(民主党参議院議員会長)は「私たちは、総理大臣問責決議案を参議院に提出し、しかも可決することができるのであります」と発言し、衆参ねじれとなった直後から政府与党を牽制していた(第168回国会、2007年10月4日参議院会議録)。
本文へ6 テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法案
本文へ7 大連立については、小沢党首がそもそも提案したが、民主党内の説得のために総理からの提案という形をとったとされている。2007年11月4日 読売新聞
本文へ8 2007年11月3日 読売新聞
本文へ9 2011年3月20日 読売新聞
本文へ10 平成二十三年度における財政運営のための公債の発行の特例等に関する法律案
本文へ11 第177回国会 2011年7月22日参議院予算委員会会議録
本文へ12 2011年7月23日 読売新聞
本文へ13 自民党はマニフェストにあったバラマキ3K政策(高速道路無料化、農家の戸別所得補償、高校無償化)の廃止を求め、公債発行特例法案の成立を阻止していた。しかし、合意では3Kについての「見直しの検討」などの抽象的な表現となっていた。2011年8月10日 読売新聞参照
本文へ14 2012年8月9日 読売新聞
本文へ15 この国会では参議院で4本もの内閣総理大臣野田佳彦君問責決議案が提出された。
①2012.6.20みんなの党提出 → 8.7撤回
②2012.8.7国民の生活が第一等7会派提出 → 8.10議院運営委員会で委員会審査省略要求否決 → 8.29撤回
③2012.8.28自民提出 → 8.29議院運営委員会で委員会審査省略要求否決 → 9.8未了
④2012.8.29国民の生活が第一等7会派提出 → 8.29可決
本文へ16 2012年9月3日、10日 読売新聞

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