ガーシー議員の懲罰と除名

ガーシー議員の懲罰と除名

岸井和
2023.03.15

1ガーシー議員騒動

ガーシー議員(既に除名されたが、本稿中では議員と表記する)の懲罰問題が国会の一つの懸案事項となっていた。議員の懲罰が焦点となっていることは情けないことでもあるが、懲罰は実は奥の深い問題でもある。

ガーシー議員は20227月の参議院通常選挙のNHK党(38日に政治家女子48党に党名変更)の比例代表で当選した。しかしながら、当選以降、海外に滞在していて、臨時国会、通常国会と20233月となっても1回も登院していない。参議院議院運営委員会は、1月には海外渡航は了解を得ていないこと、議員は召集日(1月23日)には各議院に集会しなければいけないこと(国会法5条)などから速やかに登院を求めたが、ガーシー議員は帰国、登院をしなかった。

議院運営委員会の協議を経て1月30日には尾辻秀久参議院議長が、ガーシー議員に対し出席を求める招状を発出した。招状の発出は1949年以来74年ぶり2度目の出来事である。ガーシー議員はこれに応じなかったため2月8日に懲罰委員会に付されることとなった。これは国会法に定めるもので「議員が正当な理由がなくて召集日から7日以内に召集に応じないため、…議長が、特に招状を発し、その招状を受け取った日から7日以内に、なお、故なく出席しない者は、議長が、これを懲罰委員会に付する」(124)の手続に沿ったものである。少なくとも、外形的には明かに国会法違反である。

懲罰委員会では、懲罰に値するか否か、懲罰にするとすればどのような懲罰とすべきかを決する。ただ、「正当な理由がなくて」召集に応じない、招状を受け取っても「故なく出席しない」のかは判断を要する(1949年は召集日から3か月召集に応じなかった4議員が、招状を受け取った後に請暇書を提出し、議長が許可したために懲罰とはならなかった)。ガーシー議員側は、国会に出席しないとの公約をもって当選した、リモートならば出席が可能であるなどと抗弁し、懲罰委員会に提出した弁明書では虚偽告訴により不当な拘束を受ける可能性があるので帰国、登院しないとした。あるいは政府に対する質問主意書を提出して議員活動のアリバイ作りを図ったりした。しかしながら、これらはすべて受け入れられなかった。

懲罰委員会は2月21日にガーシー議員を「公開議場における陳謝」とすることに全会一致で決定、翌日の本会議ではNHK党は反対、れいわ新選組は欠席したが、ほとんどの会派が賛成して「陳謝」が決定された。3月1日の与野党国対委員長会談で8日の本会議で懲罰を行うこと確認した。議会は言論の府であり会議に出席して自己の主張を述べるべきであるのに、その議員としての職務を怠ったということである。国会に出てこないのに多額の歳費を受け取っていることも問題となった。

懲罰の処分としては、重い順に「除名」「登院停止(最長30日間)」「議場での陳謝」「戒告」の4段階があるが、3番目の陳謝となった。いきなり除名は国民に選ばれた議員の身分に照らして拙速の誹りを受けかねない、本人が出てこようとしないのに登院停止を命じても無意味であることから陳謝とせざるを得なかった。他方で懲罰の種類が4段階であることにも疑問が生じた。特に、除名と登院停止の間に大きな隔たりがあり中間的なものを考えるべきではないか、歳費支給停止などの経済的懲罰も考えるべきではないかとの意見も出た(現行法では登院停止となってもその間の歳費などは支給される)。議員としての責務を果たさないのなら法改正により一部の議員特権を剥奪することも視野に入れることは可能であろう。(立憲と維新は正当な理由がないまま登院せずに懲罰を科せられた議員の歳費を4割減額する法案を参議院に提出している)

次に関心を集めたのは、ガーシー議員が帰国して3月8日の参議院本会議場で実際に陳謝するか否かであった。帰国については様々な憶測が流れた。本人はいったんは帰国することも表明したものの、陳謝の前日になって帰国せずに欠席することを表明した。参議院に「陳謝の動画」を提出したが受け取りを拒否された。別途SNSで動画は公開され、そこで陳謝文を朗読したうえで「もう一度だけチャンスを、猶予をいただけたら」と釈明した。

国会法では「公開議場における陳謝」と定められており、参議院は当然のことながら動画での陳謝は受け入れなかった。陳謝をしなかったガーシー議員に対するさらなる懲罰へと進んだ。「出席しない」という国会法違反から「院議不服従」という問題へと変化した。参議院で議決された陳謝を命ずる決議に従わなかったということである。

参議院は粛々と次の手続を進めた。8日の本会議では、尾辻議長はガーシー議員が出席しないことを報告し、「院議に従わないため議長はこれを院内の秩序を乱すものと認める」としたうえで、議長の職権により再度懲罰委員会に付することを宣告した。

3月14日には懲罰委員会が開かれた。本人は欠席を続け代理人が文書を読み上げ、そこでは不登院は議院の活動を妨害はしていない、陳謝の意は動画を通じて国民に示した、歳費は寄付をするつもりだ、陳謝の後の除名は一事不再議に反するなどと弁明を行った。しかしながら、議院も世論もガーシー議員に対して激しく批判的となっていた。国会をサボタージュする議員に対して登院停止の選択肢はない。全会一致で除名とすることとし、翌日の本会議において賛成235反対1で院の意思として除名が決定され、議長の宣告とともに議員の身分を失った。除名処分は衆参を通じて72年ぶり戦後3例目のこととなる。

 

2自律権と懲罰

懲罰は憲法の規定に基づいている。各議院は、行政や司法などの他の国家機関、他の議院から干渉を受けることなくその権能を独立して行使できるよう内部の組織や規律について自律権が認められている。その自律権を担保する一つとして懲罰権を持つ(懲罰の対象は院内での行為、あるいは院外であっても議員としての活動に伴う行為に限られる)。

「両議院は…院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする(憲法58条2項)」。議院の秩序、民主的議事運営について判断するのは議院自らで、他からの干渉を受け付けない。懲罰を科す手続も、懲罰を科すべきか否か、いかなる懲罰とするか、これらについて他者の関与を認めない。

議院の懲罰権は、明治憲法下では憲法ではなく議院法によって定められていた。現在では議院の自律権が格上げされ憲法で規定されることとなった。国会議員の懲罰による処分に対しては、裁判所の審査権は及ばないと解されており、各院の意思によって最終的確定的に決定される。それだけに、国家機関が一議員の身分を喪失させる除名については慎重な対応が求められる。除名には特別多数が求められているゆえんである。

しかしながら、一方で有権者から選出された議員がいて、他方でその選出には直接かかわっていない議院の意思によって身分を奪うわけだから、選出理由と除名理由に齟齬が生じる可能性はある。今回も国会に出席しないという選挙公約は守っているが除名された。

特に、議員の発言内容を問題とする場合は難しい判断となることがある。明らかな暴言は別として言論の自由は保障すべきではないか、選挙公約の内容を発言したことを理由に除名処分を科すことができるのか。院の自律権によって行政が気に入らない議員を除名することは困難であるが、院内において議会多数派が少数派の言論封殺を目的に除名することも懸念される。さすがに除名については丁寧な手続を経て抑制的に行使されてはいるが、懲罰は政治的抗争の恫喝として利用されることもある。逆に院内で暴力行為があっても不問に付されたりすることもある。懲罰は院の司法的活動ではあるが、多くの場合、そこには政治的動機が隠されている。

 

3これまでの除名

ガーシー議員より前、懲罰により除名処分となったのは下記の5名である。

この5例についても果たして除名すべきだったかについては疑問が残る。

星亨は衆議院議長であったが、「政商と待合で密会した」ことなど(収賄など)を理由に議長として相応しくないと不信任が可決された。星は直ちに「疚しいところはない」と結果を受け入れなかった。議長は天皇の勅任官で強制的に辞職させる方法はなかったので、議院は解任を求める上奏案を可決したがこれは宮中で事実上拒否された。次いで、議長を辞めない星に対して登院停止一週間の懲罰を科すことに決した。しかし登院停止期間が過ぎると星は議長の職務を続けたため、議院は除名処分を決した(当然議長職も失職)。この一連の経過は政党間の抗争の生贄といえる(国会の攻防(4)参照)。

西尾末広は、議院での発言が問題となって除名に至った。社会大衆党の西尾は、国家総動員法案の審議に際し、近衛文麿首相に「…スターリンのごとく確信に満ちた指導者たれ」と発言、社会大衆党に批判的であった立憲政友会などから反発が起こり除名された。発言内容をめぐる除名判断は、時代の趨勢を背景に小会派への圧力を感じさせるものがある。

斎藤隆夫の除名については憲政史上の最大の汚点ともいえよう。斎藤の反軍演説に対し議事録の削除、斎藤の自発的辞職などの対応が検討されたが、斎藤はこれを拒否したため、小山松寿議長は職権で斎藤を懲罰に付し、斎藤は除名処分となった。世間の情勢、軍部の圧力、各政党や小山議長の見識の欠如によって議会制民主主義は機能しなくなっていた。

なお、星、西尾、斎藤は除名の後の選挙で再選されている。

戦後の国会になってからの除名処分は参議院の親米博愛勤労党党首(1人会派のため院内の扱いは無所属)の小川友三議員が最初である。小川議員は予算委員会の採決で予算に反対、本会議では予算に反対の討論をしたものの投票では賛成をした。討論は予算に賛成するかのようにも受け取れる内容で賛否を明確にするように促されるとようやく反対の意思を明確にした。小川議員の言動は支離滅裂でふざけていて信頼がならないものがあるが、果たして除名までする理由はあったのか。除名の投票総数は参議院議員の半数の128票にすぎず、懲罰の在り方に疑念を抱いた議員も少なくなかったのであろう。(なお、参議院では、議長の登壇、職務阻止の疑いのある議員を懲罰委員会で除名すべきと決したものの、本会議の議決が特別多数に達せずに、動議により登院停止30日と議決した例もある(1949.10.31中西功君(共産)))

戦後のもう一例は衆議院の共産党議員川上貫一である。

1951年1月の吉田内閣に対しての代表質問が懲罰の原因となった。共産党の欺瞞宣伝、占領国アメリカの誹謗、虚構捏造の事実の流布が議員の秩序をみだし、品位を傷つけたということで懲罰動議が提出された。

3月9日の懲罰委員会の結論は、川上議員は発言を取り消す意思がなく、不穏当な言辞は議院の秩序を乱し品位を傷つけたとして議場での陳謝となった。24日の本会議で陳謝することを命じられた川上議員は「一身上の弁明もさせないで、陳謝などとはもつてのほかだ。この陳謝文は議長にお返しする」と陳謝文朗読を拒否した。直ちに院議に従わないとして議長職権で懲罰委員会に付された。懲罰の理由は、不適切な発言から院議不服従に移ったことになる。26日の懲罰委員会では多数で除名すべきものと決した。29日の本会議では特別多数で除名が決定したが、議長の宣告は「議員川上貫一君が昭和26年年3月24日の本会議において議決された陳謝文の朗読を拒否したことは、院議を無視したものであつて、議院の秩序をみだし、その情状特に重きものと認め、同君を国会法第122条第4号により除名する」というものであった。

川上議員の発言で問題となった主な点は、アメリカの占領下において吉田政権がアメリカの安全保障政策に追従しているということであった。それは共産党や川上議員の考えを表明しているものであったが、当時世の中の状況をふまえつつ表現ぶりもあわせれば、不穏当であり、過激な表現なのかもしれない(例えば、「日本全土が作戦軍の兵器工場となっている」と断定していることなど)。

懲罰委員会の議論も最初は信条、政策の違いの議論が繰り返されていたが、次第に過剰な表現に焦点を絞っていった。これは発言の訂正、削除で終わる話であり、陳謝はともかく、除名までに至ったことは占領下、米ソ冷戦、共産主義の脅威といった時代背景はあるものの、行き過ぎた懲罰と言われても仕方がない。川上議員がある時は能弁に、ある時はとぼけて、したたかに弁明を続けることに苛立ったことも影響したのかもしれない。最終的には発言内容に関係のない院議不服従という形式犯問題に持ち込んだことは楽な道ではあるが問題はなかったのか。もともとの原因は考慮しなくてもよいのか。

 

4院議不服従と除名

ガーシー議員の場合も川上議員と同じように陳謝拒否から院議不服従、除名という手順を踏んだ。ただ、ガーシー議員の場合は、発言内容を判断する必要はなく、外形的に国会に出席せず国会法違反が明白であった。

院議に従うことは、議事運営を整然と効率的に進め、議院の秩序を維持するためには必要なことである。しかし、これは建前論でもあり、実際は院議に従わないこともしばしばあり、それが直ちに懲罰につながるとも言えない。長時間の本会議が想定されるような場合、発言時間の制限、投票時間の制限が院議により議決されることもあるが、これは必ずしも守られない。大勢の野党が一緒になって院議を破るのでいちいち処分していたら、かえって混乱を増すだけとなるので、不問となる。

これは議事手続上の問題であり一過性の問題でしかないが、議員辞職勧告決議案の取り扱いは難しい。議員が犯罪を犯した場合などで、しばしば議員辞職勧告決議がなされている(議員活動の伴わない院外の犯罪なので懲罰の対象とはならない)。しかし、決議に従って辞職を実行した議員はいない。これも院議不服従である。それならば、懲罰の手続に移行して、除名処分も可能となるのではないのかとの議論がある。

友部達夫参議院議員は詐欺事件で逮捕、拘留されたため国会に出てくることは不可能となった。19974月には議員辞職勧告決議案が可決されたが友部議員は辞職を拒否した。2001年に実刑が確定したことで失職したが4年間にわたり欠席のまま議席を維持し歳費を受け取り続けた。事態の悪質性から議員辞職勧告決議案は可決されたが、それ以前から長年にわたり決議案の是非について議論は続いてきた。

議員辞職勧告決議は田中角栄議員など与党の大物が対象となっていたことなどから、与党は決議案を採決することを避けたく、また、先例を作ることをも嫌った。有権者から選ばれた議員を法的根拠なくして失職させるのには問題はある。決議をしても本人が辞めなければ議院のメンツは潰れてしまう。刑が確定しない推定無罪の段階で身分を奪えるのか。いったん決議をしたのち再度選挙で選ばれた場合はどうするのか。

議院外の事犯を理由に辞職勧告決議案が議決され、それを受けて議院内の院議不服従を理由とする除名処分はルーティーン化されてしまう可能性が強い(つまり、通常の過半数の議決での決定が必然的に除名につながってしまう(除名の議決は半ば強制的となる))。有権者の判断と議院の判断に乖離が生じる。懲罰は外形的には議院内の裁判的手続ではあるが、実質的には政治的駆け引きの道具となってしまう。

5除名の有する困難

陳謝拒否が除名につながる場合も似たようなことである。川上議員の時は発言内容が不見識ということに始まって最後は除名に至ってしまった。ただし、発言内容は当時の共産党の主張そのものであり、川上議員もそれを繰り返し強調していた。院議不服従というレトリックにより、政治的思惑が介在し、原因と結果のバランスが取れなくなってしまう。単に議院内や世論の雰囲気で除名の結論を出してしまうことには危ういものを感じる。

とはいえ、今回のガーシー議院の場合は、外形的に懲罰の理由が明白で、政治的思惑はあまり感じられない。ただ、小政党の影響力の問題は気になる。彼が自民党議員だったとしたら果たして除名に至ったのであろうか(おそらく無理やりでも出席させるか、自ら辞職させるかの方法をとるだろうと思われる)。

「議員の身分は重い」と言われる。それは国民から選ばれて、民意を代表して活動するからである。だが、何をもって活動したとするのか。議院、他の議員がそれを判断することは危険性が伴う。確かにガーシー議員が何をしたのかと問われると、国会に出て自己の主張を開陳して国民の負託にこたえたとは言えないだろう。彼の主張は曖昧な自己弁護に終始し自分勝手な弁解を繰り返しているだけであり、虚偽告訴や不当な拘束についての説明がない。少数派の言論封殺、排除といった議論へと展開しているわけでもない。ガーシー議員が辞職せずに議員にしがみつく動機もよくわからなかった。それでも、議院として除名が唯一の解決策だったのであろうか。逮捕拘留されている議員も除名してこなかった。それはガーシー議員が自らの意思で出席しないという点は異なっている。

「時間がかかりすぎ」との批判を受けても手続は慎重に進められた。ただ、過去の除名決定の審査と比較して委員会3回(①議長の説明、②陳謝決定、③除名決定)は、本人不在という理由もあり、川上議員の場合(陳謝決定まで8回、除名決定1回の計9回)と比べても少ない。

次の参院選で仮にガーシーが再度当選し、また国会に出席しないと決意表明した場合はやはり除名をもって対応するのだろうか。民意で選ばれた議員個人の明確な意思を持った行動や考えがいかなるものとはいえ(違法、単なる誹謗中傷、人権侵害などは別として)、議院が院の秩序維持という観点から裁くという行為はそもそもの発想が異なり同一の基盤での議論が行いにくい問題であり、すっきりとは解決できない問題である。

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